最終話
雨は、思ったより強かった。
彼は、傘もささずに立っていた。
迎えに来た、という事実だけで、
胸が締めつけられる。
「……来てくれて、ありがとうございます」
声が震えないように、
指先に力を入れる。
逃げたら、
一生、言えない。
「今日、全部言います」
彼の目を見る。
優しい。
それが、いちばん怖い。
「私……
私は…………
私……ほんとは……
新人の頃から……
あなたのファンでした。」
雨音が、やけに大きくなる。
「名前も知られてない頃から」
「失敗して、叩かれて」
「活動休止だった間も……」
喉が詰まる。
「それでも、信じてました」
「何も知らない立場だったけど」
「ずっと、好きでした」
言葉が止まらない。
「一緒に仕事できるようになってからも」
「ばれないように」
「迷惑にならないように」
「プロとして、
ちゃんと距離を守ってきました」
雨で、視界が滲む。
「……でも」
「現場が変わって、会えなくなって」
「初めて、自分の気持ちが
抑えきれないって分かって」
息を吸う。
「嫌われてもいいです」
「マネージャー失格でも」
「それでも、
好きでした」
最後の言葉は、
ほとんど祈りだった。
「……以上です」
顔を上げるのが、怖い。
――終わった。
きっと、ここまで。
昔、色々あった事は事務所から聞いていた。
ファンだから。と
プライベートに土足で踏み入れられ、
セキュリティと揉めた事。
だから、なおさら知られてはいけない。と自分を律して仕事を始めた頃を思い出す……
だから最初から諦めていた。
そう……
この場は振られる未来しかないと覚悟をしていた。
しばらく私を見つめていた
彼が、ゆっくり息を吐いた。
「……驚いた」
静かな声。
「まさか、
ファンだったなんて」
一歩、近づく。
「正直さ」
雨に濡れた前髪の奥で、
真剣な目。
「あそこまで好意を隠して」
「仕事を完璧にやってたの、
プロとして、すごいと思う」
胸が、跳ねる。
「だから、
俺が惹かれたんだって、
今、腑に落ちた」
ゆっくり
顔を上げる。
彼は、
“推し”の顔じゃなかった。
一人の男の顔で、
私を見ている。
「……嫌いになる理由、
どこにある?」
そっと、手が伸びる。
指先が、頬に触れる前に、
一瞬だけ、ためらって。
「これは、
仕事じゃない」
そう言って私を
割れ物を扱うように
優しく雨から遠ざけた。
そして
優しく、
確かめるみたいなキス。
短くて、
静かで、
雨よりも、温かかった。
唇と唇がほんの少し。
ミリ単位で離れた瞬間、
彼が小さく笑う。
「……ずっと、
我慢させてたな」
私は
私は
その時
その瞬間
彼の瞳に映る
私は彼に溺れた。
子供の頃、
海で溺れそうになった時みたいな感覚だった。
今自分がどこにいるのか、
一瞬わからなくなるあの感覚……
ああ、彼は私のすべてだ。
とその時気づいてしまった。
呼吸ができなくなるのに
縋るほど求めてしまう。
なのに、そこから這い上がりたくないくらい
深く深く彼の奥まで行きたい。
私は、
そこでようやく泣いた。
───fin───




