09:デイリーライフ1
「よーっす、真吾。今日も眠いぜー」
教室の机で頬杖をついていた秋穂真吾にそう話しかけたのは、親友の澤田紀彦だった。
本来であれば野球部には早朝練習があるのだが、大会が近いこの時期、練習試合などで土曜日と日曜日がハードスケジュールになる、という理由でこの時期の早朝練習は省かれている。
だからこそ、この朝の時間に、彼らが教室にいるのであるが、早朝練習に慣れきった体が寝坊する、なんてことがあるわけもなく、眠いにも関わらず朝早く学校についてしまったのである。
勿論、学校の机に伏せて寝ればいいのであるが、話し相手がいるにもかかわらず寝る、なんて行動は紀彦はしない。
「紀彦。眠いなら寝ろよ。学生の本業は勉強だぞ」
「何を言う! 男子高校生の本業はバカであり続けることだぜ! ヒャッハーッ!」
「……だめだこりゃ」
無駄にテンションの高い紀彦を見て、ため息をつくしかない真吾。とりあえず、そんな様子の人とはあまり関わりたくない彼は、席を離れ、廊下に出て涼む事にした。
「ヒャッハー!」
紀彦の叫び声をバックグラウンドミュージックにしながら、真吾は教室を出た。
「……さて、と。どうするかな」
廊下で涼むにしても、手持ち無沙汰な真吾は、昇降口近くにある自販機に来ていた。
涼むお供としての飲み物を買おうと思っての行動であったが、なかなか目ぼしいものが見つからず、しばらく自販機を凝視する。
そして、ようやく決めた真吾は自販機のコインの投入口へと指を伸ばし――
――その指は、ボタンに触れる前にもう一つの指に触れた。
「――っ」
「――あ」
直後に、二枚の硬貨が落ち、ちりん、という音を立てた。
09:デイリーライフ1
沈黙が流れる。
「……あ、悪い」
比較的早く沈黙から復帰した真吾は、落ちた硬貨を拾い、その片方を隣で硬直している女子生徒に渡した。
「あ、ありがと……ところで、秋穂君だよね?」
「……え? あ、いや、そうだけど……そっちは? 同じクラスだったような気がするんだけど……」
突然名前を確かめられ、若干戸惑う真吾。普段は野球に没頭しているため、あまり交友関係は広くなく、そしてあまり人の顔と名前を覚えない主義でいる。
そんな彼は知らない人と話すのはあまり得意ではない。故に、この状況は彼にとって好ましくない。
「うん、同じクラスの水野奏。まあ、席は結構離れているから、覚えてないだろうな、とは思ってたけど」
「……へぇ。なのにそっち――じゃないか、水野さんは覚えてたわけだ。羨ましいよ。こっちは野球と勉強をなんとか両立している身だから。人の顔と名前を覚えるのは苦手なんだ」
「それはただ単に人の顔と名前を覚えるのが面倒くさいんじゃ……?」
「いや、そんな事はない……と、思いたいなぁ……」
そう言いながら、真吾は後頭部をかく。彼女の言った事を否定しようとするも、結局できないと判断し、言葉を濁すしかなかった。
そんな様子の真吾を見て、くす、と奏は笑った。
「笑う事か、これ?」
「え、いや。この前の試合の時とは違うんだな、と思って」
手を振りながら、理由を言う彼女。そして、その言葉を聞いて、真吾はつい最近の紅白戦を思い出した。
レギュラーを決めるための紅白戦。上級生の投手と対戦し、二打数二安打。
運の要素が多かったとはいえ、それは真吾にとって大きな経験であったのは間違いないし、自信をつけた試合だったとも言える。
とはいえ、真吾は試合を見られていた、なんて事は知らなかったりするわけで、「……え?」と抜けた声を出してしまった。
「え、知らないの? この前の紅白戦は、一般生徒は観戦自由だったの。まぁ、私は友達に誘われなかったら行ってなかっただろうから、なんとも言えないけど……」
「……えー、と……」
再び、真吾はこの前の試合を思い出す。
二打数二安打。
上級生からのヒット。
打点も挙げた。
――大活躍、じゃね?
