2 見える?見えない?
「なんですか、なんで怒鳴り声がするんです?」
相談室の扉が開いて、黒髪の青年が顔を覗かせた。
部屋の中には怒りの形相の王子と、腕をつかまれたジニアがいる。青年はキョトンとした顔になった。
「レオン様、何してるんです?婦女子に手を上げてるんですか?」
「黙れ、ローニー。この女は俺の眼に対して喧嘩を売った。舐められたままではおれん。」
「分かるように話してくれません?」
ローニーと呼ばれた青年はジニアから王子を引き剥がしてくれた。事情を聞かれたので、ジニアはしどろもどろになりながらも説明をした。
神聖文字を見てもらいに来たのに、文字が無いと言われたこと。
『神の眼』持っているのに見えないのは嘘なのかと言い返したこと。それに対して王子がブチ切れたこと。
「うわ、貴女、よりによってそんなこと言っちゃたんですか?」
ローニーと呼ばれた青年はやっちゃったなコイツ、みたいな顔をした。
そんなに不味いことを言ったのだろうか?ジニアは今更ながら青くなるしかない。
「大体、神聖文字自体が見当たらなかったのに、嘘つきはそっちではないか!それなのにこの俺を侮辱するとは片腹痛いわ!」
王子の口は嘲るように歪んだが、眼は怒りでギラギラしている。
恐いよぉ。おうちかえりたい!
「うーん、ちょっとおれにも貴女の『羽根』見せてくれません?」
ローニーは思うところがあったのか、そんな要求をした。縮み上がっているジニアは大人しく左腕を差し出す。
「どれどれ…、あれ、確かにここにありますね?三文字」
「え」
ジニアと王子の声が被った。
この人はちゃんと見えてる?
「み、見えますよね?ここに、三文字ありますよね?」
思わぬ援軍にジニアは勢い込む。
おじちゃん神官さまは「読めない」と言っただけで「見えない」とは言ってなかったし、兄やダリアも文字自体は見えていたはずだ。
ジニアはもちろん、文字はちゃんと見えている。読めないだけで。
「なんだとぉ…?貴様ら二人でこの俺を謀っているのではなかろうな?」
王子が近づいてきて再び左肘を覗き込む。
きらきらしい灰色の髪からいい香りが漂ってきそうでジニアは不覚にもまたときめく。本当に、王子の見た目だけはいいのだ。
ジニアが場違いにほうけている間に、王子と青年のやり取りが続く。
「ないではないか。」
「ありますって、ここ。」
「ない」
「ある」
「な、い」
「あ、り、ま、す」
……。何かがおかしい。ここで三人はようやくそれに気づいた。ローニーが首を傾げて言う。
「うーん、どうやらこういうことですか?貴女とおれは見えている。レオン様は見えていない、ってことですか?」
どうやらその様子だ。ジニアはこくこくと頷く。
「なんだそれはどういうことだ」
王子はイライラが止まらないらしい。しかしその疑問に答えられる者はいなかった。
「あれっ?」
ローニーがジニアの肘を再び覗き込む。じっくりと観察した後、小さく息をのむ気配がした。
「…これ、この文字…」
「なんだ、どうした。」
「おれは神聖文字をきちんと学んだ訳ではありませんが、この一文字だけは知っています」
「えっ」
「それがどうした?」
ジニアは驚いたが、王子はだからどうしたという態度だ。
おじちゃん神官さまも知らなかったのに、この人にはわかるの?
でもローニーは心なしか顔色が悪くなった気がする。どうしたのだろう。
「この一番左の文字です。これは恐らく『神』の文字です」
「なに?」
反応したのは王子だった。
「本当か」
「レオン様の『羽根』、見せていただけません?比べてみればよりはっきりするかと」
王子は思いっ切り顔を顰めたが、ローニーの真剣な眼差しに折れたようで、ため息をついて神官服の襟首に手をかける。
ボタンを一つだけ外すと、首の下、鎖骨の間に紋様が現れた。左右対称に並んだ羽根をモチーフにしたような柄で、二枚の羽根の間に二つの印が縦に並んでいる。
「あっ」
ジニアは思わず声を上げた。確かに、上下に並んだ印の上のほうが、ジニアの左肘にある印とそっくりである。
「ホントだ。同じだわ」
「…やっぱり、まずいですね」
えっとジニアは思ったが口には出せなかった。なんだか雰囲気が異様だ。
王子も先程までの怒りが引っ込んではいるが、違う意味で険しい表情になっていた。
「おい、本当にそれは『神』の文字なのか。その女が精巧な入れ墨を彫り騙そうとしているわけではないのか」
「それならばレオン様の『眼』で見抜けるはずでしょう。大体、おれはあなたさまの傍付きですから知ってましたが、『神』の神聖文字は秘匿されているはずです。ここまで似せたものを彫れる可能性は無いに等しいですよ。
つまり、この方は『神』を含む文字を持っていて、何故かそれはレオン様には見えないということですね」
「何故俺には見えないんだ。『神』の文字だからか」
「それはなんとも。残りの二文字がわかりませんし」
「…ちっ」
王子は何か考える素振りを見せたが、急に「あ~」とうなりながら頭を掻き回したかと思うと、ジニアの左腕をがしりと掴んだ。ジニアは再び縮み上がる。
「なっ、なんですかっ、掴むの趣味なんですかっ」
「おいお前、何処にも行くな」
「へ?」
「俺の傍にいろ」