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第五話

 夏になり、俺は六歳になった。

 そこから冬になるのはあっという間で、保育園では小学生に向けてお昼寝をしなくなった。


 しかしまあ、六歳になったとて相変わらず子どもというものはストレスフルな生き物である。

 何もかもが大人のようにはうまくいかないし、特に俺は精神年齢が大人だから、なんでこんなことをしなくてはならないのかと苛立つことも多い。

 子どもにだけ謎のルールが押し付けられることも多いし、とかく理不尽だ。


「あら! こんなに寒いのに半袖なの?! お母さんにあったかい服を買ってもらいなさいね?」

「家にあるよ」

「えぇ? じゃあなんで着ないの? もしかしてあなたのお母さんは、『子どもは風の子』だなんて言葉をまだ信じてるのかしら。もうそういう時代じゃないのよ」


 世間は優しい。

 子どもを気にかけて声をかけてくれるのだから。

 だが長袖を着たくない俺にとっては余計なお世話でしかない。

 着たければ着るし。そう言ってやりたかったけれど、おばさんはすれ違いざまに言いたいことだけ言って去ってしまった。

 芙美も口を挟む隙がなかったようで、あいまいな笑顔でおばさんにぺこりと会釈をしてため息を吐きだした。


 冬はこの世間の『やさしさ』が厄介なのだ。


 俺は今世ではもっぱら半袖短パンで過ごしていた。

 子どもというのは体温が高いと聞いたことがあるが、すぐ暑くなる。

 子どもの傍にいると熱を感じるくらいだし、教室にはそれが集まっているのだから当然暑い。

 外遊びの時だって、活動量が多いせいか冬でも汗をかく。

 だから半袖がいいのだ。


 家に帰れば暖房がついているから暖かい。

 朝、家を出るときはさすがに「さむっ!」となるが、歩いているうちに体が温まり、すぐに長袖を脱ぎたくなる。

 そうなると結局長袖なんて荷物にしかならないし、うっかり置き忘れると取りに戻らなければならないのが面倒くさいし、邪魔なだけなのだ。

 何より俺は肘や手首に服がまとわりついているのが嫌だった。

 この辺りは関東でも暖かいほうで、冬でも雪が降ったり氷点下になったりすることは滅多にない。

 だからいつでも半袖短パンで問題ないのだが、道ですれ違う大人から見るとそれは異様な光景らしい。

 保育園に行けば半袖で過ごしている子どもなんてざらにいるのだが、登園中まで半袖だと人目についてしまい、よく声をかけられる。


「ボウズ、元気がいいな!」

「私も頑張らなくちゃって、元気がでるわ」

 そう好意的に声をかけてくれる人もいるが、同じくらい心配される。

 今のこの時代でも社会で子育てをという意識が残ってくれているのはいいことだ。

 だがその優しさが親の心を削ることだってある。


 通報されたのだ。

 虐待の疑いで。


 芙美は訪れた児童相談所の所員に買ってある長袖を見せ、用意はあるが俺が着たがらないことを説明した。

 俺もにこにこと笑顔を浮かべた所員に、「俺が半袖がいいって選んでるんですけど」とはっきり伝えたが、「そうなのね」と受けたものの軽く流された気がする。


「確かに外に出た時は寒いですけど、その時だけです。普通に水風呂に入るのは寒いけど、サウナの後って水風呂に入っても平気ですよね? それと同じですよ。保育園も家も暑いんで。俺にとっては半袖が快適なんです」


 それでも長袖を強要する大人のほうが嫌がらせでしかない。

 誰にでもわかるようにしっかりと説明してやると、所員は笑顔を引っ込めてまじまじと俺を見た。


「サウナ、入ったことあるの?」

「ああ、そういえばないですね」


 前世も入ったことがあるのか覚えてはいない。だがサウナがそういうものだということは知っている。


「そうよね。子どもは禁止のところが多いものね。じゃあお父さんがサウナ好きなのかしら」


 俺を連れているからかもしれないが、スーパー銭湯に行っても健治はサウナに入らない。

 好きだという話も聞いたことはない。

 だが口を開いたのは芙美だった。


「もしかして……覚えているの?」


 俺をじっと見つめる芙美の目に不安が見えた気がした。

 覚えている? 何のことを?

