第4話「誰のせいだ」
正当な評価を求めた直談判。
そこで突きつけられたのは、あまりにも現実的で、あまりにも「普通」の条件でした。
ですが、プライドを拗らせた宮坂君には、それが自分を抹殺するための「呪い」に見えてしまいます。
ついに彼は、超えてはならない一線を踏み越えます。
「三浦課長、お時間よろしいでしょうか」
定時後、人がまばらになったオフィスで、俺は三浦課長のデスクの前に立った。
声が少し震えていたかもしれない。
だが、これは恐怖ではない。武者震いだ。
「宮坂君。……いいわよ、第二会議室に行きましょう」
課長はパソコンの画面から目を離し、眼鏡の位置を直すと、面倒くさそうに立ち上がった。
その態度がすでに気に入らない。
部下の相談に乗るのが上司の務めだろうに、まるで時間を浪費させられると言わんばかりだ。
会議室に入り、向かい合って座る。
無機質な白い壁に囲まれた空間は、今の俺の閉塞感そのものだった。
「で、話ってなに? 業務日報の件?」
「違います」
俺は強く否定した。
「今後のキャリアについてです。俺が入社して三年が経ちました。ですが、任されている仕事はずっとデータ入力や資料のコピー、電話番といった雑務ばかりです」
「それで?」
「『それで』じゃないです! 俺はもっと責任ある仕事がしたいんです。例えば、今の佐藤がやっている新規プロジェクトのアシスタント、俺にやらせてください。今の雑用より、俺の発想力が活かせるはずです」
俺は一気にまくし立てた。
ずっと腹の中で煮えくり返っていた言葉だ。
課長はしばらく無言で俺を見ていた。
その目は、感情が読めないほど冷ややかだ。
やがて、彼女は手元の手帳を開き、淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「宮坂君。意欲があるのは結構だけど、今の君にそれは任せられない」
「……どうしてですか。俺の能力が低いとでも?」
「能力以前の問題よ」
課長は手帳の一ページを指差した。
「先週のデータ入力、ミスが十二件あったわね。漢字の間違い、数値の桁ズレ。その前の週は、配布資料のページ順がバラバラだった。……全部、佐藤君や他のメンバーが事後処理をしているのを知ってる?」
「それは……」
またその話か。
俺は苛立ちを隠さずに言った。
「些細なミスじゃないですか。人間誰だってミスはします。そんな細かい箱の隅をつつくようなことばかり言って、俺の本質的な価値を見ようとしないのはおかしいですよ」
「些細なミス、ね」
課長がため息をついた。
その顔には、失望すら浮かんでいない。ただの「徒労感」だけがあった。
「あのね、宮坂君。その『些細なミス』すらなくせない人間に、数千万円が動くプロジェクトの管理なんて任せられないの。基礎ができていないのに、応用をやらせろと言われても困るわ」
「だから! その基礎っていうのが、俺には合わないって言ってるんです!」
俺は机を叩きそうになるのを堪えた。
「俺は、もっと大きな枠組みで動くのが得意なタイプなんです。細かい作業は苦手でも、企画や交渉なら結果を出せる自信がある。適材適所って言葉を知らないんですか?」
「適材適所……そうね」
課長は眼鏡を外し、疲れたように目をこすった。
「じゃあ、こうしましょう。今後三ヶ月間、今の担当業務でミスをゼロにして。一度も遅刻せず、報告・連絡・相談を完璧にこなすこと。それができたら、新しい業務への配置転換を部長に掛け合ってもいいわ」
出た。
無理難題だ。
人間がやることだぞ?
三ヶ月間ミスゼロなんて、機械じゃないんだから不可能に決まっている。
それを条件にするということは、つまり「一生飼い殺しにする」という宣言と同じだ。
「……それが、課長の答えですか」
「ええ。今の仕事を確実にこなすこと。それが社会人の最低条件よ」
課長は話を打ち切るように立ち上がった。
彼女は俺の返事も待たずに会議室を出て行った。
一人残された俺は、拳を握りしめ、歯を食いしばった。
(ふざけるな……!)
今の仕事を確実に? 社会人の最低条件?
よくもまあ、そんな綺麗事を。
あいつは俺が憎いんだ。
俺のような才能ある人間が、自分の地位を脅かすのが怖いんだ。
だから、絶対に達成できない条件を突きつけて、俺を今のポジションに封じ込めようとしている。
パワハラだ。
これは明確なパワハラであり、才能の圧殺だ。
「誰のせいで……誰のせいでこんな惨めな思いをしてると思ってるんだ」
俺の心の中で、何かが音を立てて壊れた。
いや、壊れたのではない。「覚悟」が決まったのだ。
会社という組織の中で、まっとうな努力や直談判は通用しないことがわかった。
ならば、別の手段で戦うしかない。
俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、匿名のアカウントが表示されている。
ここには、俺と同じように理不尽な上司に苦しめられている「同志」がたくさんいるはずだ。
俺は震える指で、入力を始めた。
もう我慢しない。
この会社の腐った実態を、世の中に晒してやる。
『大手商社勤務だけど、上司からのパワハラが酷すぎる。まともな仕事をさせてもらえない……』
送信ボタンを押した瞬間、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。
お読みいただきありがとうございました。
「ミスをゼロにしろ」という上司の言葉。
本来は成長を促すための最終試験だったのかもしれませんが、宮坂君はこれを「パワハラの証拠」として受け取りました。
スマホの画面越しに、彼は自らの正義を叫び始めます。
無責任な「ネットの同志」たちの声が、彼をどこへ導くのか。
次回、SNSの魔力に溺れる宮坂。
第5話「SNSという鏡」
現実の評価を失った男が、ネットの称賛という偽物の輝きを手に入れた時、悲劇は加速します。
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