3:絶望への招待
翌日の朝早く、七海は通行証を手に、村井が指定した施設の前に立っていた。
町の中心から少し外れた区域。フェンスで囲まれた建物には、「関係者以外立入禁止」の看板が掲げられている。ゲートの前に見張り番が立ち、目を光らせていた。
通行証を提示すると、静かにゲートが開いた。
(今さら私に何を…?)
それが頭から離れなかった。
村井は、かつて結城と共に水資源研究をしていた。しかし、今では造水施設の主任研究員である。人間の血液から水を抽出するという方法でこの世界を救ったとされている人物だ。
しかし七海は、いや、"血水"を飲むすべての人々は、どのようにしてその水が作られているのかという具体的な方法を知る由もなかった。
村井が七海に何を見せようとしているのか。目的は何なのか。それは分からない。けれど、行かなければならないという使命感のようなものを、七海は感じていた。
案内された通路は長く、青白い照明が壁を照らしていた。 かつての研究所を思わせる、無機質な空間。そこでは、"信念"を持たない者は何者でもなくなってしまうような、そういう空間だった。
「失礼します…」
七海は通路の先にある扉を開けた。薄暗いその部屋の奥に、村井が立っていた。その姿には、変わらぬ冷静さと共に、どこか研ぎ澄まされた硬さがあった。七海は、緊張した面持ちで村井の第一声を待った。
「久しぶり。よく来てくれた。昔の同僚を呼び出すには、少し大袈裟だったかもしれないね。」
歓迎の言葉とは裏腹に、口調は淡々としていて感情が無い。
「何が目的なんですか?」
村井は、七海の問いには答えず、代わりに手元の端末を操作しはじめた。
「これを見てほしい。」
村井の背後にある大型スクリーンに、血水精製装置の稼働記録が映し出される。回路図、血液供給者の数値、水の生成量。単なる図、記号、数字…。どれも、人間の身体が"資源"として扱われている証だった。
「君に、現実を知ってもらいたくてね。君はかつて水を守ろうとした。あくまでも"自然の水"をね。でもそれは、もう幻想にすぎない。」
七海は、何も言い返すことができない。
「君がもし、今も水の研究者だと思うのなら、この状況を受け止めるべきだ。人類は、生き延びなければならない。そうだろう?そのためには、感情よりも、倫理よりも、優先すべきものがある。」
七海はスクリーンを見つめたまま、ただ話を聞いていた。この招待の意味はまだ掴めていない。けれどそれが、まるで小川の流れを堰き止める石のように、七海にとって好ましくないものであることだけは確かだった。