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一、大地の女神

 目を覚ますと、見知らぬ場所にいた。


 いつもの目覚めと同時に感じる目を刺すような痛みはなく、代わりに感じたものは、日の光だろうか。優しく瞼をくすぐる気配に、レインはそっと瞳を開けた。


 明かりのない空間を縦に割る柔らかな光が見えた。それは、壁に嵌った木窓の輪郭を浮かび上がらせていた。これでは冬はさぞかし寒かろう。隙間だらけの木窓から漏れる外の明かりを追って、中を見渡した。やはり見覚えのない場所であった。いつも目を刺す痛みの原因でもある、染み一つない無機質な白壁は、柔らかで目に優しい色をした木目の壁に。滑らかだが肌にひんやりと冷たい絹のシーツは、ごわごわとした麻に。家具や部屋の様子もまるで覚えのないものだった。


「レイン様、起床時刻と相成りました。至急の依頼を承ってございます。手早く御支度のほどを」


 そう無表情な声でレインを起こしにやってくる小天使の姿もない。


 これまでに至急ではない依頼があったことなど一度もないのだが、それについて彼に不満をぶつけても仕方がない。彼はただ、無機質な表情でそれを繰り返す。それがレインを苛立たせる原因の一つとも知らずに。


 暗い部屋の中を幾筋もの金の光が、部屋に舞う塵と埃の静かな乱舞にスポットを当てている。白い靄のようなそれを見つめながら、レインは徐々に昨日の出来事を思い出していた。そっと木窓を押してみるが、動かない。外から鳥の鳴く声が聞こえる以外は、まるで静かだった。


 レインは部屋を出て、暖炉のある居間へと向かったが、そこには火の気もなければ人の気配もない。窓の傍で踊るカーテンに、涼やかな風が部屋の空気を洗い浚っていく。昨夜の陰鬱な雰囲気はどこにもない。日の光に照らされて、家具は見窄らしい姿をさらし、手持ちの力を全て使い切った後のような様子を湛えていた。


 もう一度、来た廊下を振り返ってみる。昨夜は暗くて解らなかったが、奥の方に二階へと続く階段が見えた。そう言えば、リヴの部屋がどこにあるのかレインは知らない。一階は、この居間と、レインが与えられた部屋の他に二つ扉があった。その内の一つは、昨夜案内されたリヴの父親が居る寝室だ。耳を澄ませてみるが、何の物音もしない。敢えて部屋を覗く気にもならず、レインは、居間から外へと通じる扉を開けた。


 ちょうど扉を開けた正面から、今まさに登ろうとする朝日を直に受け、レインは目を眇めた。光の中に黒いシルエットが見える。リヴだ。桶と柄杓を手にし、畑へ水をやっている。傍にいたレオンがレインに気付き、吠えた。リヴもこちらを向く。


「おはようございます、レインさん。

 すみませんが、もうすぐ終わりますので、ちょっとだけ待っていてください。

 すぐに朝食の支度をしますから」


 それだけ言うと、すぐ作業に戻った。何度も桶の中から柄杓で水を汲み、大地に向かって撒く。その度に、宙を舞う水飛沫が朝日を浴びてきらきらと輝いて見えた。大地は、レインの知らない植物に覆われ、リヴは、その中でくるくると踊る大地の女神のようだとレインは思った。と同時に、なにをバカな、と自身で突っ込む。大地の女神と言えば、この地方では、大地母神グアナの娘イリーナの名前が真っ先に挙げられる。彼女は、神々の中でも美貌と慈愛に満ちた、人々から崇拝される尊い存在だ。それと比べて、リヴは、このように辺鄙な村に住むただの小娘だ。容貌も人並みといったところ。比喩されたと知ったら、大地の女神の怒りを買ってしまう。


 柄にもないことを考えてしまった自分を自嘲しながら、レインは家の中へと戻った。椅子に座ろうとして、椅子が一つ増えていることに気付く。父親の寝室にあったものをリヴが持って来たのだろう。


 しばらく茫々と部屋を眺めて待っていると、リヴが扉を開けて中へと入ってきた。片手に小さな植木鉢を持っている。それを窓辺に置くと、傍で遊んでいたカーテンを紐で縛って止めた。窓枠から入る朝日を浴びて、植木鉢から伸びる貧弱な苗木がぴんと背筋を伸ばすように見える。


「なんだ、それ」

雨恋樹オヒアです。知りませんか」


 レインが首を振る。

しかし、リヴの反応がない事に気付き、知らない、と口に出して言ったところ、自分でも思った以上に大きな声が出た。

リヴがくすりと笑う。名の知らない植物に大層興味があると誤解されたのかもしれない。


「こんな荒れ地にしか咲かないなんて、よっぽどのひねくれ者なんですね」


 小さな苗木だった。レインには、どこにでも生えている枯れ木にしか見えない。


「花が咲くのか」

「はい、今はまだ蕾もないけれど、夏になれば赤い花が咲きます。

 花を摘むと雨が降ることから、〝雨恋樹〟と」


 そして、リヴは語った。この花の由来となる神話を。

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