4 小石の波紋
適当な場所まで来ると、王子はやっと腕を離してくれた。ここは王都の真ん中を縦断しているセワ川のほとりであまりひとけのない川辺だった。
王子の登場に驚いていたジニアだったが、呼吸を整えて少しばかり冷静さを取り戻していた。
「レオン様、どうしてこんな所に?何があったんです?」
「……」
王子はジニアに背を向けている。どうしたのだろうか。神殿からほとんど出ない王子が何故急にこんな街中にいるの?
「レオン様?」
「…おまえは」
「はい?」
「おまえは何故そこまでするんだ?」
「えっ?」
王子は背を向けたまま静かに語りかけてきた。
「そこまでって…?」
「ホリィとかいう娘に聞いたぞ。王城の侍女や騎士たちが通う店に行っているようだと。それはひょっとしてアデルバードの話を聞くためか?」
「は、はい。そうです。」
王子がホリィに会ったのか。どんな経緯で?想像もつかない。
「そんなことをしろと、俺は頼んでいない。何故そこまでするんだ」
「なんでって…」
ジニアはどう答えたらいいかわからなかった。王子の平穏と安全のために、そう言って納得してくれるような雰囲気でもなかった。
「しかもまたお前はナンパされかかってたぞ。あいつら、騎士団へ案内するだ?下心が見え見えで反吐が出る」
「え?」
王子は吐き捨てるように言う。
先程の男の人たちの事だろうか。
「ナンパ…ですか?」
「そんなこともわからない危機感で、フラフラ街に出るな」
ここで王子がようやく振り返った。その瞳が静かな怒りでチリチリと燃えている。ジニアは思わずたじろいだが、ジニアなりの主張があったので言い返すことは忘れなかった。
「確かに、さっきのはちょっと軽率だったかもしれません。もうちょっと考えるべきでした。でも、街に出ることはやめませんよ」
「なに?」
「それこそレオン様に言われる筋合いはありません。私が街へ出るのだって自由じゃないですか」
「なんだと?」
王子の額に青筋が浮かぶ。どんどん険悪な雰囲気になってきた。
なんでこんな事に。私が街へ行くのがそんなに気に食わないのだろうか。ジニアには王子の考えていることがわからなかった。
「…おまえは、なんで故郷に帰らないんだ!」
堪りかねたように王子が叫んだ。
どこか悲壮な声に聞こえて、ジニアはどきっとして王子の目を見る。静かな怒りのなかに、ゆらゆらと揺らぐ何かが浮かんでいる。
「おまえが帰らないと、帰ってくれないと、俺は……困る…」
王子は顔を片手で覆って呻くように囁いた。
その懇願するような苦しいような拒絶に、ジニアの血の気がわずかに引く。
そんなに嫌がられていたのだろうか。ジニアのしていることが、傍に残ると決めたことが。
「レオン様…、そんなに迷惑でしたか?」
「!」
「あの…ごめんなさい。…そこまで、本気で嫌がられてるとは…気が付きませんでした」
動揺のあまり、語尾がわずかに震えてしまった。
「あの、すいません。考え無しでした。…失礼します」
いつものように怒鳴られるのとは違う、王子の心からの拒絶を初めて感じてしまってジニアは逃げ出した。
王子はそれを追うことなく立ち尽くしたままジニアの背中を見送った。
◎
「なーにやってるんですか」
茶々を入れたのはローニーだった。
レオンは川辺の適当な石に座って従者を見あげた。
「…見てたのか」
「ええ。まるっと全部ね」
「悪趣味だな」
「お互いさまですよ、あなただってその『眼』で色んな悪事を覗いてきたでしょ?」
減らず口の従者に、鼻でフンとだけ返事をする。気にしたふうもないローニーは手ごろな石を拾って川に投げ入れ始めた。
ぽちゃん。
「いいんですか、ジニアさんのこと追いかけなくて」
「…いいも何も」
言葉が続かなかった。
ローニーは石を何個も投げ入れてたくさんの波紋を描く。
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん。
「…本当はもっと何も言わずにいたかったんですけどね。仕方なし。ヒントですよ」
「何の話だ」
「その一。レオン様が、ジニアさんがナンパされてるのを見てムカムカしてるのってなんでです?」
「だから何の話だ」
ぽちゃん。
「じゃあそのニ。これはもしもの話ですよ、本気にしないでください。おれがジニアさんに結婚申し込もうかな~って言い出したらどうします?」
「は?」
言われたことの意味がわからなくてローニーを睨み上げた。その間にも石は飛沫を上げて沈んでいく。
ぽちゃん、ぽちゃん。
「おれにその気はないですよ。仮定の話。でもまぁあり得ない話でもないですよ。男爵令嬢と平民のおれならギリギリ釣り合いとれますしね。ジニアさんもお年頃、レオン様が教皇になればおれも将来有望。うーん、あれっ、結構いいんじゃないですか?」
レオンはほとんど瞬間的にローニーの胸倉を掴んだ。正体不明の怒りに囚われて、だがしかし止められなかった。生意気な従者は余裕そうな表情を崩さない。その手から石がコロコロと転がり落ちる。
「そんなの、俺が許さない」
「ジニアさんも言ってましたけど、王子といえどレオン様にそこまでの権限ないんですよ。ジニアさんが街へ行ってナンパされるのも、俺が結婚を申し込むのも。それは自由じゃないですか。何をそんなに怒るんです?どうして怒るんですか?」
「何だと…」
「故郷へ帰ってもらわないと困るのも、今なら間に合うって言ったのも。ホントは薄っすら気づいてるんでしょ?ねぇレオン様」
ローニーはヘラヘラしているが、その黒い目は真剣だった。何か大事なことに触れられた気がしたレオンは胸倉を掴んでいた手をゆっくりと離す。
「おれはこれでも嬉しいんですよ。レオン様が、人並みに当たり前の経験ができそうで。ジニアさんには感謝ですよ」
もうローニーの声は聞こえてなかった。
今すぐ故郷に帰ってもらわないと困るのは、自覚したら引き返せない予感がしたからだ。自分のことなのに自分では止められない。気づいてしまったらお終いだ。その未知への恐怖がジニアへ帰郷を促した。
でも、お節介な従者の言葉で今はっきり認識してしまった。
ジニアを失うのも嫌だ。他の男のものになるのも同じくらい嫌だ。それが例えローニーであってもだ。
ジニアの隣にいるのは自分だ。他の男ではない。
答えが出てしまった。
ーーージニアのことが好きなのだ。




