○日野宮○ 鳳凰使いの少女
「ぼくさ、これに似たもの見たことあるよ」
黒い巨大な壁を撫でながら月野くんが言う。
「どこで?」わたしは言う。
「箱根の森で見たよ。でっかいLOVEの彫刻が芝生に置いてあって、よじ登ってお父さんに怒られた。これの方が数倍大きいけど、これは文字でしょ?」月野くんが言う。
ハコネノモリって何だろうと思ったけれど、文字と言われてみれば確かに文字だ。これは「わ」かな?
バラバラになった文字が無惨に散らばり迷宮を作り出している。
「確かに文字だね」わたしは言う。
「文字です」キノコが言う。
「文字なの? 本当? じゃあなんて言っているんだろうね。ワタシはわからないよ!」
丸様は腕を組んで言い放った。
丸様は考える気は、ないんだな。堂々と敗北宣言をするところに思わず感心してしまう。
まあ、丸様の属性が土だということだから、手の出しようがないんだろう。
月野くんは口を半開きにしてぼううとしている。何も考えていなさそうな魂の抜けきった顔だ。ここが迷宮であることを月野くんは自覚しているんだろうか。
「いわゆる呪文が散らばっているんですかね?」キノコが言う。
わたしが答えようとしたそのとき。
遠くで雷のような太鼓のような音がした。
続いて石が崩れ落ちる音がする。床(しかも視聴覚室の床だ)にぶつかる轟音と振動が伝わってくる。空気が振動してびりびりする。皮膚が粟立った。
「きゃっ」と叫んで月野くんがわたしの右手を握り、わたしの左手は丸様が掴み、わたしの上着の裾はさりげなくキノコが引っ張っていた。
「・・・・・・何かが爆発したみたいだよ」
わたしの手を握ったまま、月野くんは引き締まった表情で言った。
「ああ、そうだね」わたしは言う。
「怖いよ。危ないよ。誰か暴力的な人がいるよ」丸様は言う。
丸様はわたしの左手をきつく握りながら言う。
「私のデータでは三年二年に爆発系の魔法を使える人物はいません」
と言いながら、いつのまにかキノコはわたしのブレザーの裾を放してかっこつけて腕を組んでいた。
「じゃあ、他の一年生が爆発させたってこと?」わたしは澄ました顔のキノコに尋ねる。
「そうです。動き回って間違えた魔術式を破るのは定石ですが、ちょっと乱暴な子たちみたいですね」
心なしキノコの顔が青ざめている。
わかる。
いくら魔法事故に巻き込まれたとはいえ、他の人がいるかもしれないのに爆発系の魔法をつかうなんて思慮が浅いバカか、危険な奴らしかいない。
そんなバカか危険な奴が同じ新入部員になるのだ。
「ねえねえ、爆発したんなら、この迷宮から出られるようになっているんじゃないの?」
月野くんが言う。
「そうだね! 行ってみようよ」
丸様はわたしを引きずって今にも走り出しかねない勢いだ。
「だめです」
走り出しかけていた丸様と月野くん、そして二人に引きづられる格好のわたしはぴたりと動きを止めた。
トートバッグを肩に掛けたキノコは眉間にしわを寄せている。
「確かめましょう。本当に出口ができているか確認してから爆発野郎のところへ行っても遅くはありません」
「え? なんで? どうやって?」
目をぱちくりさせながら月野くんが頭をかく。「あんなに離れているのにソナーかなんかあるの?」
キノコはうなずく。
「あります。ちょっと二年生新入部員同盟の皆さんは耳をふさいでください」
キノコが胸元から銀色の笛を取り出すのを見て、わたしと丸様は慌てて耳をふさいだ。
わたしはキノコの胸元をのぞき込もうと左右に頭を動かしている無防備な月野くんのすねを蹴りとばす。
「あんた鼓膜が破れてもいいの?」わたしは言う。
「へ?」
間抜けづらの月野くんが振り向く。キノコが大きく息を吸い込む。
「早く耳をふさげよ!」わたしは叫ぶ。
「バカだよ、月野くんは人生を棒に振る大バカ野郎だよ」丸様も叫ぶ。
ただならぬわたしと丸様の様子に月野くんはようやく耳をふさぐ。
瞬間、空間を刃物で切り裂くような透明な音が走る。
全力で耳をふさいでいたのにそれでも鼓膜の奥が痛い。
間抜け月野くんは音に巻き込まれてぐらぐら揺れている。白目になっている。脳髄を笛の音にやられて失神しそうになっているんだろう。
目をつむって銀の笛の音の余韻を味わっていたキノコがすうっと目を開いた。いつもより瞳の色が薄く青みがかっている。
「私のユムユムがやってきません。ということは今の爆発では出口はできていないということです」
「ユムユム?」わたしは言う。
意外な名前に思わず大声がでる。そんな聖獣にむかって大胆なネーミング。
「はい。私の鳳凰の凰の名前はユムユムです。可愛いでしょう」キノコが言う。
「かわいいよ! 外に出たらワタシにユムユム触らせてよ」丸様が飛び跳ねる。
「いいですよ。ユムユムは現代っ子なんでチョコが好きなんです」キノコが微笑んだ。
地面に月野くんが倒れている。気絶しているのかと思いわたしが近づいたらば片目を開けた。
「いやあ、ぼくはほんとこの世界が恐ろしいよ」月野くんが言う。
「そうかい。それなら谷間なんかに見とれずに忠告はちゃんと聞くことだ」わたしは苦々しい気持ちで答える。ほんと、馬鹿だなこいつ。
「男の子には難しい注文だなあ」
「じゃあ、くたばっとけ」わたしは言う。
月野くんは人好きのする笑顔を浮かべる。
「日野宮ちゃんはきついなあ。ねえねえ、鳳凰てそこらへんにうろうろしているもの?」
わたしは首を振る。
「とんでもない。聖獣は生まれつき印がある人しか契約できない。キノコはエリートの家系なんでしょ」
月野くんは口をとがらす。「それって、ずるい」
わたしは肩をすくめる。
「生まれつきはしょうがない。それよりそういう人が仲間なことを喜ばなきゃ」
月野くんは満面の笑みになる。晴れやかな曇りのない明るさが、ちょっと怖い。
「やだなあ、ちょっとすねてみせただけだよ。いやあ、物語やゲームの中の人みたいに非現実的だ」
「?」
わたしは月野くんの言っていることがよくわからない。
完璧な笑みを貼り付けたまま月野くんはつぶやく。
「それよりもっと非現実的なのはぼくか」
そろそろ月野くんのターンに入りたい!
けどもう少し日野宮ターンでした。
もうしばらくお付き合いください