11:ジャンクション2 銃弾
一回裏
白龍0-0港星北
港星北攻撃中
打者、鈴谷和巳。
港星北高校が誇る最強のリードオフマンにしてアベレージヒッター。元々はボーイズリーグに居た頃は投手をやっていた彼だが、高校からは野手に専念している分、走攻守において高校生とは思えないほどのハイレベルにまとまった、万能選手に成長した。
身体能力の高さから来るバッティングフォームの安定感とスイングスピードの疾さ。そして、動体視力の高さ。これらが作用して彼の高い出塁率が生み出されるのだ。
それをデータでのみ知っているマウンドに立つ智基は、だが、そんな彼を相対することで彼の本当の怖さというものを理解した。
そもそも、威圧感とは何かというと、相手を恐れることから生まれるのだ。つまりは恐怖だ。この打者には打たれるかもしれない、抑えられないかもしれない、といった心理的状況から、投手が勝手に縮こまる――これが威圧感の正体だ。無論、これが絶対というわけではない。打者が強面であるがためになんとなく恐怖を感じた、というものもあるだろう。
しかしながら、鈴谷和巳は間違いなく前者だ。そして、その恐怖はデータによるものではない。
構えだ。そして、その構えがあまりにも堂々としているのだ。
初対面であるはずなのに、自信満々でバッターボックスに立ち、無駄のない動作で構えている。過剰ではない自信を持ち、動作に無駄のない選手というのは総じて強敵である。自分の方が上だと思っていなければ精神的に負けであるし、自分の方が下だと思い弱気になっているようじゃ、相手を強気にさせるだけであり、落ち着かせてしまうのだ。故に、過剰ではない自信は有効的であるし、動作の無駄を省いていけば、それは理想的な構えとなるわけだ。つまり、そのようなものを見てしまえば、投手は無意識に打者を恐怖してしまうのである。
――こんなの、どうやって相手にすればいいんだ。
智基は心の中でそう呟いた。去年一年生だった頃はベンチ入りを果たせず、観戦スポットからの応援しかできなかった彼は、去年、四回からの六イニングを二失点に抑えた泰助を見ている。二番手エースを自称する彼は、白龍のエースたる松岡泰助のように抑えてみせるとマウンドに立つまでは思っていたのだ。
だが、彼と相対するだけでこの体たらく。いや、それだけ彼の格が違いすぎるのだ。智基はあくまでもまだ二年生であり、二番手。対して鈴谷和巳は一年生の頃からチームを牽引してきた猛者なのだ。年季が違いすぎる。また、才能も違う。
経験と才能において彼の方が上手だ。故に、彼に勝ち目等ないように思えた。
――しかし、これは投手と打者の戦いではない。投手と捕手の二人が打者に挑む――そういう戦いなのだ。
それを熟知し、意識できたのはこのグラウンドの中では打者である和巳とミットを構えている健助のみ。
その事を健助はなんとかして智基に知らせたかったが、どうも伝わらない。否、自分で気づかなかればならないのだ。借り物では勝負はできない。自分で気づいてこそ、ものにできるのだから。
だからこそ、健介は黙って支持を出す。そして、智樹は振りかぶり、投げた――
11:ジャンクション2 銃弾
快音。その音を聞いて智基はただただ呆然とするしかなかった。
鋭い打球が、フェンスに直撃した。スタンドインとはいかなかったものの、和巳はきちんと走塁をして二塁ベースを踏んでいた。秀幸の好守によって、三塁打を阻止する事に成功したものの、和巳はそれすら見極め、二塁でストップしたのだ。つまり、本来であれば三塁打であってもおかしくない――そういった打球だった。そして、そういう走塁だった。
「んな……っ」
あまりにも高いレベルの打撃に、陸上部顔負けの瞬足。そんな選手をどうやって討ち取ればいいのだろうか、と智基は戦慄した。智基の基本戦術はバットの芯から少しズラすツーシームやムービングファスト、カットファストなどを用いて凡打を量産することだ。しかし、相手が瞬足であれば、それを利用されてしまう可能性がある。ゴロからの内野安打、というパターンが存在するからだ。
また、選球眼が極めて良く、またバットコントロールも高い打者であれば、その少しだけズラされた芯をまた再調整して芯で捉える、という離れ業をやってのける可能性がある。無論、そのような打者は高校野球というレベルではそうそういない。読み打ちをしているのであれば、少数いるかもしれない。だが、それを予測せず、変化を見てからそのような行動ができる打者など、それこそ人間離れしている。――それをこの打者はやってのけたのだと、智樹は理解した。
