1 神官見習いその1
「レオン様!レオン様!!朝ですよ、礼拝のお時間です!!」
きんと冷えた早朝に、ジニアは手に持った鍋とお玉をガンガンと打ち鳴らす。目の前の布団の塊からは「う~っ」と唸り声が聞こえた。ジニアはさらにガンガンいわせながら、調子の外れた歌を歌い出した。
「お山の雪はぁ、そろそろ白か♪まだまだ赤か♪熊こはお山で眠ったかぁ~♪」
故郷の童謡を歌いながらジニアは一人盛り上がっていく。ガンガンガンガン。
「雪が降ったならぁ~♪家にこもって~」
「…んぁぁ、うるさいわ!!鍋か歌かどっちかにしろ!!」
布団を跳ね除けて、やっと王子が起きた。
ジニアはピタリと手を止めると慇懃にお辞儀をする。
「お早うございます、レオン様」
「もう少しましに起こせんのか…」
ぐったりしたように王子が言う。ジニアとて、最初の三日くらいは内心ビクビクしながらも普通に起こしていた。しかし王子は寝起きがもの凄く悪かった。朝の礼拝に間に合わないかと思って毎朝ヒヤヒヤした。
ホントに全然起きないんだもんなぁ。
ジニアが神官見習い(仮)として、王子の傍付きになってから十日が経過していた。寝起きの悪い王子のことをローニーに相談したら鍋とお玉をくれたのだ。遠慮なくやっていいと言われたので、吹っ切れて遠慮なくやっている。礼拝に間に合わないよりマシだった。
「ああぁ、頭が痛い…」
ジニアはお辞儀したまま目線だけを上に向ける。
そこには胸元がはだけて気怠げな雰囲気で灰色の髪を書き上げる美しい青年がいた。
目の保養だけど、ちょっと毒過ぎるから胸元はきちんと閉めて欲しい。
「はい、こちらお白湯です。私は廊下でお待ちしてますね」
湯気を立てるカップをサイドテーブルに置くと、ジニアはさっさと部屋を出た。
王子は高貴な生まれであるが、神殿暮らしが長いため身の回りのことはほぼ全部一人でやれる。着替えなどの手伝いは要らないと言われていた。
従者もローニーひとりだけで、ジニアが見た限り神殿内には他に親しい人もいなそうだった。
それにしても田舎の貧乏令嬢から王子付きの神官見習いかぁ…
人生ってどう転ぶか分からない。神官の見習い服に覆われた左腕を見下ろしながらジニアは思った。
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あの日、なかなか宿に帰らない妹を神殿に迎えに来た兄のエルムは飛び上がって驚いた。
妹が王子付きの神官見習いになるという。ジニアの腕にある『神』の文字と物騒な事情のことは伏せて、ローニーが上手く話してくれた。
「こちらとしても、妹さんの神聖文字がすぐわかるという訳ではないのですよ。経典に関しましては教皇さまの許可がないと全部は閲覧できませんし。しかも教皇さまは現在遊行のためにご不在なんです。ええ、お帰りは未定なんです。お忙しい方なんです。
神殿にいれば他の神官たちにも文字に見え覚えがないか聞き込みできますし、文字が判明するまでよろしければ妹さんをこちらでお預かり致しますよ」
ペラペラと愛想よく喋るローニーの後ろでは王子がふんぞり返っている。さぞ兄も困惑したことだろう。
「そうなんですか。あの、すいません妹と少し話をさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「構わない。だが、ここで話せ」
「はい」
王子にそう命令されて、兄の戸惑いが手に取るようにわかる。ジニアは兄に近づくと自分と同じ緑の目を見上げた。
「兄さん」
「大丈夫なのか、ジニア」
「うん、たぶん」
「ホントか?」
「うん」
本当は怒涛の展開にあまりついていけてないが。
兄は見極めるようにジニアの瞳をじっと覗き込む。
「ジニアがいいならいいんだが。無理はするなよ」
「…うん」
兄が優しく頭を撫でてくれると少し泣きたい気持ちになった。そんな二人を王子は静かな目で見つめていた。
そうして、兄はステラと共に王都を去っていった。
故郷の妹たちが心配だったが、兄は騎士団を予定より早めに辞めて家に帰ってくれると言う。我が男爵家の家長として家のことはなんとかするからお前はもう心配しなくていいと言われた。
それはそれで寂しかったが、もとより兄が騎士団から帰ってくるまで預かっていた家だ。それが少し早まっただけ。そう言い聞かせることにした。
そう言えば、と思って『羽根』の申告義務違反の罰金のことも念の為ローニーと王子に聞いてみた。すると王子は思いっ切り眉根を寄せてこう言った。
「そんなもの、この俺がいいと言えば帳消しに決まってる」
まごうことなく権力者の台詞だな、とジニアは思った。