8 候爵の屋敷
馬車はセワ川を渡り、石畳の上をゴトゴトと王城区へ進む。
候爵の屋敷はセバド城からほど近い貴族たちの屋敷が集まった貴族街にあるらしい。
あれから話し合いの末、ジニアはパーティーに王子の侍女として参加することになった。王子は最初「何があるからわからないから」とジニアを留守番させようとした。しかしそこはジニアも譲らなかった。
「何があるかわからないなら、余計に連れて行ってください。私の『羽根』の力が役に立つかもしれません!」
「……しかし」
「おれも賛成です。衆人環視の暗殺はないと言いましたが、未知の『羽根』の力があったらどうなるかわかりません。ジニアさんならそれでも防げます」
二人に説得されて、渋々と言った体で王子は頷いてくれた。しかし王子は真面目な顔で妙な事を言いだした。
「ジニアが俺と行くなら、ドレスがいるじゃないか。流石に二週間でオーダーメイドは無理じゃないか?男除けに羽根飾りのネックレスだっているだろ。」
「え?」
オーダーメイド?ドレス?ネックレス?
そこで何故かローニーがキレた。不敬にも王子の頭を手でパシンと叩いた。
「こんの色ボケ王子が!そういうのは今回は諦めろ!ジニアさんは侍女として行けばいいだろうが!」
「貴様!この俺の頭に何をした!?」
「中身が入ってるか確かめたんだよ!」
そこから主人と従者の喧嘩になった。ジニアはポカンと見つめるしかなかった。
その王子は今、馬車でジニアの隣に座っている。以前乗った時は向かい合うように座っていたのに、何故か今日はジニアにくっつくようにして座っていた。
——ホントに、どうしちゃったのかしら、レオン様。
王子の変化に戸惑うばかりだ。怒られるわけではないからいいものの、これはこれで反応に困ってしまう。
「……もしも次の機会があったら」
「え?」
王子は窓の外に目を向けている。ジニアはその横顔を見つめた。
「パーティー。次の機会があったら、俺にドレスを贈らせてくれ。お前に似合うのを見つけたい。その時は、侍女じゃなくて俺の隣にいてくれ」
「え…」
王子はそれきり黙ってしまった。ジニアはなんだか恥ずかしくなってしまって自分の膝に視線を落とす。
それって、パートナーとして出て欲しいってこと?
でも、王子と自分では住む世界が違う。以前見た公爵家のお姫様を思い出す。王子とはあのくらいの身分の高さでないと釣り合わない。
田舎の貧乏男爵令嬢じゃほぼ平民みたいなものだもの…。王子の侍女になれただけでも幸運だわ。
それに、傍にいたいと願ったのは王子に寂しい思いをさせたくないからで。それは幼い妹たちに寄り添いたいと思う気持ちとそう変わらないはずだ。きっとそう。
そんな答えを出して、溢れ出そうになる気持ちに蓋をした。
●
「これはこれは、王子殿下。お初お目に掛かります。ようこそいらっしゃいました」
フロックス候爵のお屋敷に入ると、白髪を綺麗に撫でつけた執事が慇懃に挨拶してきた。王子が候爵の屋敷を訪ねるのは初めてのことらしい。
候爵家の名に相応しい立派な造りの家だが、どことなく暗い雰囲気が漂っている気がした。あまり陽が入っていないせいだろうか。執事の態度も丁寧ではあるが、どこか平坦な感情のこもらないものだとジニアは感じた。
「急にすまない。邪魔をする」
「とんでもございません。こちらへどうぞ、ご案内致します」
執事が先導して王子とジニアは歩き出す。ローニーは馬車で待機している手はずだ。
薄暗い廊下は飾り気はないものの、綺麗に手入れされている。壁際には何枚か絵が掛けられてた。皆、同じ少女をモデルにしたもののようである。
灰色の髪に、灰色の瞳をした美しい少女だ。絵の中では上品に微笑みかけていてるが、どこか儚く脆いような印象を受けた。ジニアはその顔が王子に似ていることに気付く。
王子も気が付いたようだ。立ち止まって、その絵を食い入るように見つめていた。
——ひょっとして、この少女は…
「この絵のモデルは、フロックス候爵の妹か」
王子が尋ねると先を歩いていた執事も立ち止まり低頭して答える。
「は…。左様でございます。畏れ多くも殿下のご母堂であらせられるリリィ様にございます」
「…そうか。病でずっと静養しているんだったな?」
「はい。こちらではなく、領地の屋敷にいらっしゃいます」
「そうか」
ジニアは王子から母親の話は一切聞いたことがない。病だというし、色々事情があるのだろうか。
王子はもう一度絵の中の少女を見つめると執事を追って歩き出した。その横顔がはっきりと悪くなっているのにジニアは気付いた。
「レオン様?どうかしました?」
「いや…何でもない」
何でもないという顔色には見えなかったが、候爵の屋敷の中で強くも出られずジニアは黙った。
応接間までの道のりにはその後もリリィの肖像画が何枚も続いた。そのどれもがジニアと同じくらいの十六、七歳頃の絵のようだった。屋敷の主人の妙なこだわりを感じてしまい、ジニアは薄ら寒い気分になって知らず腕をこすり合わせていた。
●
「結婚記念パーティーへおいでになる?そうですか、分かりました」
応接間で王子がパーティーへ出席する旨を候爵に持ちかけると、理由も聞かずに候爵は快諾した。
「それで、法衣が用意できそうになくてな。代わりの衣装もないから、今から服を用意することが可能な店を紹介してくれないか」
「畏まりました」
「それと、この娘は侍女として連れて行くから侍女服一式も用意してくれ」
「畏まりました」
相変わらず無駄話の一切ない淡々としたやりとりである。候爵の声には人間味というか、温かみが感じれなかった。王子も候爵とやり取りする時はどこか距離のある声音で話す。
「それと…」
ここで王子が言い淀んだ。その顔色はまだ悪いままでジニアはハラハラする。
「母…母上は元気でいるのか」
その瞬間、候爵の瞳がわずかに動いた気がした。しかし微かな揺らぎは次の瞬間には元に戻っていた。
「はい。殿下がお気を煩わせるようなことは一切ございません」
「…そうか。邪魔をしたな。諸々の手配は頼む」
顔色がどんどん悪くなる王子はそこで限界が来たのか、話を切り上げた。
「レオン様」
心配になったジニアは王子に寄り添うように並んだ。
「大丈夫だ、ジニア」
二人並んで応接間を出る時、ふと視線を感じて後ろを振り返ってジニアはドキッとした。
フロックス候爵があの昏い井戸の底のような瞳で、じっとりと王子とジニアを見つめていたのである。