しかし、攻撃は終わらない。二番バッターの奥川隼人が送りバントをきっちりと決め、打順は三番ピッチャー荒城庄助。一年生でスタメン、それも投手でクリーンナップという事を考えると、いくらエースの新垣大輔がいるとはいえ、港星北監督、一之瀬の荒城に対する期待の大きさが伺える。
流石に一年生がバッターボックス、ということを知っている智基は、ここで一度精神状態を落ち着かせることに成功した。だが、ピンチはピンチである。スクイズ、あるいは犠牲フライで一点をとられるこの状況。流石に、初回から失点、というのは格好悪い以上、智基はなんとしても避けたかった。
深く深呼吸をしながら、健助からのサインを確認する。そして、首をふらずに投球を開始する。頼りになる主将を信じ、腕を振り抜く。
放たれたのはツーシームファストボール。若干ズレるその球筋は、確かに庄助のバットに当たるが、感触としては重く、そして、芯からズレているというものを庄助に与える形となった。そして、芯からずれたがために打球は弱々しい。だが、失点を恐れるがあまり、捕球した智基はバックホームをしてしまう。
三塁ランナーの和巳は当然スタートを切らない。ホームインできる保証のない以上、また、次の打者を考えれば、無理をする必要もないと感じたがために、三塁ベースにくっついたまま。そして、打者走者である庄助は全速力で一塁ベースへと向かう。智基からのバックホームを受け取った健助は急いで一塁へ送球するが、間に合わない。
フィールダース・チョイス。
智基の失点を恐れる心が、ピンチをより広げた形となった。ここでの正解は、間違いなく一塁への送球。三塁ランナーを警戒するにしても、走者を目で牽制する程度でよかったのだ。
無論、これがスクイズであったならば、話は別なのである。――だが、港星北にこの打順におけるスクイズはまず存在しない。
なぜならば、四番には得点圏では驚異的な打率をマークする、最強のクラッチヒッターがいるからだ。
斉藤敦。
港星北のエース新垣大輔の相棒。だが、そんな彼の真骨頂は勝負強いバッティングだ。得点圏打率七割、得点圏において打点を挙げる確率は八割。少なくとも、チャンスであれば、大体打点を挙げる、という驚異的なバッターなのだ。
また、本来であれば三番には投手でありながら、高校生としては並外れたバットコントロールを持つ新垣大輔がいるという事を考えると、斉藤敦にチャンスが回ってこない、という形は多く見られる事となる。
単純な打撃力だけを見れば、健助の方が上である。それは、走者なしの打率が一割台という極端な数字が示している。しかしながら、健助には得点圏ではほとんど打点を挙げる、などという精神力は持ち合わせていない。いつもどおりの打撃はできても、得点圏で本来の力よりも上の実力を発揮するなどという恐ろしいまでの集中力はない。そもそも、そういったバッターの本来の力こそが、得点圏での実力なのであり、得点圏に走者がいなければ、本来の力を出せない、というだけの事なのだ。
それを理解しているために、健助は敦のその才能を羨んでいた。
――だが、そうであっても、この場面で打たせるわけにはいかない。
健助は智樹の精神状態を考えて、抑えなければならないと考えた。そもそも、白龍高等学校野球部の投手は誰もが弱点を持っている。エースの松岡泰助はスロースターターで、この智樹は心理状態が安定しない、というものである。尤も、この弱点は安嶋直人にも当てはまってしまうのだが、健助からすれば、あまりリードをした事のない智基の方が扱いにくいと感じていた。そして、そんな中で初回から失点してしまえば、後に響いてしまう――そう思ったのだ。
だが、打開策が見つからない。そもそも、この打者は基本的には長所もなく短所もなく、といったタイプなのだ。それがどうして、得点圏では人が変わったかのように長短打を打ち分けるバッティングをするようになるのか、健助にはわからなかった。
――そして、この回、敦の打撃によって、一点が入り、その後の五番はファーストライナーとなり、一塁から飛び出した敦はそのままアウトとなり、運良く一失点で済んだ。
そして、今度は白龍高等学校の攻撃となる。だが、その前に、健助はメンバー全員に伝えなければ、とベンチで口を開いた。
「ちょっといいか。少し真面目な話をするぞー」
いつになく真剣な表情の健助に、部員全員が只事ではないと傾聴することにした。そして、その様子を見て、監督の藤森は「やってるやってる。流石健助主将じゃないか」と関心しながら、口を閉じた。