 そう疑問に思った俺の耳に、パチンと所員が手を打ち鳴らす音が聞こえた。


「あ、テレビで見たのを覚えていたのね! 確か先月くらいにスーパー銭湯でボケるっていうお笑い番組をやってたものね。私もあれ見たわー。面白かったわよね!」


 所員は納得したのか一人であれこれまくしたて、芙美は頷いて聞くだけとなった。

 あとはもう大丈夫だろう。

 俺はリビングへと戻り、テレビをつけた。

 いつもなら芙美を安心させるため子ども番組を選ぶが、玄関にいる今のうちにニュースのチャンネルを選んだ。

 目の前にブロックを広げ、「別にニュースなんて見てないけど、なんかテレビがついてた」という体を装うことも忘れない。

 そうしてぼんやり世間の情報を仕入れている間に、所員ががさごそと帰り支度をしている音が聞こえてきた。

 ちゃんと問題はないと理解してくれたか確認するため、俺はそっとリビングのドアを開けて覗き見る。


「お母さんも大変だと思うけど、頑張ってね。大丈夫、過去に拘ることもありません。立派にお母さんできてますよ。困ったことがあったらいつでも相談に乗りますから。それからこれ。気になることがあったらここに連絡してください」


 そう言われて何かの紙を受け取った芙美の顔はこちらからは見えない。

 けれど芙美はしばらくの間黙ったまま、微動だにしなかった。


「小学生に入ってから、やっぱり、と思うこともありますから」


 所員が「それでは」と笑顔で帰って行った後も、芙美は玄関でその紙をじっと見ていた。

 俺はたまらずリビングを出ると、芙美の後ろに立った。


「ごめんね、お母さん」

「あ……。そうじゃないの、優が謝ることはないわ! いいのよ、着たいものを着れば。誰に迷惑をかけているわけでもないんだから」


 でも芙美に迷惑をかけてしまった。

 あの所員は納得してくれても、問題が解決したわけじゃない。

 近所の人とは「寒くないの!?」「この子が長袖を着たがらなくて……」という会話は一通り済んでいるが、そういう声をかけられること自体が芙美の心を削っていく気がする。

 かといって声をかけられなければ反論する機会もないわけで、黙って通りすがりに誤解されることもあるだろうし、そうなればまた通報されてしまうかもしれない。

 そんなことを心配していると、芙美が口の中でぶつぶつと呟いていた。


「優は普通よ……。他の子たちと何も変わらない。こういう子だって、時々いるわ。やたら大人びた口調の子だって、いつも一人で遊んでる子だって、突然九九を言い出す子だって――」


 もしかして。

 半袖のことだけじゃなく、他にも何か言われたのだろうか。

 だからショックを受けている?

 俺が普通じゃない、とか――。


 保育園では他の子どもたちと同じように過ごしているつもりだったが、やはり浮いて見えるのか。

 そしてそれが芙美を苦しめているのだろう。

 天才であるとアピールするためにしたことも、そんなものを求めていない芙美には異質さを感じるだけで、悩みの種だったのかもしれない。


 天才児として歩むことは両親にとってもよいことだと思っていた。

 周囲の目も変わるし、将来的には稼ぎが桁違いになるはず。

 だから俺は両親のためにもエリート街道を行くつもりだったが、完全な思い違いだった。


 普通の子とは違うこんな俺を変な目で見ることなく、変わらず親の愛でもって接してくれた芙美と健治に辛い思いなどさせたくない。そんなのは本末転倒だ。

 名声とかちやほやされるとか、そんなものは家族の犠牲があっては嬉しくもなんともない。


 俺が俺らしくいるのは、もっと大きくなってからでいい。

 俺が天才であることは周囲にアピールする必要もない。

 今から桁外れな進路を歩む必要だってない。

 エリートになる目的をよくよく考えてみれば、『しっかり稼いで、豊かで安定した生活を送ること』にあるのだから、今から急ぐ必要なんてない。

 自分の進路を自分で決めるときにその知識は役立てればいいだけだ。

 今は平々凡々などこにでもいる子どもでいい。


 俺は普通になろう。

 そう決めた。

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