第8話「勝利」
ついにこの日がやってきました。
孤独な戦いを続けてきた宮坂君に、裁判所が下した判断は「全面勝訴」。
正義は証明され、悪は裁かれる。
完璧なまでの成功体験に酔いしれる彼の姿をご覧ください。
東京地方裁判所、民事部法廷。
張り詰めた空気の中、裁判官の声が朗々と響き渡った。
「主文。被告らは、原告に対し、連帯して金110万円及びこれに対する……」
その瞬間、俺の脳内でファンファーレが鳴り響いた。
勝った。
俺は、勝ったのだ。
「……被告三浦による『今後三ヶ月間、ミスをゼロにせよ』との業務命令は、社会通念上、達成困難な過大要求に該当し、パワーハラスメントの範疇を逸脱するものであると認められる。また、指導の過程における言動も、原告の人格権を侵害する違法なものであり――」
裁判官が読み上げる判決理由は、まるで俺への賛美歌のようだった。
俺がこれまで訴えてきたこと――「無理難題を押し付けられた」「不当に傷つけられた」という主張が、国家権力によって「真実」であると証明されたのだ。
俺は横目で被告席を見た。
三浦課長は、じっと手元の資料を見つめ、微動だにしない。
人事部長の高瀬も、能面のような表情を崩していない。
ざまあみろ。
内心では悔しさで腸が煮えくり返っているはずだ。
会社の看板に泥を塗られ、金までむしり取られるのだから。
閉廷後、俺は弁護士と握手を交わした。
「おめでとうございます、宮坂さん。全面勝訴と言っていい内容ですよ」
「ありがとうございます。先生のおかげです」
俺は高揚感で顔が歪むのを抑えられなかった。
そこへ、高瀬部長と三浦課長が歩み寄ってきた。
ついに謝罪か? 土下座でもするか?
「宮坂君」
高瀬部長の声は、拍子抜けするほど平坦だった。
「判決の内容、真摯に受け止めるよ。……三浦」
「……はい」
促された三浦課長が、俺に向かって深々と頭を下げた。
「この度は、私の指導における不適切な言動で、宮坂君を深く傷つけてしまい、申し訳ありませんでした」
その声には、感情が一切乗っていなかった。
まるで、用意された台本を読み上げるような、機械的な謝罪。
顔を上げた彼女の目は、俺を見ていなかった。
俺の後ろにある壁か何かを見ているような、虚ろな瞳。
(なんだ、その目は……)
もっとこう、あるだろう。
「私が間違っていました」と涙ながらに悔いるとか、「許してください」と懇願するとか。
これではまるで、事務処理の一つが終わっただけみたいじゃないか。
「賠償金については、速やかに指定の口座へ振り込む手続きをとる。控訴はしない」
「……え?」
俺は耳を疑った。
控訴しない? 一発で認めるのか?
「会社として、司法の判断を尊重するということだ。それでは」
高瀬部長はそれだけ言うと、踵を返した。
三浦課長も、もう俺には一瞥もくれず、その後ろをついていく。
背中が遠ざかる。
俺は慌てて声を張り上げた。
「お、おい! それだけかよ! 俺は勝ったんだぞ! あんたたちの負けなんだぞ!」
彼らは一度も振り返らなかった。
ただ淡々と、法廷の出口へと消えていった。
……まあいい。負け惜しみだろう。
あんなに惨めな敗北を喫したのだ。
早くこの場から立ち去りたかったに違いない。
俺の手元には、確かな勝利の証がある。
110万円。
金額の問題ではない。これは、俺の価値の証明だ。
俺はスマートフォンを取り出し、判決文の表紙(個人名は隠して)を撮影した。
震える指でSNSに投稿する。
『完全勝利。裁判所が俺の正しさを認めてくれた。会社とパワハラ上司に、正義の鉄槌を下してやったぞ!』
瞬く間に「いいね」がついた。
『おめでとうございます!』
『勇気ある行動、尊敬します』
『悪い奴らが裁かれてスッキリしました』
画面の中で弾ける称賛の嵐。
これだ。俺が求めていたのは、この瞬間だ。
俺は間違っていなかった。
無能なのは会社の方だったのだ。
俺は法廷のロビーで、天井を仰いだ。
今までで一番、空気がうまく感じる。
俺の人生の第2章は、ここから輝かしく始まるのだ。
――あんな会社、もう用済みだ。
こんなに優秀な俺が、いつまでもあんな掃き溜めにいる必要はない。
勝者の凱旋として、最後にあっさりと辞めてやるのが一番の復讐だろう。
俺は勝ち誇った笑顔のまま、次の行動を決めた。
お読みいただきありがとうございました。
110万円の賠償金と、上司の謝罪。
SNSでの熱狂的な祝福を受け、宮坂君の人生は絶頂を迎えます。
しかし、一発も反撃してこない会社の「潔すぎる敗北」に、どこか違和感を覚えなかったでしょうか。
彼が「勝った」と確信したその瞬間、本当の幕引きが始まります。
次回、勝者の凱旋。
第9話「完全勝利の代償」
泥舟から脱出するヒーローのつもりで出した辞表。
その先に待っているのは、青空か、それとも――。
最後まで見届けたい方は、ぜひ【☆☆☆☆☆】の評価で応援をお願いします!




