6 王子と従者その1
王子が居間を出ていくと、ローニーと二人きりになった。
「さて、いつ帰ります?ジニアさん」
「えっ」
ローニーは、ジニアの帰郷に反対していなかったか。急な手のひら返しに戸惑う。
「…まぁさっきおれはあんなこと言っちゃいましたけど。レオン様の雰囲気がもうダメですね。ああなったら従者としていうこと聞かないと」
「だから、私を帰すと?」
「ええ」
だがソファに深く腰掛けたローニーの態度はどことなく不服そうだ。ジニアは気になっていたことを聞いてみることにした。
「ローニーさんは、最初から私の『羽根』が王子の役に立つと思ったから私をここに置いたんですか?」
「まぁそうですね。でも最初に貴女に話したことや、貴女の兄君に話したことも本当ですよ。ただ、アデルバード殿下に対抗する強力な手札になりそうだとも思いました。ちなみに、王子の傍に置くんですから身元もきちんと裏付けをとりました。
——不愉快になりましたか?」
「いえ、そういうわけではないです」
それは本心だった。むしろ自分の神聖文字に関していくら不仲とはいえ他の神官たちと全然連携を取らなかった理由がわかってスッキリしたくらいだ。
王子は「どこに繋がっているかわからない」と言っていたが、アデルバード殿下との繋がりを警戒していたのだ。
それに、打算があったとしてもローニーと王子が良くしてくれたのも本当だった。だから不愉快と言うよりも前に、問題は自分自身の力のことだ。
「私の力…役に立つんですか?私自身は実感とかないんです。そんなに期待されても本当に役立つのかどうかもわかりません」
「いいえ、すでに役に立っているでしょう。レオン様を炎から守ってくれた。…あれに関してはおれも心から感謝してます。やはりおれだけでは護るのにも限界があると思いましたよ」
ローニーは自嘲気味に笑う。でもジニアからしてみればローニーが敵をほとんど倒していたわけだし、それはとても凄いことに思えた。
「あの、ローニーさんはいつからレオン様に仕えているんですか?」
「おれですか?おれは九歳からですよ。レオン様は七歳のときだったかな。かれこれもう十ニ年近くなりますか」
「そんなに小さな頃から?」
「ええ。おれは元々捨て子で、孤児院にいたんですけどそこをレオン様に見出されたというわけです」
「孤児院にいたんですか?」
王子の従者だからてっきりどこかの貴族なのだと思っていた。孤児院の出身とは以外だった。
「そうですよ。実の親に捨てられたんです。力が強くてね」
「力?」
「ジニアさん、知ってますか?『羽根』の力って元々産まれたときから持っているものなんですよ。十三の時にうける『羽根降りの儀式』っていうのは、正確に言うと女神さまがその人に眠っている力を引っ張り上げて名付けてくれる儀式なんです」
「えっ、そうだったんですか!」
それは知らなかった。てっきりあの儀式で女神さまが天上から力を授けてくれているのかと思っていた。
「だから、稀に儀式をする前から力を使える子どもがいるんです。レオン様もその類でしょうね。そしておれもそうだった。…影に潜んだり、急にいなくなったりする子どもで、元々放置気味ではあったんですけど、不気味だからと捨てられたんです」
興が乗ったのか、ローニーは王子との出会いも話してくれる。
「おれは孤児院でも馴染めなくて、年上の子によく虐められてました。だけど影に隠れていれば何故か誰にも気づかないからよく一人で隠れていたんですよ。あの日も殴られて隠れていたら、慰問に来ていた王子に見つかったんです」
王子はローニーの腫れた頬を見て言った。
「売られた喧嘩は買え。殴られたままでいるな」
ローニーは当時気の弱い子どもだったから、そんなの無理と答えたという。
「だったら俺が代わりに買ってやる。誰にやられた?」
そう言って王子は本当にいじめっ子を殴ろうとしたという。流石にそれはマズイと思ってローニーが必死で止めたらしい。
「衝撃でしたよ。自分より年下の子が偉そうで、喧嘩っ早くて。でも何よりも嬉しかったのが親でさえ影に隠れたおれを見つけられないのに、レオン様は見つけてくれたことです」
「……」
「それから、自分の傍付きにならないかと誘ってくれて。喜んで神殿についてきてみたら、また衝撃です。レオン様はまだ七歳なのに誰も傍におかずこの離宮で一人生活していたんですよ。仮にも王子なのにですよ?」
七歳といったら、双子の弟妹と同じ年頃だ。
まだ甘えたい盛りの子どもの時期なのに、たった一人でここに?
「そんな…」
「あの人、いつも偉そうにしてますけどね。いや偉い人なんですけど。…でも時々感じるんですよ、本当は寂しいと思ってるんじゃないかって。実の兄から命を狙われて、神殿以外の行き場はなくて。おれは誠心誠意仕えてるつもりですけど、それでも埋められないモノがあるんじゃないかって」
ジニアは思い出す。兄のエルムと別れるとき、兄はジニアの頭を撫でてくれた。それを静かに見つめていた王子の目。
自分に兄弟はいないと言い切った時の声の硬さ。
己の命を狙っている者の名を告げる時、一瞬だけ見せた悲しげな目。
それら全てを思い出して、ジニアは胸が締め付けられるような心地になり俯いた。
レオン様は私を危険な目に合わせるのは間違いだったと言って故郷に帰そうという。
でも、レオン様はずっと危険のままだ。
ーーたぶん、ずっと寂しいままなんだ。
その時、控えめなノックの音が居間に響いた。
この離宮に人なんて滅多にこないので怪訝な顔でローニーが返事をする。
「はい?」
「あの、すいません…、レオンハルト様にお客様です。お通ししてもよろしいですか?」
扉の向こうから小間使いのものらしい弱々しい声がした。
王子にお客様?ジニアが来てから初めてのことで、驚いた顔でローニーを見た。
「どちら様ですか?」
「フロックス候爵さまでございます」