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一、緑の天使

 レインが再び目を覚ました時、リヴの姿は既になかった。食卓の上には、昨日と同じ食事が用意されていたが、すっかり冷めてしまっている。レインは、食事には手をつけず外へ出た。微風がレインの頬を優しく撫でていく。日は既に高い位置にあり、半日以上眠っていたことが判る。身体はまだ少しだるかったが、新鮮な空気を吸ったことで少し気分が和らいだ。


 リヴは、仕事に出かけたのだろうか。昨夜は、ほとんど眠っていない筈だ。


 場所は覚えていたが、昨日の子供たちの歓迎ぶりを思い出すと、行く気にはならなかった。リヴはやはり、いつものように笑っているのだろう。理由の解らない苛立ちを覚えながら、レインは一人村の中を歩いた。村の中心には、パン屋や雑貨屋、鍛冶屋などの店が建ち並んでいる。人通りは多くなかったが、自然と足は、人気のない道へと進んで行った。


 気付くと、村の端まで歩いて来ていた。何もない道の先に古びた木製の門柱がひっそりと立っている。リヴに案内されてこの村へやって来た夜は、暗くてあまりよく見えていなかったが、どうやらここが村の入り口らしい。門には扉がなく、乾いた荒野の匂いを風が運ぶ。ただの目印として使っているのかもしれなかった。


 何とはなしに門をくぐった。そこにあるのは、やはり疲弊した荒野だけ。今、振り返るとそこに村はないのではないか、という錯覚に陥る。目を閉じて、ゆっくりと振り返ると、そこには、村へ続く道が変わらずあった。


 こんな所に人が住んでいるということだけでも信じがたいのに、ここに住んでいる人たちは皆、活気に溢れている。むしろ、この厳しい環境がそうさせているのかもしれない。


 レインは、門柱を見上げて、再び妙な既視感を覚えた。


(やっぱり……俺は、ここを知っている)


 今朝見た夢が再び脳裏に浮かんだ。泣いている赤ん坊を抱く女性。突然胸が締め付けられるような痛みを覚え、レインは、自分の胸ぐらを掴んだ。


 思い出した。彼女は、自分の所為で死んでしまった。


 あれはまだ、レインが天使として駆けだしの頃のことだ。とある娼婦が、身分の高い男の子供を身籠もった。しかし、男はその事実を他人に知られることを恐れ、娼婦に無実の罪を着せた。愛した男に裏切られた娼婦は深く傷つき、男への怨みから「死にたくない」と叫んだ。その声に応えたのがレインだった。レインは、絶望する彼女にこう言った。


『君は一人じゃないよ。その赤ん坊は、君を必要としているのだから』


 彼女が生きるための糧となってくれれば、と思って伝えた言葉だった。しかし、その言葉によって、娼婦は赤ん坊を守るために命をかけて脱走を謀り、ひっそりと子供を産んだ後、男が放った追っ手にかかり深い傷を負った。それでも女は、必死で我が子を守ろうと追っ手から逃げ続けた。そして、ある木の根元で力尽きて息絶えた。その時の光景がレインの目の前に蘇る。


(忘れていたのに……)


 忘れようとしたのだ。あの時のレインには、とても背負いきれるものではなかった。


 その時レインは、必死に泣き叫ぶ赤ん坊を、近くにあった村の入り口に置いた。本来であれば、そのまま飢えて死んでしまうか、追いついてきた追っ手によって奪われていた命だった。決して許される行為ではない。


「まさか、こんな偶然があるなんてな」


 天界と人間界では時の流れが違う。あれから何年経ったのかは解らないが、名前もなければ性別も解らない。何よりもこんな貧しい村で、どこの誰とも知れない赤子を育てるだけの余裕がこの村の人々にあるとは思えなかった。


 ふとリヴの顔が頭に浮かぶ。自分のことは二の次で、いつも他人を気遣い笑顔を絶やさない。


「ほんと、変なやつ」


 そんなレインのつぶやきに答えるかのように、突如、辺りの空気が変わった。空気が濃密に凝縮され、一点に集約されていく。そして、何もない空間に人が現れた。頭からすっぽり被った外套を脱ぐと、碧色のビロードのような長髪が零れ落ち、レインのよく見知った顔が現れた。


「フォーレ」


 フォーレと呼ばれた男は、真面目な顔でレインに歩み寄った。


「レイン、こんな所で何をしているんだい」

「どうしてここが解った」


 レインが一歩、後退する。それを見て、フォーレは歩みを止めた。


「ずっと君の気配を探していた。

 昨日、微弱だけど君の力を感じて……まさかとは思ったけど。

 他に人の住んでいる場所は、ここ以外になかったから」


 フォーレは、緑の天使だ。緑のある場所で、彼に知らないことはない。おそらく、昨日リヴをからかった青年に向けかけた天使の力を、微力ながらも察知されたのだろう。


「俺は帰らない」


 有無を言わさない態度に、フォーレが眉をしかめた。


「サニアが心配している。君の居場所は、ここじゃない。

 帰って来て、今ならまだ許される。最大の禁忌を犯さない限り……」

「放っておいてくれ」


 しばしの睨み合いの末、フォーレが肩を落とす。


「レイン、どうして……」


 その時、遠くから犬の吠える声が聞こえた。その声は、徐々に近づいてきたと思うと、金茶の毛皮を風になびかせながらレオンが姿を現した。続いて背後からリヴが駆け寄ってくる。フォーレは、既に姿を消していた。


「どうして俺がここに居るって解った」


 肩で息をするリヴに、レインは乾いた視線をやった。

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