意識と無意識
最初は、偶然だと思っていた。
収録の日、
控室に戻ると、椅子の位置が少しだけ変わっている。
照明の熱が直接当たらない角度。
「……あれ?」
誰がやったのかも分からない。
別に、大したことじゃない。
次の日は、
台本のページに小さな付箋が貼られていた。
内容は、
「ここ、言い回し変わってます」
それだけ。
言われなくても気づく程度の修正。
でも、言われないと流してしまいそうな差。
彼女だった。
「助かります」
そう言うと、彼女はいつも同じ反応をする。
「いえ、仕事なので」
笑わない。
踏み込まない。
距離を測るのが、妙に正確だ。
昼過ぎ、
喉が少しだけ重いと感じた頃、
楽屋に戻ると、
蜂蜜入りののど飴が机に置かれていた。
差し入れにしては地味で、
でも的確すぎる。
「……今日、声出しすぎたかな」
独り言に、返事はない。
彼女は、
こちらが不調だと騒がない。
心配を押しつけない。
ただ、
“必要な分だけ”を、置いていく。
気づけば、
一日の終わりに思い返している。
水。
椅子。
付箋。
飴。
全部、言われなければ忘れる程度のこと。
なのに。
次の現場でも、
その次の日でも、
同じことが、少しずつ形を変えて続く。
視界の端に、
必ず彼女がいる。
何かをしているわけじゃない。
ただ、
“いないとき”が分かるようになった。
ある日、ふと気づく。
彼女が忙しくしていて、
一日ほとんど話さなかった日。
――なんだか、やりづらい。
理由が分からなくて、
その感覚だけが残る。
帰りのエレベーターで、
鏡に映る自分の顔を見て、
少しだけ苦笑した。
「……参ったな」
これは、
優しさに慣れただけなのか。
それとも。
答えはまだ出ない。
でも一つだけ、確かなことがある。
彼女の気づかいは、
特別じゃないふりをして、
確実に、俺の日常に入り込んでいた。




