5 候爵の闇その2 ◎レオン●ジニア
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「そうか、レオンに七歳までの記憶が無いのは、ひょっとしてフロックス候爵の力のせいか?」
アデルバードは真剣な顔で呟いた。
「候爵の『羽根』…か?そういえば知らないな…」
衝撃の事実の連続で青い顔をしたレオンは力無く返した。まさか、自分が先王の息子でフロックスから憎まれている可能性があるとは。
「候爵の力は『忘却』だよ。…十二年前君が城を抜け出して母親に会いに行ったときにやられた可能性が高いな。候爵は母親にあたるリリィが息子との再会に感動して離したくないと言うので、神殿に行くまで候爵家で預かると申し出てきたんだ」
「そうだ。…わたしはそれを許可した。フロックス兄妹には同情していたからな。城での面会の申し出は候爵に断られたが、押しかけたレオンに実際会ってみたら可愛くなったと思ったのだ。母と子でゆっくり過ごして欲しいと思ったんだが…」
国王は当時を思い出しながら苦渋を滲ませた声で言う。
アデルバードは眉間に皺を寄せて話を続けた。
「君はそのまま候爵家から神殿に行き、徹底的にこちらとは面会が謝絶された。これも裏で候爵が手を回していたんだろうな。先代の教皇は金に汚い噂があったから、金でもばら撒いて神殿にも根回ししたんだろう」
レオンにとってフロックス候爵とは温かみのある親交をしてきた訳ではないが、神殿と外との唯一の繋がりだった。幼いレオンに家庭教師を派遣してくれたり、今回の衣装のように要望すれば応えてくれる存在だった。
でも、レオンの記憶を奪っていた可能性がある。
それだけではない。アデルバードがレオンを暗殺をしようとしていなかったとしたら、あれは——
コンコン。
窓が叩かれる気配がして、レオンの後ろにいたローニーがすぐに反応した。
「おれが見てきます」
夜もだいぶ更け窓の外は真っ暗だ。ローニーは慎重に近づいていたが、すぐにあれっと声を上げた。
「ホリィの猫です」
「ホリィのねこ?」
ローニーは窓を開けて猫を抱えあげた。赤毛の猫が大人しくローニーの腕におさまっている。
「ホリィの『羽根』ですよ。『伝書の猫』っていうらしいです。何か知らせたいことでも…」
『大変です!フロックス候爵さまが神殿に乗り込んできて、宝物庫のほうで暴れている模様です!ジニアがレオン殿下に知らせるようにお願いしていたので、ローニーさん、殿下にも知らせてください』
猫はホリィの声でそれだけ一気に喋ってみせると、猫らしく「にゃあ」と一声だけ鳴いて煙のようにふっと消えた。
レオンは一気に血の気が引く。
「今のは…本当か…」
今、このタイミングでその知らせは最悪だった。
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「何か言いたそうだな?大声を出さないと誓えるならそれを取ってやる」
候爵に言われてジニアはこくこくと頷いた。候爵は乱暴に猿轡を引き下ろす。久しぶりに新鮮な空気が吸えた気がして、ジニアは大きく深呼吸してから候爵の話を聞いて気になったことを質問した。
「候爵さまのおっしゃることが本当なら…、レオン様を暗殺しようとしていたのは誰なんですか?アデルバード殿下ではないですよね?」
「ああ…そんなことか。もちろんわたしだよ」
何が楽しいのかフロックス候爵は笑った。そんな邪悪な笑顔をジニアは生涯見たことがなかった。背中がチリチリする。
「何でそんなことを…」
「もちろん、王家と仲違いさせるためさ。まぁ別に、本当に死んでもよかったが」
「なっ…」
この人の妹が不幸な目に合ったことは理解できる。けど、王子自身には何の罪も無いのに。ただ産まれてきただけなのに。
「どうして…、レオン様にそんな酷いことができるんですか」
「あのおぞましい男の血を引いている、それだけで充分だ」
吐き捨てるように言う候爵の昏い瞳は、井戸の底の様だ。そして今のジニアは底にあるのものが何であったか理解していた。
———それは、果てしない憎悪だ。
「でも…こんな大胆なことをしてしまったらあなたもただでは済みませんよ?」
「そんなことを覚悟してないとでも思ったか?今日は教皇もレオンもいない絶好の機会だった、足りないのは機会だけだったんだ。覚悟はいつでもある。貴様と一緒にするなよ。身分が低いくせに、半端な気持ちでレオンハルトとパーティーに行って浮かれていたのだろう?」
候爵の言う事はジニアの急所を突いた。
綺麗な令嬢や会場で気後れしていた自分。
半端な気持ちだから、覚悟がないから。
ジニアに足りていないのはそれだと不覚にも候爵の言葉で気づいてしまった。
「貴様に昔話をしたのは何故だと思う?わたしの邪魔をしないでもらう為だ。貴様の『羽根』は未知数だから、チョロチョロされると目障りなのだ。大人しく捕まっていれば、目的を果たした後に帰してやろう」
「目的?」
候爵はそこで横に置いてある木箱にチラリと視線を移したが、すぐに視線を戻すと続けた。
「わたしの願いはたった一つだけだ」
候爵はそれきり黙ってしまった。
馬車はだんだんと速度を落としてきたようだ。もうすぐ目的地なのだろうか。
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「とにかく神殿へ向かうぞ」
「僕も行く。ここまできたら罪人として候爵を捕縛しないと」
レオンが立ち上がると、アデルバードもそれに倣う。国王が重々しく声を掛けた。
「すまない、二人とも。頼んだぞ」
その時、扉が再びノックされた。アデルバードが訝しげに「はい」と返事をすると、侍女とアデルバードの婚約者サフィレットが立っていた。サフィレットはどこかぐったりとして半ば侍女に寄りかかっている。
「サフィ、どうしたの!?」
アデルバードが慌てると、侍女は冷静に告げた。
「殿下、どうやらサフィレット様に『預言』が下りてきそうなのです」
「えっ、このタイミングで?」
アデルバードは困惑している。レオンは侍女の言葉を聞き咎めた。
「『預言』だと?まさか城にいる『預言』の『羽根』持ちとは…」
「ああ、レオンは知らなかったんだね。そう、『夢見の預言』っていうがサフィの力さ。その名の通り寝てる間に預言が下りてくる力なんだけど…。なんで起きている時に預言が?」
なんだか知らないが、今それに関わっている時間が惜しいのでレオンは断ってから部屋を出ようとした。しかし、それを止めたのは他ならぬサフィレットだった。
「お待ち…ください…何やら…とても大事な…ことだと…」
そう言うとサフィレットの頭がグラグラし始めた。
慌てたアデルバードが抱きかかえてその場に横たえさせる。
「サフィ、大丈夫かい?」
「…」
サフィレットはどうやら眠っているようだ。しかし腕がすうっと上に持ち上がって、どこか遠くから聞こえるような厳かな声でそれを告げた。
「ジニア・シダーは東の地に赴く。そこに『翼』が降りてくる。それは二度目の降臨であり、すなわち彼の者と魂を同じくする者である」




