2 深窓の令嬢
今日はセバド郊外にある神殿への慰問だ。
ジニアが王子の外出着の神官服を整えていると、王子が「これも忘れるな」と言って小さな布を投げてきた。
「あっこれ」
王子と初めて会った時に被っていた布の袋だ。
「これ、いるんですか?」
そう言えば、何故こんなものを被っていたのだろう。
「それがあると何かと便利なんだ」
どういう意味だろうか。ジニアは首を傾げた。
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その意味はすぐにわかった。
神殿の正面でローニーが馬車を用意してくるのを王子と二人待っていると、華やかな集団がどこからともなく現れた。
高価そうなドレスを身にまとった十代後半の少女たちで、その中心にいた金髪に派手な化粧の女が王子に向かって礼をとる。
「これはこれは、レオンハルト殿下ではございませんか。ご機嫌麗しゅうございます」
「ああ」
あれっ、レオン様ってばいつの間にかあの袋を被っている。入り口に着いた時には普通だったのに。
「これから慰問でございますか?下々の者とのお戯れもよろしゅうございますが、陽の曜日の礼拝でお顔をお見せくださるとわたくしたちも嬉しゅうございます」
「ああ」
陽の曜日の礼拝とは週に一度大神殿で行われている一般向けの礼拝である。一般向けとはいっても来るのは貴族が中心で、慈善活動としてさかんに寄付も行われているとか。
レオン様はこの礼拝を嫌っていて参加しているところを見たことがなかった。
「殿下、たまには慰問ではなくわたくしたちの茶会にいらっしゃいませんか?わたくし、もっと交流をはかりたいのです」
「……」
レオン様、さっきから返事が投げやりな感じだけどいいのかしら。
ジニアよりも明らかに身分の高い少女たちなので、ジニアが口を出すことはできない。あまりにも王子が適当なのでこちらがハラハラしてきた。
金髪の少女も笑顔を保ってはいるが目元が引きつっている。その瞳が、こちらを見た。
「…あら?傍付きに女がおりますの?」
先程まではしなをつくった声だったのに急に棘が混ざった。ジニアはどきんとする。
少女は険しい顔で睨んできた。
「まぁ、殿下、傍におくならもっと品のある女がよろしいかと。身元はしっかりしている女なのですか?まさか平民ではありませんわよね。傍付きなら、よろしければ我がヴォルペ公爵家から都合致しますわよ」
少女はジニアを遠慮なく品定めするようにジロジロと眺めて言う。
公爵家!?そんな身分のお嬢様がなんでこんなところに。
「ね、ですから殿下我が家までいらっしゃいませんか。高貴なる身分なのですから下賤の民を近づけ過ぎるのはよろしくないですわ」
それは少女の本音なのだろう。ジニアを睨む目には人を人として見ない、あからさまな侮蔑があった。
「黙れローズ。誰を俺の傍におくかは俺が決める」
それまで黙っていた王子が腹から出したような低い声でぴしゃりと言った。布から出た目だけが怒りでパチパチと爆ぜているようだった。
「二度は言わない。去れ」
王子の迫力に押された深窓の令嬢は顔を真っ白にした。ジニアを一睨みすることを忘れずに、礼をしてから逃げるように立ち去っていった。取り巻きの少女たちもそれに倣う。
「くそっ…」
王子は悪態をつくと布を取り去った。その顔はまだ怒ってるようだった。
「あの、今の方は…」
「俺の婚約者の座を狙ってる女だ。慰問の日を狙って突撃してきやがる」
婚約者!王子との婚約を狙ってる?
『女神の翼教』では神官でも結婚はできる。しかし教会内の上の地位の人間は結婚できないと思っていたが。疑問が顔に出ていたのか、王子が答える。
「俺が王族だから、結婚に関しては許される。王子という身分はアデルバードが結婚して子をなすまで捨てられないしな」
アデルバードとは第一王子のことだ。
「だから、甘い汁を啜ろうと必死なのさ。馬鹿なことだ。毎回面倒だからこの袋を被ってあからさまに拒絶してるんだがな。懲りずによくやるわ」
ああ、それでその袋なのか。確かにそんな袋を被ってる人に無視され続けたら辛いかも。
「しかし、だからと言ってお前が馬鹿にされていいわけではない」
王子はジニアを振り返って言う。
真剣な目でジニアを見つめたまま続ける。
「嫌な思いをさせたな。悪かった」
「いっいえ、そんな別に…」
王子が悪いわけでもないに。綺麗な顔で真っ直ぐ見つめられるとどうしていいかわからなくなってくる。しかも王子はジニアのために令嬢に怒ってくれたらしかった。その気持ちは素直に嬉しかった。
王子はふと正面に向き直る。
「ローニー、やっと来たか。ジニア行くぞ」
「あ、はい!」
王子の後を追いかけながらジニアは思う。
王子は結婚できるんだ。でもあの公爵令嬢のことは好きじゃなさそう。あの人との結婚は無いのかな。
でも、いつか結婚するんだ。そうだよね、王族だもん。きっと高位貴族のどこかのお嬢様と結婚するんだ。
私とは住んでる世界が違うんだ。
そう思うと何故だか胸が痛んだ。