3 村の神殿その1
結局、村にある神殿には兄とダリアとジニアの三人で向かった。少し遠いので、双子の弟妹はカシア夫人とお留守番だ。
馬のステラに姉妹二人で乗り、兄は手綱を引いてくれた。のどかな村の風景を眺めながら馬に揺られている間中、ダリアはずっと冷え切った姉の手を握りしめていてくれた。その温もりを感じながら、ジニアも段々と覚悟を決めていったのである。
そうよね、ずっと逃げ回ってるわけにはいかないもの…。それに、兄さんが家に戻ってくるならいずれはお嫁さんもくるわけで、そうしたら私も小姑?
兄の言う通り、結婚は論外にしても身の振り方を考えないと。
家の外に働きにでるという選択肢をとっても、自分の『羽根』をはっきりさせたほうがいいのは間違いなかった。
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村外れにある神殿に来るのは4年ぶりだ。子供の頃は「王さまと聖女さまと翼の女神さま」の絵本が大好きだったので、両親にせがんでは熱心にお祈りに来たものだ。
「おおっ、これはこれは。丘の上のシダー家の皆さんかい?こんにちは」
この神殿のおじいちゃん神官さまがよく通る朗らかな声で出迎えてくれる。かつては王都にある中央大神殿で修行してそこそこの地位についたことのある凄い人らしい。だがこの辺りの人たちにとっては親しみやすいお茶目なおじいちゃんといったところだ。
おじいちゃん神官さまがこちらに目を向けておやっとする。
「あぁ、まさかジニアかい!?そうかい、そうかい、ようやく来てくれたのかい。あぁ女神さまに感謝を。やれ嬉しいねぇ、飴をあげようか」
おじいちゃんがにこにこしながら神官服の袖をまさぐり始めた。
そんなところに飴を常備してるの?びっくりしたが、ジニアはもう飴を貰って喜ぶ年齢でもない。
「神官さま、お久しぶりです。あの、歓迎してくてれありがとうございます。でも今日はダリアの儀式をお願いしてあったはずですので、そちらをお願いできれば…」
「ああ、そうだったねぇ。ダリアももう十三歳かい、早いもんだねぇ。あの小さかった子が!」
おじいちゃん神官さまは袖を離してダリアに話し掛ける。
飴は今度ヒースとデイジーを連れてきた時にでもいただこう。ジニアはそう前向きに考えることにした。
まだまだ話したそうな神官さまをなんとか誘導して、儀式を初めてもらった。
神殿の中で一番大きな部屋は祈りの間だ。広間の奥の祭壇に翼を広げた女神さまの立像が置かれている。それに向き合うようにベンチがいくつも置かれ、三十人くらいは一度に座れるだろう。ジニアと兄はそのベンチの一角に座っていた。
高い天井は女神像を照らすようにその上だけ丸いガラス窓になっており、女神像にはガラスを通して秋の日が降りそそいでいる。
ジニアはこの女神像が好きだったのだ。薄暗い神殿の中に光で浮かび上がって、キラキラとして神秘的だ。
ジニアが像に見惚れているといつの間にか儀式は進んでおり、真剣な表情の神官さまが小さな瓶から聖杯に水を注いでいた。
ダリアは女神像の前でひざまずき、両手を組んで祈りを捧げていたが、神官さまが差し出した聖杯を受け取ると中の水を飲み干す。
「天上におわします我らが女神よ、どうかこの者に慈悲を。あなたさまの御羽がトアトル王国を照らす光の一助となりますように」
威厳をたたえた声で神官さまが唱え終わると、像の上の天窓がキラッと光った気がした。そこからふわりふわりと何かが降ってきて、ダリアの左手首に落ちるとまたキラッと光って消えた。
「今の…」
「ああ。あれが女神さまの『羽根』さ。ジニアは見るの初めてか?」
隣の兄に言われて頷く。
「今ダリアの左手首に紋様の『羽根』が浮かび上がってるはずさ。何を貰ったんだろうな?」
兄が言い終わると同時に「おおっ」とおじいちゃん神官さまが声を上げる。
神官さまは古くて重そうな本を抱えていた。
「これこれは。わしがこの『羽根』を見るのは実に久しぶりじゃ。20年ぶりじゃったかのぅ。この神聖文字はこう書かれておる。『恵みの水』とな」
「『恵みの水』?」
兄と共に二人の近くへ行き、妹の手首を覗きこんだ。ダリアの手首の甲に今までになかった細かな羽根の紋様と二つの印があった。
神官さまは手元の本を何やらめくっている。
「そうじゃ。確か…どれ、ここかな?違うか。やれ最近は老眼が厳しくてのぉ。んー、あったあった」
先程の威厳をきれいに消し去っていつも茶目っ気を発揮しながらおじいちゃん神官さまは続ける。
「『恵みの水』とは、祈りを捧げるとその者に必要なほんの少しの水を分け与えてあげることができる。祈りや修練によって、与えられる水は増えることもあるだろう。…と経典にはあるのぅ」
神官さまが持っているのは教会の経典のようだ。『羽根』のことについて書かれているのだろうか。
「へぇ…なんだか便利そうだな。ダリア、ちょっと水を出してみろよ。水だと…うーん、何か受け皿とかあったほうがいいのかな?これでいいか」
兄が腰から下げていた空の革袋をダリアに差し出した。
「う…うん。」
妹は儀式の興奮からか頬がほんのり赤く染まっていた。兄が手に持った革袋を見つめると、手を組んで目を瞑った。
「女神さま…『羽根』の力をお貸しください」
ダリアが呟いた途端、萎んでいた革袋は瞬時に張りを持って膨らんだ。驚いた兄が袋を振ると、中からちゃぷんと音がする。
「す…、凄いわダリア!とっても凄い力ね!ああ、賢くて可愛くて、だから女神さまもこんな素晴らしい力をお与えくださったのね!」
興奮したジニアが妹に抱きつく。ダリアはどうやら疲れたようで、ぐったりしたように姉に身を任せた。
「ふむふむ。慣れぬ内は力を使うと疲れることもあるからのぅ。日々よくよく精進することじゃ。何はともあれ、祝福をおめでとう、ダリア」
「はい…、ありがとうございます」
ああ、妹の成長が素晴らしいわ。ダリアの頭を撫でながらジニアは思った。行く前は不安だったけど、神殿に来られてよかったのかもしれない…
感動に打ち震えていると、神官さまとパチリと目が合った。
「さてさて、次はジニアの番じゃのう」