○日野宮○ 火水の燃え盛る正午 2
泣いてもどうにもならないことがある。
道に迷って泣いてどうにかなるのは子供だけ。
いい年齢した人間は泣かずにまっすぐ顔を上げ、地図を検索し自分で道を探すか、人に聞いて正しい道を見つけるしかないのだ。
だから、魔術でできた小さな太陽がくそ熱くて、頭が痛くて、のどが渇いて、鼻血がでそうでも、泣いちゃいけない。泣いてもどうにもならない。
わたしは角吉と目を覚ましたジーローに話しかける。
「この太陽がめちゃめちゃ火水性質をあげているよね。火水性質を下げるのに、なにかいい案ある?」
角吉が眉間にしわを寄せ、人を小馬鹿にした表情を浮かべる。メイクが落ちたその顔は、そばかすが浮いて、案外幼い。
「いい案、ある? なに人に答えを聞いちゃっているんですか? これは試験ですよ」
角吉はわたしに人差し指を突きつける。さらりと前髪が割れ汗で濡れたつやつやのおでこがのぞく。
わたしはむかっときた。
なんだこいつ、挑戦的な態度をとりやがって、生意気だな。
「試験だからどうだって言うのよ」わたしは言う。
「はん。お手てつないで仲良くゴールなんて、ばかばかしい。あたしは嫌ですよ。火水要素を下げる案が浮かばないなら、日野宮さんはそこらへんで干からびていたらいいんじゃないですか?」
角吉は立ち上がるとブレザーを脱いだ。「試験っていうからには勝負です。あたしは負ける戦はしない主義なんで」
ブレザーを投げ捨てる。ブレザーが床に落ちてじゅっと音を立てた。
貴族の決闘の開始は白手袋を投げつけること。それが宣戦布告になる。
わたしは角吉に宣戦布告を受けたと解釈できるな。おお、この野郎、いい度胸じぇねえか。
「あら、そう? いいじゃない受けてたってや」と言いかける。
「おうおう、挑戦的だのう」
ジーローが寝転がったまま、胸元を仰ぐ。のんきな口調でからから笑いだした。「勝負に勝つってこれは部活のオリエンテーションだぞ」
角吉はつま先でジーローの鳩尾に再び蹴りをいれる。
「ギャッ」ジーローが叫ぶ。
「うるせえ。いきなり失神していたくせに偉そうな口利いてんじゃないよ」
ジーローはおなかを押さえて、地面を芋虫みたいに転げ回る。
角吉のシューズは、ごつい鋲がびっしりついた編み上げブーツだ。そいつを鳩尾に食らったジーローは、それはそれは痛いだろう。
ジーローを暴力で黙らせた角吉は、自分の荷物を置いてある椅子へ向かって、歩いていく。
角吉が一歩足を踏み出すごとに、床が変色する。ワックスが溶けた嫌な臭いがする。
角吉の歩いた後が黒い足跡となっている。角吉の頭上には小さな太陽が三分の一の大きさとなって浮かんでいた。
わたしは信じられない思いでまばたきをする。いったいどうなっているんだ? 歩いた後が黒くなる。ミニ太陽は分裂する。
角吉の体質だろうか、それとも魔術の影響だろうか。
さっきの空風竜巻とは違う。
わたしたちは場に閉じ込められているわけではないのか?
わたしは立ち上がると、その場で足踏みをしてみる。
なにも変化なし。
まだごろごろうめいているジーローの体を飛び越えて、今いる、教室の中心から離れてみる。
わたしの歩いたあとに、腐った足跡が出現した。
わたしはじっと自分の足元を見る。動く度に床は変色し、じゅくじゅく音を立て、どんどん浸食されていく。
見上げれば三分の一の太陽も頭上に輝いていた。
「なんじゃこりゃあ」わたしは呆然とする。
「カ、カバンが!」
角吉の声だ。
角吉は鋲付きの黒いレザーのバッグを放り投げた。
バッグの持ち手は半分溶けて今にもちぎれそうになっている。
メ「なにコレ、持ち手が溶けたんだけど。どういうこと?」角吉は言う。
メイちゃんがピコレースのついた白手袋を素早くはめ、角吉のバッグをつまみ上げる。
「腐ってますです。というかこれは」
メイちゃんは鼻をひくつかせて臭いを確かめる。
「胃酸の臭いに似てますです。イの見立てによると、カバンは消化されかけているようです」
「消化?」角吉は動揺した声を出す。手を口元に当てようとして、はっとして慌てて引きはがす。
角吉は自分の手をじっと見つめる。
あんな強気な態度だったのに、角吉さんったらこんなことでビビってしまうのね、おほほ。まあ、わたしもビビっていますけどね。
「カバンが消化された?」角吉がつぶやく。
「はい。角吉のさわった箇所は消化されてしまいましたです」
メイちゃんは断言した。
火水編はメンバーがきもちばらばら
それも性質の違いなんだろうなあ