そんな三文字が真吾の頭に思い浮かび、思考がここで硬直する。
「……あ、あの、秋穂君? ……秋穂君!?」
「――はっ……え、何……?」
「何、はこっちの台詞だよ……。ずっと固まってたよ?」
え、と間抜けな声を出す真吾。それを見て、少しにこやかにする奏。
「わ、笑うなって。いや、この前の試合、なんか大活躍してたような気がする、とか、そんな事全然思ってなくて、つか、これならモテるんじゃないかな、とか、そんなん全然思っていないだからな、本当に!」
「あ、秋穂君、声、出てるよ……」
「――! あ、い、今のなし! これ紀彦に聞かれたらヤベェよコレ!」
普段から紀彦と比べると冷静な行動が多い真吾であるが、思考回路は基本的に通常の男子高校生となんら変わりない。故に、そういう欲求があるのは当然である。
ただ、なかなかそういう面を見せない、というだけで。
そして、そんな姿を見て、笑いが収まらない奏。
「わ、笑うなよ! つか、言うなよ! 絶対に言うなよ!」
「わ、わかったって。け、けど、アハハ、だって試合であんなに冷静そうな秋穂君がこんなに面白いとは思わなくって! アハ、アハハハ! ――ふぅ」
「……俺、泣いていいか?」
「ご、ごめん。確かに、逆の立場だとそうだよね」
「……そう言ってくれるなら、いいけどさ。紀彦だったら絶対エンドレスだな、コレ……」
「ところで、その、……紀彦って?」
先程から何度か登場する“紀彦"なる人物を知らない奏は首をひねりながら、そう言った。その言葉に、一瞬首をかしげながら、真吾は答える。
「一応、同じクラスなんだけどなぁ。澤田紀彦。ほら、クラスでよく『ヒャッハーッ』とか叫んでる野球部。あんなヤツだけど小学生の頃からの腐れ縁でさぁ」
「澤田、澤田……あぁ、あの人? ……ぇ、そうだったの? 確かに秋穂君とよく話しているけど、なんか、そういうイメージないなぁ。中学くらいからの付き合いかと思った」
「どういう意味で?」
「キャラの方向性的な意味で」
「……納得できる自分が恐ろしいのか、納得させてしまう紀彦のキャラが恐ろしいのか……どっちだと思う?」
「後者じゃないの? そもそも前者はよく意味がわからないのだけれど……」
「ですよねー。っと、結構話し込んじまったな。早く飲み物買っちまって、教室戻らないとな」
「……ホントだ。そうだね。早く戻ろっか」
そうして、二人は飲み物を買い、教室に戻ったわけだが――
「――こぉの裏切り者がぁぁぁぁぁ!!」
「わけわからんこと言ってんじゃねぇよ、紀彦……何が裏切り者だよ」
「俺は見たんだ、見たんだぞ! このクラスのアイドル、水野奏さんと一緒に教室に入るところをぉぉぉぉ!!」
その言葉に、ビクン、と反応する男子陣。そして、一部の女子陣。
水野奏は所謂美少女にカテゴライズされるタイプの女子であり、男子からの人気は高い。それでいて、裏表のない性格が女子との関係も良好ときた。まさしく、クラスのアイドルという言葉の似合う女子なのである。
それに対し、真吾はイケメン、とはいかないまでも平均よりもレベルの高い容姿を持っている。野球部に所属している関係上、髪の毛は短くそろえているものの、顔の造りは上々。
それでいて、この前の紅白戦での活躍ぶりもあり、一部の女子からの評価が高くなっている最中。
そんな中での紀彦の発言は、真吾と奏に視線を集中させるのに、十分過ぎた。
「……何が言いたい」
「俺と同じ野球部だというのに、お前は既に彼女を作れるような状態にあるわけだろ!? しかも、あの奏さんすらもターゲットなんだろ? そうなんだろ!?」
「お前はいつもオーバーだな紀彦。……だからお前は友達が少ないんだぞ。……俺もだがな」
「真吾、お前はまだマシな方だろうが! お前の場合は、実際には少ないけど、周りから見ると滅茶苦茶多く見えてるんだからな! 俺なんて、俺なんて――!!」
「いや、そういうアクションが原因だって。……距離をとらせてもらうぞ、紀彦」
「そ、それだけはご勘弁をっ!」
「――距・離・を・取・る・ぞ――」
「申し訳ありませんでした」
とりあえず、真吾の目の前で紀彦は土下座をし、それを真吾が無視をする事で、この場のやりとりは終了した。紀彦はそのまま放置され、ホームルーム開始時に先生に怒られるまで、紀彦の土下座は続いた。
放課後。
野球部所有のロッカー室にて、一つの騒動が勃発する。
練習前、野球部員は練習着に着替える。それに例外はなく、全学年の部員が着替えている――のだが、それが騒動を大きくする原因となってしまったのだ。
「――真吾に、春が来たみたいだ」
