第6話「宣戦布告」
ついに会社へ突きつけられた訴状。
宮坂君は、上司たちが顔を青くして謝罪してくるシーンを夢想して応接室のドアを開けます。
しかし、そこで待っていたのは、彼の想像とは少し違う「大人の対応」でした。
噛み合わない歯車が、静かに回り始めます。
内容証明郵便が会社に届いたはずのその日、俺は人事部に呼び出された。
来たか。
俺はネクタイを締め直し、戦場へと赴く兵士のような気分で席を立った。
周囲の視線を感じる。
まだ訴訟の事実は知られていないはずだが、俺の纏う「覇気」に、同僚たちも何かを感じ取っているのかもしれない。
今まで俺を馬鹿にしてきた連中も、今日からは俺を見る目が変わるだろう。
「噛みつかない犬」だと思って舐めていた相手が、実は狂犬だったと知った時の恐怖に震えるがいい。
通されたのは、役員フロアにある第一応接室だった。
重厚な扉を開けると、そこには人事部長の高瀬と、三浦課長が座っていた。
「失礼します」
俺は堂々と入室し、彼らの対面の席に腰を下ろした。
三浦課長は膝の上で手を組み、じっとテーブルの一点を見つめている。顔色は悪い。
ふん、当然だ。
自分の部下に訴えられたのだ。出世コースからは外れるだろうし、会社からの懲罰も免れない。今さら反省しても遅いというのに。
「宮坂君」
口を開いたのは、人事部長の高瀬だった。
白髪混じりの髪を撫でつけ、感情の読めない能面のような顔をしている。
「本日、代理人弁護士を通じて、君からの訴状を受け取った。……会社と三浦課長に対し、パワーハラスメントに基づく損害賠償を請求する、ということで間違いないね?」
「はい、間違いありません」
俺は力強く答えた。
ここからが本番だ。
きっと彼らは、示談を持ちかけてくるはずだ。
「金は払うから訴えを取り下げてくれ」「内密にしてくれ」と泣きついてくるに違いない。
だが、俺は安く売るつもりはない。
誠意ある謝罪と、それに見合うポジションを用意してもらわなければ。
「主張内容は、過大な業務ノルマの押し付け、および能力を否定する暴言、これによる精神的苦痛……と」
高瀬部長は手元の書類――おそらく俺の弁護士が作成した訴状――を読み上げ、淡々と確認していく。
「証拠として提出された音声データも確認した。……『ミスをゼロにしろ』という発言は、確かに録音されていたね」
「ええ。人間に対して不可能を強いる、明白なパワハラ発言です」
俺は三浦課長を睨みつけた。彼女はまだ俯いている。
「それで、会社としての回答ですが」
俺は身を乗り出した。
さあ、いくら積む? どんな妥協案を出す?
「……当社としては、全面的に争う姿勢です」
高瀬部長は、事務的にそう言った。
「え?」
予想外の言葉に、俺は拍子抜けした。
争う? この状況で?
「君の主張には事実誤認が多いというのが会社の見解だ。したがって、法廷で事実関係を明らかにしたいと思う。示談や和解の提案は、現時点では一切ない」
「は、はあ……」
強気だ。いや、強がりか?
俺はすぐに理解した。これはブラフだ。
最初から「ごめんなさい」と言えば足元を見られるから、あえて強気の姿勢を見せて俺を威圧し、訴えを取り下げさせようという魂胆だろう。
浅はかだ。そんな脅しに屈する俺ではない。
「分かりました。望むところです。法廷で全てを明らかにしましょう。三浦課長も、それでいいんですね?」
俺は挑発的に聞いた。
三浦課長がゆっくりと顔を上げた。
その目は、怒りでも恐怖でもなく、どこか遠くを見るような、虚ろな色をしていた。
「……私は、会社の決定に従うだけだから」
「そうですか。後悔しても知りませんよ」
声に覇気がない。
やはり、内心では動揺しているのだ。
会社のメンツのために戦うポーズを取らされているだけで、本当は逃げ出したいに違いない。
「話は以上だ。業務時間中だが、君はもう戻っていい」
「……仕事はどうするんですか? 俺を干すつもりですか?」
「いや、通常通り業務は行ってもらう。係争中とはいえ、君はまだ我が社の社員だ。給与も支払うし、仕事も与える。差別的な扱いはしない」
高瀬部長は最後まで冷静だった。
俺は「失礼します」と吐き捨てて、部屋を出た。
廊下を歩きながら、俺はニヤリと笑った。
「全面的に争う」なんて言っていたが、あの空気の重さが全てを物語っている。
彼らは怯えているのだ。
SNSでの炎上、世間の評判、そして何より、俺という「正義」に。
宣戦布告は済んだ。
あとは、彼らが崩れ落ちるのを待つだけだ。
勝てる。絶対に勝てる。
俺は自分のデスクに戻った。
周囲の風景は何も変わっていないが、俺の中ではすでに、ここは「敵地」ではなく「占領地」に変わっていた。
お読みいただきありがとうございました。
「全面的に争う」
示談で済ませたいはずだという宮坂君の読みは見事に外れましたが、彼はそれを「ブラフ」だと切り捨てます。
会社という巨大な組織が、一人の社員に対して見せる「冷徹なまでの冷静さ」。
その真意に気づかないまま、彼は勝利を確信してデスクに戻ります。
次回、訴訟中のオフィス。
第7話「静かな日常」
誰も文句を言わない、誰も叱ってくれない。
宮坂君が手に入れた「理想の職場」の正体とは。
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