前書き~永久機関~
『永久機関』について僕の見解を述べる。
いや、まぁ、述べるなんて言ってはみたものの、そんな大したことを話すつもりではない。
あくまで永久機関の話は本題に入るまでのさわり、前置きのようなものだ。
だから、そんなにかしこまってもらわなくてもいい。
小学生のころ、永久機関について考えたことがある。
あれは確か火力発電所に見学に行ったときのことだ。
そのとき僕は初めて、何かを動かすには相応のエネルギーが必要だということを学んだ。
電気を生み出すためにはタービンを回す必要があり、タービンを動かすためには物を燃やして出る水蒸気が必要だと、発電所の人は説明してくれた。記憶があやふやだが。
実物で見るタービンとやらは非常に巨大で、とても重そうだった。
僕の知る水蒸気といえばヤカンの口から立ち上るそれで、あんなものがこの巨大なタービンを動かせるとは到底信じられなかったのを覚えている。
本当に水蒸気で大丈夫なのか?もっと効率の良いものがありそうなもんだ。子どもながらにそう思った。
いや、ちょっと待て。大変なことに気づいてしまったかもしれない。小学生の僕はそう思考の輪を巡らせる。
アナログ式の時計を思い浮かべて欲しい。
あれは秒針、短針、長針のそれぞれが一定の速度で動くことで時を刻んでいる。動力は電池だ。
だが、どうだろう。
このタービンのように、回転することで発電する装置を時計に取り付けたとする。
なにが起こるか。
時を刻むため回り続け、なおかつ電気を生み出し続ける時計。動力は自分。
なんてことだ。電池なんていらないじゃないか!
大変なことに気づいてしまった。ノーベル賞かもしれない。
小学生の僕はこうして永久機関に辿り着いたのだった。
そしてその日の夜、父親によって僕の理論はあっけなく粉砕される。
『永久機関』はあり得ない。
僕の結論だ。
今では僕も大人になった。物理は選択していないし、理数系は苦手だが、それでも永久機関があり得ないことはわかる。
文系の僕らしく言わせていただくのならば、『物事には全て、始まりがあれば終わりもまたなければならない』のである。
動き始めた歯車はいつかは止まらなければならないし、生まれてきた人間はいつか必ず死ななければならない。
それはきっと世界が決めた絶対のルールなんだろう。
まだ15年と少ししか生きていない僕だけども、そんなことがなんとなくわかるくらいにはなったわけだ。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからいよいよ本題に入る。
ここまでダラダラと引っ張ってきておいて、当の本題がこれというのもなんだか気恥ずかしいものだが、まぁ、正直に話し始めよう。
『恋』の話だ。
僕の大好きなあの人の話だ。