散歩の歴史
心が過去にある人と、現在を行く世界の時間差が
私を寂しくするのです。
僕は、散歩が好きだ。他のどの娯楽よりも散歩が好きだ。
今の家に住むようになって10年が経とうとしているが、1日も欠かしたことはない。
仕事を終え、家で一息ついて出発する。
18時の決まった時間に、決まった道具を手に提げて、いつもの決まったコースを歩いて家に帰るのだ。
それでも、散歩道の光景は毎日様子が違っている。
夏はまだ明るい時間で、暖かい。冬はもう暗い時間で、引き締まる。
春と秋は華やかな色彩に心が弾むのだ。
いつも通る角の家、夕飯の香りがお腹をなでる。昨日はカレー、今日は焼き魚、明日はきっとハンバーグだな。
今日は清かな風に揺られている。明日は雨予報だから、きっと水たまりに踊るのだろう。
さっきはおばあさんが庭の木を整えていたな。きょうも素振りをする少年よがんばれ。
部活帰り学生の笑い声、両手を親に持ち上げられた子供たち、新顔の建物に、田んぼの稲の色変わり。
たくさんの偶然が織りなす毎日は過去1つとして同じ表情をしないのだ。ほんの少しだけ、異なる風味を味わっている感覚が、ソムリエになった気がして高鳴る。
今日もゴミを拾う。散歩暦5年ごろにはじめた。今日はジャンクフードの包装紙、猫のようなビニール袋とわずかな吸い殻を。
風景を汚すそれらも僕にとってはスパイスだ。今日は今日のゴミ模様。明日のゴミは今日と違う特別を感じさせるのだ。
そういえば、あそこにあった飛び出しぼうやはいつからなくなったのだったか。
潰れた定食屋の店主は元気にしているだろうか。
そんな風に過去を思い返し物思いにふける。この緩やかな時間もまた、散歩の醍醐味である。
今から5年もたてば、ここを通る人の顔ぶれはガラッと変わる。10年たてば、建物が変わる。
道路が新しく塗装され、道が広くなる。20年もたつと、おばあさんが整えた木が切られているかもしれない。
明日は明日のごみがある
散歩道は、変われないでいる僕を置いて、何もかもを変えていく。
未来に向かって姿をかえる風景と、無感動に現状を継続する僕。その時間の流れの違いが、日々を重ねるごとに少しずつずれていって、僕は過去に取り残されるのだ。
その寂しさでさえ、色眼鏡にしてしまえる僕はこの道に呪われているのだろう。
この道に捕らわれた僕が、解放されることはないと思う。
だって、今日の景色も違って見えたから。
読んでいただきありがとうございました。