10:ジャンクション1 幻術使い
ある日。練習終了後に、藤森誠は選手たちに言った。
「夏の公式戦まであと一ヶ月と少しと言ったところか。さて、この辺でそろそろ本格的な練習試合を組んでいきたいと思う。んで、だ。その初戦なんだが――去年と同じだぞ。上級生」
その一言に二、三年生がぴくりと反応した。事情を知らない一年生たちは首を傾げるのみだ。それに気づいた泰助は一年生たちに事情を説明した。
「あー、わからないよね。俺たち三年生が入部してから、公式戦前のこの時期に港星北高等学校と練習試合するようになったんだよね」
その学校名を聞いた途端に、一年生は上級生の反応に納得し、それと同時に身震いした。
港星北高等学校。
神奈川県にある創立五年目の新設学校。故に設備こそ新しいがただそれだけであり、野球部も警戒の必要はないとされていた。また、松岡泰助が一年の頃、初めてこの高校と練習試合した時も、強豪校ではなかった。
だが、それを一変させたのが、当時一年生で遊撃手だった新垣大輔、中堅手の鈴谷和巳、三塁手だった斉藤敦の三人である。その後、実力を持って大輔と敦は本来の守備位置、投手と捕手を先輩からもぎ取り、以後、彼らは港星北高等学校を牽引していった。
そして、松岡泰助が二年となり、エースの座についた頃、港星北高等学校は神奈川県でも上位に入る実力を持つ強豪校の仲間入りを果たしていたのだ。
本格派エースの新垣、長短打を打ち分けるリードオフマン鈴谷、得点圏のランナーを還すクラッチヒッター斉藤。この三人を中心として、個性こそあるが全体的にはバランスのとれたチーム構成は理想的であった。
選手層の薄さという致命的な弱点こそあれど、その実力は本物。
――そして、様々な条件が重なった上ではあるが、春のセンバツに出場したのだった。
初出場での準優勝。そして、エースである大輔によるノーヒットノーランや一試合十五奪三振の偉業。
まさしく、急成長を遂げ、今年の甲子園優勝候補の一校なのである。
「まぁ、あそこは甲子園優勝候補っていうけど、同時に神奈川県にはもう一校甲子園優勝候補があるんだから、今年の神奈川県は熱いと思うよ」
一年生が港星北高等学校についてあれこれ思い出しているのを察し、情報を一つ付け加えた。
その一校こそが、去年の甲子園優勝校――陽炎実業。その立役者であるエース飯島快人は今年三年生であり、去年の夏に145km/hをマークした左腕。制球力や変化球にも定評のある隙のない投手。
こちらは所謂名門校であり、選手層の厚さは誰が見ても明らか。極端にバットコントロールの悪い選手や守備の苦手な選手などはおらず、全員が全員、全ての項目において及第点であり、それでいて得意分野をきちんと持っている猛者の集まり。
むしろ、この高校の方が順当に行けば甲子園優勝の筆頭候補だったりするのだ。
閑話休題。
とにかく、そのような強豪と練習試合で闘うとなれば、テンションの上がらないものはいないだろう。
特に、秋穂真吾はその一人だった。
港星北高等学校と聞いてからはうずうずしており、普段の冷静ぶっている顔はどこへやら。どことなく「俺は俺より強い奴に会いにいく」と言わんばかりの試合依存症ぶりを見せていた。普段から突拍子のない行動をとる紀彦ですら、今の秋穂真吾に近づかず、逆に距離をとろうとするくらいには、普通じゃなかった。
「あー、とにかく。今週末に練習試合だ。気を引き締めろよ!」
「はい!」
――そして、練習試合当日を迎える――
10:ジャンクション1 銃弾
当日。
港星北高等学校野球部グラウンド。
創部五年目ながら既にセンバツ出場を果たし強豪の仲間入りを果たした港星北高等学校野球部のグラウンドは、五年前まで無名校だったにもかかわらず、名門校並みの設備の整ったものであった。これが五年前あったという事を知った白龍高等学校野球部の一年生達は驚愕し、ただ呆然とするしかなかった。
「久しぶりだな、藤森」
そんな彼らを引率している藤森誠に話しかける一人の男、そしてその両脇にいる港星北高等学校野球部のユニフォームを来た男二人がそこにはいた。
「おう、久しぶりだな一之瀬。しっかりやってるのか、そこの二人も」
「あぁ、やってるよ。こいつらはうちのエースに四番だからな。しっかりしてもらわないと困る」
「というか、俺がしっかりやらないとか思っているんですか監督」
「まー、オレはそんな事よか新垣の球の音を早く聞きたいんだがな!」
そこの二人――エースと四番、新垣大輔と斉藤敦。港星北高等学校の誇る最強の矛と盾を持つ二人の戦士。新垣大輔自身も打撃を苦にしないどころかクリーンナップで四番に繋ぐ役割を任され、斉藤敦は得点圏での勝負強さは勿論、守備でも強肩好守、投手の調子を読み取る正確なリードでこの二人こそが港星北高等学校の攻守の要となっているのだ。
