第5話「SNSという鏡」
現実の世界で誰にも認められない時、人は「自分を肯定してくれる場所」を探します。
宮坂君が見つけたのは、スマホの中に広がる広大なネットの世界でした。
そこで手に入れたのは、正義という名の免罪符。
孤独な会社員が「ヒーロー」に覚醒(勘違い)する瞬間をご覧ください。
スマートフォンの通知音が鳴り止まない。
俺の心臓は、かつてないほどの高揚感で打ち震えていた。
昨晩、俺は匿名のアカウントで、今の職場環境についての「告発」を行った。
もちろん、特定されないようにフェイクは混ぜている。だが、本質は事実そのままだ。
『入社3年目。どれだけ成果を出しても評価されず、雑用ばかり押し付けられる。上司に相談したら「今後3ヶ月間、一度もミスをするな。そうすれば考えてやる」と言われた。これって無理難題を吹っかけて辞めさせようとする、典型的なパワハラですよね?』
投稿して数時間で、インプレッションは数万を超えていた。
世の中には、俺と同じように苦しんでいる人間がいかに多いかということだ。
俺は期待に胸を膨らませて、リプライ欄を開いた。
『3ヶ月ミスなしって、社会人なら当たり前では?』
『雑用しかさせてもらえないのは、主さんの能力不足の可能性も……』
『文章からプライドの高さが滲み出てる。上司さん可哀想』
『3年でその扱いなら、お察し案件』
「……は?」
俺は思わず声を漏らした。
なんだこれは。
どいつもこいつも、会社の犬か? それとも、人の不幸を笑うだけの暇人なのか?
「当たり前」なわけがない。人間だぞ? ロボットじゃないんだ。
ちょっとした入力ミスや、うっかり忘れなんて誰にでもある。
それを「ゼロにしろ」というのは、精神的な圧迫以外の何物でもないだろう。
俺は震える指で、反論のリプライを打ち込もうとした。
だが、やめた。
こんな連中に構っている時間はない。こいつらは所詮、社畜根性が染み付いた奴隷だ。
俺のような先進的な考えを持つ人間の苦悩など、理解できるはずがない。
俺は批判的なコメントを次々と「ブロック」し、画面から消し去った。
視界からノイズが消えると、ようやく「正しい」意見が見えてきた。
『うわ、酷い上司。完全なイジメですね』
『3ヶ月ミスなしなんて、人間には不可能です。明らかに退職勧奨ですよ』
『主さんは悪くないです。日本の会社ってこういう陰湿なところ多いですよね』
「そう……そうだよな!」
俺は深く頷いた。
やっぱり、分かってくれる人はいるんだ。
俺が悪いんじゃない。会社の体質が、上司の人間性が狂っているんだ。
見知らぬ誰かの「主さんは悪くない」という言葉が、乾いた砂に水が染み込むように、俺の心を満たしていく。
その時、一件の通知が届いた。
アイコンも設定していない、捨てアカウントのような人物からのリプライだった。
『それ、法的に戦えますよ。労働契約法違反の可能性が高いです。「実現不可能なノルマを課す」のはパワハラの類型の一つです。証拠を残して、訴訟を検討してみては? 慰謝料取れますよ』
――訴訟。
その二文字が、強烈な輝きを放って俺の脳裏に焼き付いた。
戦う? 俺が、会社と?
今まで考えたこともなかった選択肢だ。しかし、言われてみれば理に適っている。
三浦課長は俺に不当な扱いをした。俺のキャリアを傷つけ、精神的苦痛を与えた。
ならば、償わせるのが筋というものではないか?
「慰謝料……」
金が欲しいわけではない。
いや、もちろんあれば嬉しいが、それ以上に重要なのは「正義の証明」だ。
裁判で俺が勝てば、それは公的に「俺が正しく、会社が間違っていた」と証明されることになる。
三浦課長のあの冷たい顔が、青ざめて歪むところを見てみたい。
俺を馬鹿にしていた佐藤や後輩たちが、俺に土下座する姿を見てみたい。
俺はすぐさま「パワハラ 訴訟 やり方」で検索を始めた。
ボイスレコーダー、業務命令書のコピー、日記……。証拠が必要らしい。
日記ならある。愚痴を書き殴ったノートが家に何冊も。
ボイスレコーダーも買おう。
明日にでも、三浦課長にまた話しかけて、あの暴言をもう一度言わせればいい。
「勝てる……」
根拠のない確信が、俺を支配した。
SNSの画面には、相変わらず無責任な野次馬たちの「戦え」「応援してます」「会社を潰せ」という言葉が躍っている。
彼らは俺の味方だ。俺の後ろには、数万人の支持者がついている。
俺はもう、ただの「使えない社員」ではない。
巨大な悪徳企業に立ち向かう、悲劇のヒーローになったのだ。
翌日、出社した俺の鞄には、通販で急いで買ったボイスレコーダーが忍ばせてあった。
三浦課長のデスクを見る。彼女はいつものように涼しい顔で仕事をしている。
今はまだ、余裕ぶっていればいい。
すぐにその仮面を剥がしてやるからな。
お読みいただきありがとうございました。
批判的な意見は「ブロック」して視界から消し、肯定的な意見だけを糧にする。
こうして、宮坂君の脳内では『自分=悲劇の主人公』という設定が完璧に固定されました。
ついに耳にしてしまった「訴訟」という甘い言葉。
彼は自ら、本当の破滅に向かって歩み始めます。
次回、物語は法廷へ。
第6話「宣戦布告」
ボイスレコーダーを忍ばせた彼が、会社を相手に大立ち回りを演じます。
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