わがまま
その日は、彼女が少しだけ忙しそうだった。
一日中、
必要なやり取りだけを済ませて、
それ以上、近づいてこない。
……いつも通りだ。
なのに今日は、
それがやけに、胸に引っかかる。
収録が終わり、
人がばらけ始めたタイミングで、
気づけば、彼女の背中を追っていた。
「……あのさ」
声をかけた瞬間、
彼女の足が、ほんの一拍だけ止まる。
振り返った彼女の表情は、
仕事用の、きれいに整ったものだった。
それが、刺さった。
「少し、話せる?」
彼女は、
一瞬だけ迷ってから、
視線を逸らす。
「すみません。
今、ちょっと立て込んでいて……」
その言葉は、
丁寧で、正しくて、
――はっきりとした拒絶だった。
胸の奥が、
思ったよりも早く、冷える。
「そっか」
それ以上、言えなかった。
言えば、
踏み込みすぎる。
言わなければ、
この距離のままだ。
分かっていたのに、
勝手に期待していた自分が、
急にみっともなく思えてくる。
「……もういい」
つい、声が低くなる。
彼女が、困った顔をする。
それを見て、
余計に腹が立った。
自分に。
「俺さ」
言うつもりのなかった言葉が、
口をついて出る。
「君が、何も言わないのに
気づいてくれるの、
当たり前だと思い始めてた」
彼女は、黙ったまま聞いている。
「だから……
ちょっとくらい、
俺のわがまま聞いてくれてもいいだろって」
言い終えて、
自分でも呆れる。
子どもみたいだ。
しばらくの沈黙のあと、
彼女が小さく息を吐いた。
「……困らせるつもりは、ありませんでした」
静かな声。
「でも」
彼女は、まっすぐこちらを見る。
「一つだけなら。
一つだけ、聞きます」
心臓が、跳ねる。
「何でも、ではないですけど」
それでもいい。
それでいい。
今は、それだけで。
「じゃあ」
少しだけ、声を落として言う。
「今日は、
俺のそばにいて」
彼女は、
一瞬だけ目を伏せてから、
ゆっくり、頷いた。
それが、
彼女なりの精一杯だと、
分かってしまうのが――
もう、遅かった。




