第10話「その後の正解」
ついに最終話です。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
宮坂君が去った後のオフィスで語られる、もう一つの真実。
組織という巨大なシステムが、一人の異物を排除するために下した「正解」とは。
全ての伏線が回収される幕引きを、どうぞご覧ください。
窓から見下ろす交差点の雑踏の中に、宮坂君の背中が消えていくのが見えた。
彼が抱えたダンボール箱は小さかった。
三年間の在籍で、彼が残したものはそれだけだった。
「……終わったな」
隣で、人事部長の高瀬さんが缶コーヒーのプルタブを開けた。
カシュ、という乾いた音が、静まり返った応接室に響く。
「ええ。終わりましたね」
私は肩の力を抜いて、深く息を吐き出した。
解放感。
それ以外の言葉が見つからない。
「しかし、110万円か。思ったより安く済んだな」
高瀬部長は、まるで備品の発注リストでも見るような口調で言った。
「弁護士費用を合わせても二百万弱。彼をあと一年雇用し続けた場合の人件費と、彼が引き起こすミスの修正コスト、周囲のモチベーション低下による損失……それらを天秤にかければ、圧倒的に今回の『敗訴』の方が安上がりだ」
そう。これが、私たちが出した「正解」だった。
宮坂君から訴状が届いた時、私たちは即座にシミュレーションを行った。
真っ向から争って「勝訴」することは可能だった。
彼のミスや勤務態度の記録は山ほどある。
業務命令違反で戦えば、会社側に分があるのは明白だった。
けれど、もし勝ってしまったら?
「パワハラはなかった」と認定されれば、彼は会社に残る。
堂々と居座り続けるだろう。
あるいは、解雇に踏み切れば、「不当解雇だ」として地位確認の訴訟を起こされるリスクがある。そうなれば泥沼だ。
彼がいる限り、数年単位でコストがかかり続ける。
だから、私たちは選んだのだ。
「あえて負けて、花を持たせて、自分から出て行ってもらう」という道を。
「彼、満足そうでしたね」
「ああ。『完全勝利』だと信じ込んでいたな。幸せな男だ」
高瀬部長が薄く笑った。
110万円は、彼にとっては「勝利のトロフィー」かもしれないが、会社にとってはただの「手切れ金」であり、「特別退職金」の代わりだ。
厄介な社員を、法的なリスクを完全にクリアした状態で、しかも本人の合意のもとで排除できるなら、これほど安い出費はない。
「三浦君には泥を被せることになったな。すまない」
「いえ。私の指導不足だったのは事実ですから」
私は淡々と答えた。
悔しさがないと言えば嘘になる。
裁判所で「パワハラ上司」の烙印を押された時は、唇を噛んだ。
けれど、現場を守るためにはこれしかなかった。
佐藤君や、新人の女の子たちが、宮坂君の尻拭いに追われて疲弊していく姿を、これ以上見ていられなかったから。
「それにしても……」
私は窓の外に視線を戻した。もう彼の姿はない。
「彼はこれから、どうするつもりなんでしょうか」
「さあな。海外に行くとかなんとか言っていたが」
高瀬部長は興味なさそうに肩をすくめた。
「まあ、茨の道だろうな」
当然だ。
「前の会社をパワハラで訴えて勝訴した」という事実は、ネット検索すればすぐにヒットするようになるだろう(彼自身が嬉々としてSNSに上げているから尚更だ)。
中途採用を行う企業の人事が、その名前を見た時どう思うか。
「権利意識だけが肥大化し、指導を受け入れず、会社を訴えるリスクのある人材」。
そんな爆弾を、わざわざ抱え込む企業がどこにあるだろう?
ましてや彼には、実務能力としての実績は何一つないのだ。
彼は「勝利の証」を手に入れたつもりでいる。
だが実際には、自分のキャリアに自ら「取り消せない焼印」を押したに過ぎない。
その事実に気づくるのは、一年後か、数年後か。
あるいは一生、「社会が悪い」と叫び続けて終わるのか。
「戻りましょう、部長。まだ仕事が残っています」
「そうだな。佐藤君の昇進の手続きもしなきゃならん」
私たちは部屋を出た。
オフィスに戻ると、いつもの電話の音や、キーボードを叩く音が聞こえてきた。
宮坂君のデスクはすでに片付いており、明日には新しいパソコンが設置される予定だ。
そこには来月、優秀な中途採用のスタッフが入る。
「あ、課長。お疲れ様です」
佐藤君が心配そうに声をかけてきた。
「宮坂さん……行っちゃいましたね」
「ええ。彼も新しい人生を選んだのよ」
「そうですか……。あの、僕らがもっとフォローできていれば」
「ううん、気にしなくていいの」
私は微笑んで、彼の肩を叩いた。
「組織にはどうしても、合う合わないがあるから。今回は、お互いにとって一番いい形の『解決』だったのよ」
そう。これでよかったのだ。
会社は平穏を取り戻し、彼は望んだ勝利とお金を手にした。
誰も損をしていない、完璧な結末だ。
ふと、彼のSNSを覗いてみたくなったが、やめた。
もう業務時間だ。
それに、彼がこれからどんな転落を辿ろうと、野垂れ死のうと、それはもう――当社の知ったことではないのだから。
私はデスクの上の書類を手に取り、新しい仕事に取り掛かった。
宮坂恒一というノイズが消えたオフィスは、恐ろしいほど静かで、業務は驚くほどスムーズに進んでいった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!
宮坂君にとっては「完全勝利」、会社にとっては「安上がりな厄介払い」。
誰の視点に立つかで結末が変わる、後味の悪い(?)ハッピーエンドでした。
あなたの隣にいる「ちょっと困った人」も、もしかしたら……。
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改めまして、完結までのお付き合い、ありがとうございました!