そんな二人から、一年生たちは否応なく威圧感を受ける。年は二つしか違わないと知っていても、それを受け、気圧されてしまうあたりに、二人の高校球児としての格の高さが見て取れた。
「よう、調子はどうだ、松岡」
「悪くないよ新垣。今日は145km/hくらい出るかもね」
「145km/hの球なんてつまらないものはないぞ松岡泰助よ。やはり、最強の球は新垣の145km/hの球なのだぁっ!」
「――なぁ、それ同じ球速だろ。何が違うんだよ」
「違いなんて新垣か否かだバカタレ!」
気づけば、斉藤敦と新垣大輔による夫婦漫才が始まっていた。
そのキッカケとなってしまった泰助もこれには「あ、またやってるよ」という軽いリアクションで済ますくらいには、見慣れていた。また、一年生たちも同じようなものを秋穂真吾と澤田紀彦で経験してるがために、そんなに驚くこともなかった。
そして、グラウンドへと入り、ウォーミングアップを済ませ――両校が整列する。
「礼!」
「よろしくお願いしますっ!」
練習試合、開始。
「港星北高等学校の先発、新垣大輔じゃないんですか?」
ベンチにて、慎吾は泰助に問う。そして、白龍高等学校エース松岡泰助も先発投手ではない。今日の先発投手は二番手エースの森黒智基であった。
「あぁ、実はそういう取り決めがあるんだよね。最初の三イニングはエースを出さない事、っていうのが。練習試合なんだし、いろんな投手を使って行こうよ、って事だよ」
「……だから副主将が先発じゃなくて森黒先輩が先発なんですね。……納得しました」
「おい。俺が先発じゃ納得いかないってのか?」
真吾の発言に対し、智基は反応した。この人が先発なのは納得いきませんと暗に言われているわけなのだから、智基の反応はごもっともである。
「いや、そんなつもりはないですって。ただ、やっぱり先発投手はエースの副主将だと思っていたので」
「――まぁ、そう言われると痛いんだけどな」
が、やはり智基のレベルでは泰助には勝てないのだ。泰助がいる限り彼はエースにはなれない。そんな現実故に、結局彼は真吾の行っていることを認めざるを得なくなっていた。
「そーいや、あのピッチャー初めて見るなあ。一年か?」
そう言ったのは、健助。見覚えがない顔に、うーんとうなっている。
「……うん、その通り。一年みたいだよ。荒城庄助……あぁ、シニアリーグ三大エースの一人か。聞いたことあるよ」
「うんうん。確か、『幻術使い』なんていう中二病な二つ名があった気がするよ」
そんな健介の問いに答えたのは泰助。そして、それに補足説明したのは、泰助の彼女であり野球部のマネージャーだった。
「……こんな時までイチャつく気か貴様」
「何言ってるの健助。これがマネージャーを彼女にした特権でしょ。というか、彼女欲しくてたまらない癖にロッカーにいかがわしい本を隠している時点で、君は終わっていると思うよ」
「ぐぬぬぬぬ……」
「せ、先輩! 投球練習終わったみたいですよ!」
そんな二人のいい争いを真吾がなんとかして止めて、意識を試合の方へと移動させた。実力は確かで、真面目な彼らなのだが、どうもどこかが外れているらしい、と真吾は先輩たちを見てそう思った。
バッターボックスに立つのは白龍のリードオフマン、皆川和茂。バットコントロールや足に自身のある典型的なリードオフマンである。故に、求められるのは出塁。内野安打だろうと四球だろうと。だが、やはり、ここはどんなピッチャーなのかという情報を得るところからはじめるべきだろう、と彼は思った。
初見の投手。そして、後に控えるのは真のエース新垣大輔。彼がマウンドに立てば得点をするのは至難の業。となれば、目の前の投手を如何にして三イニングで攻略するかがこの練習試合の勝敗を分ける。だからこそ、彼は初球を見ることにした。
目の前の投手――庄助は振りかぶり、右スリークォーターから初球を放つ。
速い。
和茂はストライクコールを聞きながら、彼の球を評価する。およそ130km/hといったところか。一年生でそれだけ出れば十分なレベルに、和茂はただただ目の前にいる彼の将来性を感じていた。この分なら、卒業までには140km/hに届くかもしれない。そうなれば、港星北高等学校のエースは彼に決まるだろう。しかし、見たのは速球のみだ。和茂は二球目を待つ。
だが、二球目は甘いコース。故に、和茂は逃さずにスイングに行く。甘い球であるなら、待つというのは必要ない。確かに速いが打てないものではない――そう判断し、行動したのだ。
――だが、どうだろう。
彼がスイングした時には、ボールは既にミットの手前。タイミングがずれていることに、ようやく気づく。だが、その理由がわからない。また、ボールは彼の思っているよりも上を通過している。
