1:水を求める人々
無言の群れが、規則正しく列を作っている。
列の先にあるのは、町の給水ステーションだ。
ここで水の配給を得ることが、この町で暮らす者の日課である。
人々の手には、空のボトルが握られていた。
配られるのは一人あたり500ミリリットル。
成人が生命維持できるギリギリの量だ。
年配の男が、小さな女の子を押しのける。
女の子は、何も言わずに列を離れ、並び直す。
怒号もない。哀願もない。
この町にはもう、声を荒げるほどの感情さえ残っていなかった。
世界は干上がっていた。
川は枯れ、大地はひび割れた。
雨は降らず、空に雲があったことさえ、もうほとんどの者が覚えていなかった。
自然から水を得る術を失った人類は、この町にだけ残された、わずかな"水源"に頼って生きていた。
「あんた、まだ生きてんのか…」
背後からの声に、宮戸七海はゆっくりと振り返る。
感情を失った顔が並ぶばかりで、誰が言ったのかは分からない。
ただ、七海が顔を見ると、誰もが目を逸らした。
また別の方向から声が聞こえる。
「あんたが水を貰う立場になるなんてなぁ…」
どんな皮肉を言われても、何も返せなかった。
──研究者だった。水資源が専門だった。
あらゆる水源を活用しようと試みた。
しかし、世界の乾きは食い止められなかった。
何をしても、水は戻らなかった。
「すみません……」
七海は小さく呟きながら、無感情に列に加わった。
さっきの女の子が、また列から押し出されていた。
七海が自分の前に入れてやると、その子は無言で進み、ようやく水を手に入れることができた。
よかった……と、少しだけ思うのがやっと。
七海もまた、感情を失いかけている一人だった。
配給を終え、自宅に戻る。
すると、珍しく一通の手紙が届いていた。
しっかりとした封筒に、丁寧な手書きの宛名書き。
それは確かに自分の名である。
差出人を見る。
「……なんで?」
七海は戸惑いながら、封を切った。
村井宗一。
その名前を見て、七海の胸は過去の記憶に疼いた。
かつて自分がいた研究所で、それなりに地位のある研究者だった男だ。
『見せたいものがある』
短い手紙と、一枚の通行証が添えられていた。
七海の部屋には最低限の家具しかない。
暮らすのに必要ないものは、本棚くらいだった。
そこから古びたノートを取り出す。
研究時代の記録──。
ページの隅に、消えかけたペン跡が残っていた。
『血液から水を抽出する』
赤ペンで書かれたその言葉に、七海の指が止まる。
「まさか…。こんなの、ただの戯言よ…」
ノートを閉じる。
自分で書いた言葉なのに、不快感で胸がざらつく。
無性に喉が渇いて、配給の水を少しだけ口に含ませた。
その水がどのようにしてそこにあるのか…それを考えることも放棄して水を口にする自分。
七海はもはや、ノートの言葉が現実とそうかけ離れていないことを感じずにはいられなかった。