紀彦は確かにそう呟いた。それを隣で聞いていた和哉は、それをさらに拡大するためにぼそりと「真吾に春が訪れたようです」と呟いた。それを確かに聞いた勲が「秋穂真吾のやつがリア充になったらしいっす先輩」と誇張しながら隣にいた主将、健助へと伝えた。
そして、それがトリガーとなる。
「俺を差し置いて一年生ごときがリア充になるだとおお――っ!?」
「な、なんだってー?!」
健介はロッカー中に響き渡るほど叫び、それに呼応した健介のまわりにいた二、三年生が便乗する。
「え、えっ?」
状況がつかめない他の部員や秋穂真吾たちは呆とするしかなかった。そもそも、彼らが何を言いたいのかが理解できないのだ。
「秋穂真吾ぉ……」
「あ、はい」
どことなく様子のおかしい城志摩健助の呼びかけに対し、真吾は首をかしげながら反応する。……そして、健助は目をくわっと見開き、その魂からの叫びを解放する。
「野球部員である男児なら、リア充になんかなっちゃいけねぇんだよ……その意味がわかるか……?」
「え、あっ……はい。それは、野球に集中するため、じゃないでしょうか」
「そぉだ正解だ。だがな、真吾。てめぇは罪を犯した」
「……は?」
そんな事、身に覚えのない真吾は再び首をかしげる。そもそも、真吾は罪とは無縁の人間である。至って真面目に練習に取り組むような優等生であり、そういったものには無関係な人物なのだが――
「それは……リア充になった事だよ!」
「はあぁぁぁっ!?」
そして、城志摩健助の一言に、彼が主将であり先輩である事を忘れ、真吾はただそう叫ぶしかできなかった。
真吾は紛れもなく非リア充である。これまで野球部の練習に打ち込んできた優等生的野球部員であった以上、そもそも女子との出会いが少なかったことや女子とのコミュニケーション不足から、彼がリア充になれる可能性はそもそも低いのだ。高校入学してすぐともなれば特にありえない。顔のつくりこそ悪くないが、コミュニケーション不足はやはり致命的。リア充になれる可能性は低いのだ。
だが、しかし。その容姿をいかし勝負に出れば話は別だ。そして、そんななかに紀彦による事実を若干改変されたものを伝言ゲーム方式で徐々に大胆なものにしていけば、秋穂真吾を罠にはめる事が可能だろうと考えた紀彦の計画どおりとなるのだ。
現に、城志摩健助は紀彦の読み通りに動いている。
そんな混沌とした状況に真吾は戦慄した。
「誰が、いつ、どこで、なんで、リア充になったんだよっ!?」
「お前が、今日、学校で、学年一のアイドルを堕として、リア充になったんだよっ!」
「な、なんだってー!?」
より一層大きな声が、ロッカー室に響き渡る。
騒然とし、真吾に対する妬みの視線が集中する。殺気も混じり始め、命の危険すらも感じた時――
「――ねぇ、君たち」
一人の男が、空気を凍らせた。
「ふ、副主将……!?」
黒いオーラを身に纏い、副主将――松岡泰助は城志摩健助の前に立ちはだかった。そのオーラはロッカー室を覆い尽くし、彼のオーラに先程まで騒いでいた部員たちが静かになる。
「いい加減、静かにしようか。そっとして欲しいんだよ、リア充――彼女持ちってのは。――わかるかな、非リア充どもに」
松岡泰助は間違いようのないイケメンである。――そして、彼はリア充――彼女持ちであった。城志摩健助の手によっていじられつつも、彼女との仲を維持し続け、今日まで至った彼にとって、リア充の邪魔をする彼らは松岡泰助にとって敵に等しかった。
「――わかったら、静かにしようか。……わかった、君ら?」
「は、はいぃぃっ!」
リア充爆発しろの一言で団結できる彼らが、揃いも揃ってリア充に平伏す事となった。そうさせるだけのナニカを、松岡泰助は持っていたのである。そんな風に気圧された者たちの一人、紀彦は健助に聞いた
「主将」
「なんだ?」
「――つまり、松岡泰助副主将を怒らせてはいけない――そういう事っすよね?」
「あぁ、その通りだ」
「――と、いうか! 俺はリア充じゃないっての!」
真吾による真実は野球部内において語られることなく、秋穂真吾は彼女持ちである、というのが野球部内の暗黙の了解となっていた。
また、先ほどの事件で少々機嫌を損ねた松岡泰助副主将は練習中にも関わらずマネージャー兼彼の彼女である女子とイチャイチャし、それを城志摩健助に見せつけていた。
――そう言う意味では、松岡泰助は最恐なのかもしれない。
野球部全部員がそう認識した、この日であった。
To be continued...
リメイク前には存在しなかった日常パートです。
どうも、自分はギャグとかそういうのを書くのが非常に苦手な気がします。
……要精進ですね。
というか、二ヶ月も開くとは。いや、不定期更新のつもりでしたけれども。