「荒城庄助の球、さっきの回にバッターボックスに入ったヤツらなら、何か違和感を覚えたはずだ。なぁ、和茂?」
「あ、あぁ。なんか、浮き上がっているような、加速しているような――そういう不気味な球だった。浮き上がる球とか野球じゃ有り得ないし、加速とかそんな球あってたまるか、って話だろ? どういうトリックなのか、健助主将様は知ってるってのか?」
「……まぁ、な。去年、新垣大輔に勝負どころで放られて、タイミングとれずに空振りになったから、よく知ってるさ。あの後、投球練習を見させて貰って、その後で色々と調べた。……あれは、巷で有名なジャイロボールってヤツだよ」
「ジャイロボール……!?」
その言葉に、皆が驚いた。魔球と称される事もある、ジャイロボール。確かに、投げる投手は実在するが、数は非常に限られている。故に、そんなものとの対戦経験を持つ打者も少ないのだ。そして、漫画などで描かれるジャイロボールというのは、基本的には最強の球とされている事も多い。実際にはそんな事はないのだが、そちらのイメージが残っている部員もこの場にはいた。故に、動揺するものさえ、此処にはいたのだ。
「まぁ、正直なところ、初見で対応しろってのは酷な話だな。むしろ、経験のある俺があそこで打てなかったのが問題だ。すまんな。
……まぁ、原理はみんな知っていると思うが……まぁ、知識確認のために説明しようか。
要は、進行方向を軸にして回転――まぁ、例えるなら銃弾の回転する方向、とでも言えばいいのかな、まぁ、そういう回転をする事で空気抵抗を減らし、初速と終速の差を小さくした球だ。そして、バックスピンではないため、山なりな軌道を描くが、減速が少ないがために、山なりな軌道を描く癖に、然程落ちない。
この然程、という差が浮き上がって見えるトリックで、減速が少ない、というのが加速して見えるトリックだ。
……正直、こんなの知ったところで、対策にもなりゃしない。慣れるしかない。……でもまぁ、一つ言うのであれば――打つのは不可能ではない。単に、凄いストレートだと思えばいいだけの話だ。
まぁ、そこに逆に減速の大きいジャイロボール――ツーシームジャイロボールも加わってくると、もうどうしようもないかもしれないが――此処は、狙いを一つに定めよう。減速の少ないジャイロボール――フォーシームジャイロボールだ。恐らく、そちらを多用してくると見た。……まぁ、なんの根拠もない勘なんだが、普通ピッチャーってのはチェンジアップよりもストレートを多用するもんだ。つまり、この場合はストレートに当てはまるフォーシームジャイロの確率が高いはずだ――俺はそう思ったんだ。
……それじゃ、各自ベストを尽くしてくれ」
「はいっ!」
長く、そして早口な説明。だが、気合と抑揚を感じられるその口調は、部員全員に内容を理解させるのには十分な力があった。
無論、この説明で状況が打開されるわけじゃない。荒城庄助を打つには、個々の打撃力が鍵となってくる。故に、ただの説明だけでは、どうしようもできないのだ。だが、それでも、ないよりはマシなのである。
不気味な球の正体。その概要を知った彼らは、初回と比べたら、幾分かマシな状況で庄助へと挑むことができるのだ。
とはいえ、庄助は強力なピッチャーである。五番バッターの泰岡勲を見逃し三振に抑えた。しかしながら、正体の概要を聞いていたがために、たった二球ほどであるが、バットに当てる事ができた。無論、フェアゾーンには飛ばず、ファールゾーンに弱々しい打球が転がっただけであるが、十分な結果である。
そして、その次にバッターボックスに立つのは、秋穂真吾。
「……こいつぁ……なかなかじゃないかな……?」
そんな事をつぶやいたのは、斉藤敦だった。バッターボックスに淡々と入った秋穂真吾を見て、ついつい口に出してしまったのだ。
彼の持っているデータには、秋穂真吾は得点圏打率が高いというものがある。しかし、これは高校に上がる前のものであり、そもそも今は走者なし。関係がない。
しかしながら、敦にはこの真吾という男が普通ではないと感じられたのだ。
「妙に血が騒いでいる感じがするな……こりゃ、同類かもしれないなぁ……」
そんな事を誰にも聞かれないほどの小声で呟きながら、サインを出す。
――何はともあれ、此処は全力で抑えに行く。
敦は心の内でそう呟く。その直後に、庄助が振りかぶり――
――銃弾は放たれ、それはミットへと一直線に向かい、ストライクゾーンという名の壁を貫こうとしていた――
二回表
白龍0-1港星北
白龍攻撃中
一死無走
打者、秋穂真吾。
To be continued...