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三、天使の伝承

 朝早くから畑仕事に家事、父親の世話。昼間は外に出て子供達の世話、そして帰ってきたら夕飯の支度、内職……と、レインは、彼女が休んでいる姿を見たことがない。


「辛くはないのか」


 生きることが、と言ったつもりだったが、リヴは違う意味で受け取った。


「生きるために働くことは、当たり前のことだもの」


 そう言ってリヴは笑った。その迷いのない笑顔を見て、レインは訂正しようと開きかけた口を閉ざした。リヴを見つめる瞳には戸惑いの色が浮かんでいる。

 リヴは、自分が盲目であることを決して言い訳にしない。それは、レインが今までに出会ってきたどんな人間とも違っていた。前を向いて生きている人間と、どう関係を持っていいのか解らない。こんな事は初めてだった。

 レインは、ゆっくりとリヴの腕から手を離すと、リヴが差し出したパンを受け取った。

 皆に食べ物と飲み物が行き届くと、祈祷の踊りが始まった。若い男女や小さな子供たちが櫓火の周りを囲って踊る。激しくはないが、落ち着いた大地の力強さを感じさせる太鼓の音と、風が空気に溶け込んでいくように軽やかな笛の音が興を添え、見る者の心を熱くする。火の粉の舞う中を踊る人影に、レインはしばし時を忘れて見入った。踊る人々と火の熱気がレインの露出した肌を優しく熱していく。

 ふと赤い髪をした賑やかな友人を思い出し、レインは苦笑した。きっと今頃、いなくなった自分に対してさぞ怒っているだろう。火のように激しく、それでいてしなやかな気質を持つ女天使だ。

 少しすると、仕事を終えたリヴがそっと隣に腰を下ろす気配を感じた。顔を見なくても笑っているのが解る。レインの胸の中にじわりと暖かいものが広がった。


「どうしてお前は、いつも笑っていられるんだ」


 リヴはレインの方を向き、きょとんとした表情をして見せた。


「自分のことを不幸だとは思わないのか、って聞いているんだ」


 櫓火を囲う村人たちは誰もが幸せそうな顔をしているが、ここでリヴは本当に幸せなのだろうか。


「私は今、幸せだもの」


 嘘だと思った。思おうとした。それでも、リヴから感じられる気は、凪いだ海のように穏やかだ。ねぇ、とリヴが話しかけた。


「レインには、何か願いごとがあるかしら」


 レインが首を傾げて何のことかを尋ねると、リヴは、この祭りの趣旨と目的について話してくれた。


「このお祭りはね、神様に感謝と祈りを捧げる為のものだけど、火と踊りを通して、神様に自分たちの願いを告げる為のものでもあるの」


 勝手なものだな、と思いつつも、レインは、ふとリヴの願い事が気になった。


「お前はどうなんだ」

「んー……私は、そうだなぁ……」


 リヴは、そんなこと考えもしなかったかのように考え込むと、何度か首を傾げて答えた。


「今がずっと続きますように、かな」


 そう言って、足下で寛ぐレオンの背を撫でた。

 やがて祈祷の踊りが終わり、踊り手たちはバラバラに村人たちの輪の中へと散っていった。残された櫓火は、初めの勢いほどはないが、まだ充分に明るく燃え続けている。あとは、櫓火が消えるまで歓談が続くのだとリヴが教えてくれた。

 二人が配膳されたパンと椀を食べていると、突然幼い女の子の声が降ってきた。


「天使さまみたい」


 はっと顔を上げると、目の前に一人の女の子が立っていた。まだ五つか六つの年頃だろうか。白い麻のワンピースを身にまとい、長い栗色の髪を束ねることなく腰まで下ろしている。藁でできた見窄らしい人形を腕にぎゅっと抱え、好奇心と憧憬の色が入り交じった目でレインを見つめていた。レインの金髪に碧眼という容姿が珍しいのだろう。


「俺が天使に見えるか」


 こくん、と少女は頷いた。レインは、自嘲気味に笑うと、否定も肯定もしなかった。


「本当に天使なら、天使の羽根を降らせて見せろよ」


 今度は、横から男の子に声をかけられた。麻の上衣と短パンから延びる手足は細く頼りなげだが、焦げ茶色の短髪と少し吊り上がった目が勝ち気な印象を与えている。見るとその背後には、いつの間に集まったのか、子供達が五、六人ほど男の子から少し離れた場所に立ち、こちらの様子を伺っていた。


「天使の羽根ってなんだ」


 レインが視線を目の前の男の子に戻して尋ねると、男の子は馬鹿にするように鼻を鳴らして腕を組んだ。


「知らないのかよ。有名な伝承だぜ」


 すると、遠巻きにこちらを見ているだけだった子供達が口を挟んだ。


「天使の羽根を手に入れたら、何でも願いごとが叶うんだ」

「違うわ、天使の羽根を見た人は、幸せになれるのよ」


 子供達は、それぞれ自分たちの願いを口々に主張し始めた。レインが助けを求めてリヴを見ると、子供達の声に耳を傾けながらにこにこと笑っている。どうやら誰もが知っている話らしい。


「〝天使の伝承〟ね。天使の羽根を見た人は、幸せになれるっていう。他ではどうなのか知らないけれど、この村に住む子供達は皆、寝物語に何度も聞かされて育つの」


 天から雪のように降るそれを、人々は〝天からの贈り物〟と呼んだ。

 それは違う、とレインが口を挟んだ。その声があまりにも鋭く冷たかったため、子供達は一斉に口を閉じてレインを見つめた。


「お前ら、天使がどういう存在なのか、知っているか」

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