浮き上がったのか。いや、そんなわけがない。浮き上がるストレートなど、プロ野球においても見られない。また、メジャーリーグでも見られない、そういうレベルの話なのだ。
どういう事なのか。心の中でそう呟きながら、三球目に対してもタイミングを外し、空振り三振に終わった。
「皆川先輩、どうだったんっすか?」
そう聞いたのは二番打者の鈴本和弥。情報を得て、自分の打席に活かそうと思ってした当然の質問。だが、和茂はそれに対して首を横に振ることしかできなかった。
「わからん。だが、一応ストレートは大体130km/h程度だ。だが、何かがおかしい。ちょいと気をつけてくれ」
「了解しました。俺が見てきますよっと」
そう言って、和哉はバッターボックスに立ち、だがそれでも何も掴めない。しかしながら、運良くバットにあて、それが内野と外野の間に偶然落ち、ポテンヒットとなった。
ここで出番を迎えたのは白龍高等学校最強のバッターと言っても良い松居英幸。経験こそ浅いが、その実力はトップクラス。故に、信頼は厚い。だからこそ、彼がヒットを打つと誰もが信じていた。
一球目、空振り。
二球目、振り遅れのファール。
三球目、振り遅れのファール。
四級目、ストライクと判定されてもおかしくないが、ボール宣言。首の皮一枚つながる。
五球目、振り遅れのファール。
そして、迎えた六球目。
「あっ……」
内角高めのストレート。それに対して振り遅れつつもバットに当てて、それがギリギリ一塁戦に落ちる。二者連続ポテンヒット。これにより、チャンスで四番バッターの城志摩健助を迎える。
秀幸ですら完璧には捉えきれなかった球。それを放つ庄助。健助の中では、庄助という投手は警戒するに値する投手であった。
無論、昨年新垣大輔と対戦している以上、彼が真に警戒するのは大輔である。だが、それでもこの投手お警戒する必要があると彼は悟った。――否、彼の投球術から新垣大輔という投手の投球が見え隠れしていた。
臆せずストライクゾーンに放る度胸。速球を中心とした投球の組み立て方。
だからこそ、彼は最初から本気でぶつかる。様子見等はしない。本気で勝負しにいけば何かが見える――それをこれまでの経験で感じている彼には、それしか選択肢はなかった。
一球目。それに対して臆せずスイングする。そして、それは振り遅れ。だが、それで彼はカラクリを理解した。だが、それと同時にわかったところでどうしようもないと判断した。否、これは知っていないと打てない代物なのだ。初見で打つのは高難易度。そして、その仕組みを理解できたのも、新垣大輔という投手と昨年にも勝負した彼だからこそである。
「……ったく、後継者はもういるってのか。くそ、こっちにだって欲しいんだけどなーっ」
そう呟きながら、二球目を待つ。そして、来る二球目。
速い。彼はそう感じた。――だが、違うと彼は判断する。
これは、罠だ。色が違う。そして、見え方が違う。
だが、最初に速いと感じたせいでバランスは既に崩れている。綺麗なヒットは無理だな、と瞬時に思いつつもスイングを始動する。
彼はスイングのタイミングを先ほどよりも二、三ほど遅らせた。これは、そういう類の球。いあ、むしろ、今の一瞬でミットを被る港星北高等学校の正捕手、斉藤敦が健助には仕組みがバレていると気づいたからこその違う球種。そう判断した健助はそれにすら反応する。無論、本来のスイングスピードではないものの、それはヒットを打つには十分。
快音が響き渡り、それがセンターへとまっすぐ飛んでゆく。
センター前ヒット。誰もがそう思った。
「――これが、取れちゃうんだな」
敦がそう呟くと、センターの守備位置にいた男――鈴谷和巳がボールに向かって飛び込み、ノーバウンドでそれをキャッチする。
それを目撃したランナー、和哉と秀幸は息を呑む。だが、その隙に飛び込んだ姿勢のまま彼はボールをスナップを利かせて内野へと還す。そして、それが二塁へと送られる。
「アウト!」
センターフライ。そして、ランナーもアウト。この回は無得点――それも、最後のアウトが相手のファインプレーという最悪の形で終わったのだ。
「……これは、キツいかもね」
泰助はそう呟いた。それに同意するベンチ入り選手は多く、また、その事実に恐怖するしか、出来る事はなかった。
次にマウンドに立つのは白龍高等学校の二番手エースを自称する森黒智基。
そして、バッターボックスに立つのは港星北高等学校が誇るユーティリティプレイヤー、鈴谷和巳。先程ファインプレーをし、勢いに乗っているだけに、このバッターをなんとしても抑えたい。
智基はサインを確認したあとで振りかぶり、初球を放つ――
To be continued...