4 過去へその2
「殿下の子として?」
「ああ、母の興味はわたしには無い。わたしの側室として子を産んだなら城の中でも育てられるだろう。どちらにしろ王家直系の血を引いていることには変わりないしな。それに、妹御を城に召し上げるようなこともしないから安心してくれ」
「殿下はそれでよろしいのですか?」
「むろんだ。これは王家の責任で、わたしの責任でもある。この話はわたしの妻には事情を話すしかないが、他言無用だ。わかったな?」
候爵の隣に座る青年は黙って頷く。その顔色は真っ青で唇には血の気がない。無理からぬことだと候爵は思った。
「承知致しました。殿下のご配慮に感謝致します」
その時、密談の場にノックも無く闖入者が現れた。
「フロックス候爵が来ていると聞いたぞ。リリィを連れてきたのか?」
国王だった。しかも離れた場所からでも臭う程酒臭い。髪も服装も乱れ、顔は無精髭に覆われている。候爵は衝撃を受けた。これがかつての英雄と言われた『青嵐の王』なのか?
「父上、無礼ですよ!」
王太子はいきり立つが、国王はどこ吹く風だ。手に持っていた酒瓶をぐいと煽いでからまるで夢見るように語り出した。
「おい、リリィはどこだ?あの娘は実に良かった。リリィに約束したんだ、ババアと離縁してお前を王妃にしてやると…」
候爵は青ざめた。この王は正気なのか?
隣の青年も俯いたまま震え出しているのが横目で見えた。
「リリィは、泣きながら喜んだぞ…。ははは、実に可愛い女だ…、だから早くリリィをおれに寄越せ。あのババァを蹴落としてやるから…」
その時、何が起こったのか候爵は始め理解出来なかった。
青年が椅子を蹴飛ばして風のように突進しながら「俗物め!!」と叫んだかと思うと、次の瞬間には血まみれで国王の前に倒れていた。
「な…」
国王は酒瓶の代わりに血まみれの剣を握っていた。瓶は王の後ろで派手に割れている。青年は短剣を握っていたが、それは血まみれではない。
——短剣で襲い掛かった青年を、国王が返り討ちにしたのだった。
酔っ払いに見えても、そこは戦で勝ち抜いた戦士だった。帯剣していた剣を抜き咄嗟の早業で斬り伏せたのだ。
「な…んだ、こやつは。不届き者めが!!」
王は一気に酔いが覚めたらしい。不意打ちで襲われた衝撃で頭に血が上っている。怒りのまま、すでに絶命した青年の首を叩き斬ろうと剣を振り上げた。
「おやめください!!その者はリリィ・フロックスの婚約者だった男ですよ!!」
王太子の叫びに国王はピタリと動きを止めた。
「…もう、あなたはとうに限界だったのかもしれない」
王の息子は、悲しげに呟いた。
これが二つ目の悲劇だった。
青年の国王暗殺未遂騒動は秘密裏に処理された。そもそもあれは密談の場だったので事件そのものが無かったことになり、青年の罪も存在することは無くなった。それには王太子の温情も過分に含まれている。
しかし青年の遺体を堂々と城から運び出すわけにもいかないので、侵入者がいたから騎士が斬ったという形で城外の身元不明者の墓地に埋葬された。
青年の実家には婚約者が王太子の側室になったことに耐えられず失踪したということでなんとか誤魔化した。
候爵は嘆息する。今までリリィを支えてきた青年がこつ然といなくなったのだ。妹に真実を話すわけにもいかず、リリィの状態は更に悪化するばかりだ。
そうこうする内に、リリィは臨月を迎え出産した。
健康そうな男児だった。
だがリリィは「悪魔が腹から出ていった」と言うばかりだし、候爵もあの王の息子だと思うと到底可愛がれるとは思えなかった。
城では、ついに王の交代劇が起きた。表向きには年齢を理由にした国王の退位だったが、あの王太子が相当怒っていたことは候爵も知っている。リリィや青年の事件を盾に王位を譲るよう強要したのだろう。退位後は王妃と共に王都郊外の離宮で蟄居するようだった。
——これで産まれてきた子を安心して預けることができる。
赤子が候爵家から去ると、リリィはいくらか平穏を取り戻したかに見えた。しかし産後の肥立ちは良くなく、ほとんどベッドに伏せるようになってしまった。
候爵には一つ、ずっと迷っていることがある。
候爵の『羽根』の力は『忘却』だ。これは珍しい力で、候爵自身も実は一度も力を使ったことがなかった。対象の記憶を忘れさせることができるらしいが、この力を使うタイミングなど今までなかったのだ。
リリィに、辛いことを忘れさせるべきか?しかし上手く力を使えるか分からないし、楽しいことまで全て忘れてしまったらと思うと中々踏み切れないでいた。
そんな中、ゆっくりとリリィは回復していった。
男児はレオンハルトと名付けられ、王城ですくすくと育っているとだけ聞いた。リリィは子の名前さえ聞きたがらない。だが妹が無事ならば、レオンハルトのことなど候爵に取って些細なことだった。
レオンハルトが、何やら強い力を持っているため神殿に預けることになりそうだと聞いたのはそれから七年後のことだ。神殿に行く前に一度会っておくかと国王になったローレンスから打診があったが、断った。
未だリリィはベッドからは出られない。しかし精神的にはとても安定し、候爵はこの平穏を壊したくなかった。昔よく遊んでいた人形を撫でながら、穏やかな顔で庭を眺めて過ごしている。そんなリリィの傍でお茶を飲むのが候爵の日課だった。その日も、仕事が一段落ついた後リリィの部屋で過ごしていた。
だから忘れていた。悲劇は無遠慮に、突然に、そして強引にやってくるものだと。
三つ目の悲劇がやって来て、リリィの部屋のドアを開けた。
「……母さま?」
それは七歳のレオンハルトだった。強いと言われる力を使って城を抜け出し、持ち前の行動力を発揮して産みの母にわざわざ会いに来たのだ。
リリィは、始めきょとんとした。
だがレオンハルトにクリストファーの面影を見たのだろう、すぐに顔色を失くして震えだした。
候爵は大いに慌てた。
「あ、あなたはまさか、レオンハルト殿下ですか?何故こんな所に?一人ですか?」
「うん。ボク『しんでん』に行く前に母さまに会いに来たの。かあさ…」
金切り声が部屋に響いた。
叫び声は形にならないが、所々「悪魔」「何で」「来ないで」などの言葉が聞こえた。
尋常ではない実母の様子にレオンハルトは真っ青になってその場にへたり込んだ。
——候爵は、咄嗟にレオンハルトの頭を鷲掴む。
なぜ、なぜ妹の平穏の邪魔をする。あの男も、あの男の子供も!!!!
『忘却』を、初めて全力で使ってしまった。




