3 夜明け
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瞬き一つ分の間に、ジニアたちが目の前に現れた。
「え…うわっ!?」
強い光に眩んでいた視界を取り戻したローニーが驚きの声を上げる。
ジニアが、候爵を抱えて崖からこの野原へ瞬間的に移動してきたのだ。レオンも驚いて声が出ない。
ジニアの様相は普段とまるで変わっていた。まず目につくのは背中の翼だ。二対の翼が五つ…つまり十枚の翼がその背中をびっしりと覆っている。大変な迫力だった。さらに栗色の髪は地につく程長く伸び、色も銀と白を混ぜたような光り輝く色合いに変わっていた。瞳の色は、レオンと同じ色だ。内側から光を弾いて煌めく不思議な瞳。しかし同じはずなのも道理だ。
だって、自分の瞳が借りものなのだ。
目の前の存在から借りているものなのだ。
『ああ…、気配がします。ファーディナンドの子どもの子どもの…、代を重ねていますけどその血潮から同じものを感じます』
ジニアの声だけど、ジニアのものではない。喋っているのは別の存在だ。レオンとローニーは馬から下りて思わず跪く。そうしなければならないような威厳があった。候爵も腰を抜かしたように彼女の足元にへたり込んでいる。
ファーディナンド…初代国王の名前だ。レオンはゾクゾクと鳥肌が立つ。
『きっと、久しぶりと言うべきなのでしょうね。わたしにはない感覚ですれけど。…わたしの残した風切羽根が、わたしの作ったものを壊してしまいそうなので、これは回収しておきます』
候爵が「あ…あぁ」と声を上げてそのまま後ずさった。
彼女が手に持っていた大きな羽根がすうっと消えたのがレオンにも見えた。背中に生えた十の翼が震えるようにザワザワとうごめく。
『わたしの羽根に、わたしの力を込めるのは構わないのですが。バーチ・フロックス、あなたがしたいことをしてしまったらわたしの箱庭が壊れてしまいます。いけませんよ』
そう言って彼女は薄っすら笑った。慈愛に満ちたように微笑んでいるのに、それは心の底から震えるように恐ろしい微笑みだとレオンは思った。
「め…女神さま!!!」
何を思ったのか、候爵が額を土につけて畏れ多くも彼女に声を掛ける。
「あなたさまが降臨なさるとは…、何たる僥倖!お願いがございます!!どうか…どうかわたしの妹を元に戻してください!!あなたさまの力を持ってどうか!!」
『バーチ。わたしは人の願いを叶えることをしません』
冷たくも温かくもない声色で彼女は願いを斬り伏せる。
候爵は地に伏したままびくりと体を揺らした。
『わたしは力の欠片を無為に落とすだけ。落とされたそれを使って人を貶めるのも、救うのも、それは人が人にすることです。人が人にしかできないことです。わたしがここで力をふるうようなことはしません。わたしは何もしないのです』
「……」
候爵は顔色を悪くしたまま黙ってしまった。こうまではっきりと断られてしまってはもう何も言うことはできないのだろう。
『しかしそうですね、せっかく降りてきたのですから、特別に掲示とやらを授けましょうか。バーチ、ファーディナンドの血を引く者がこの者以外にまだいるはずです。その者に相談しなさい』
ファーディナンドの血…つまり王家の人間ということか?レオン以外の王家直系の血を引く者と言ったら国王とアデルバードだけだ。候爵は戸惑ったようだが、再び額をつけて「はっ…」とだけ言った。
ふと、レオンの耳に遠くから響く馬蹄の音が届いた。
誰かくる?
『おや…』
すぐに現れたのは必死の形相で馬にしがみつく教皇と、それに続くアデルバードだった。
「女神さま!!!」
年老いた教皇のどこにそんな力があるのかと思うほどの大音声だった。馬を無理矢理止めると、転げるように降り立って跪いた。
「ああ…ああ…、サフィレットさまの預言は本当だった!女神さま…、ご降臨に立ち会えまして嬉しく思います!!」
教皇は息も絶え絶えの様相だが、涙を流して喜んでいる。アデルバードはジニアの変わりように驚愕しているが、同時に教皇の様子も心配そうに見ていた。
『わたしを祀っている教主ですか。』
「ははっ!」
『良いのです、楽になさい。『器』が産まれたので風切羽根を回収するついでに降りてみただけなのです。あまり居座ると『器』が壊れてしまいますので、わたしはもう還ります』
「ははっ!ああ…ああ…、御言葉を交わせて、大変幸せで御座いました!」
教皇の顔は汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
『レオンハルト』
突然名前を呼ばれた。思わず顔を上げて、彼女と目が合う。ジニアの顔なのに、表情はまるで違う。翼が意思を持っているかのようにバサリと音立て伸びる。
『この『器』は、あなたに会いたくて飛んだのですよ。向こうの崖からここに現れたのは、『器』の意思です。…彼女の想いを大切になさい』
そこまで言うと、次の瞬間には背中の羽根はきれいさっぱり消え失せ、姿も元のジニアに戻っていた。
「ジニアっ!」
ジニアは意識が曖昧なようで、体がフラフラとしている。レオンは咄嗟に駆け寄って彼女を抱き締めた。
「ジニア、ジニアっ、大丈夫か!?」
「レオンさま…?」
焦点が合わないが、ぱっと見たところ怪我などはないようだった。震える腕が伸びてきて、レオンの背中に回された。
「レオンさま…わたし…わたし…」
「ああ、もう大丈夫だ。安心しろジニア」
「よかった…、レオンさまが無事で…よかった…」
ジニアの目尻から涙がポロポロと溢れた。それが何よりも尊いものに思えて、レオンは抱き締める腕に力を込める。暖かい体で互いの存在を確認し合うかのように。
ローニーはそれを黙って見つめ、アデルバードも安心したように微笑む。教皇は祈りを捧げながら叩首して、候爵は呆然と中を見つめていた。
空はもう、完全に日が昇って朝を迎えている。
長い長い夜が明けたのだった。
明日、第9章(4話)とエピローグの全5話分を一気に投稿します。




