第三話
年長クラスになった俺たちは入学準備として、ひらがなの練習を始めた。
薄い線で描かれた「あ」をなぞるだけの簡単な課題だ。
一秒あればできる。
俺は先生の説明なんて聞きもせずに、鉛筆を一人で持ち……、鉛筆を……、あれ、うまく持てない。
まったくもってこのぷくぷくの指は、鉛筆ごときもうまく挟めない。
正しい持ち方は知っているのに、指が思うように動かないのだ。
家で色鉛筆を与えられた時はまだ小さすぎるからうまく持てないのだと適当に握っていたし、今は家でも保育園でもお絵描きはもっぱらクレヨンだ。
太いクレヨンでは鉛筆持ちなんてできるわけもないと、適当に握って描いていたのだが。
五歳になってもまだ思うようにはいかない。
子どもというのはとかく不便だ。
なんとかそれっぽく持ち、「あ」だけじゃなくて五十音全部書いてやろうと紙に鉛筆を近づける。
と、すぐに芯がぼきりと折れた。
おいおい、なんて軟弱な鉛筆なんだ。
そうか、子ども用の鉛筆の芯は柔らかいんだっけな。
次はもっと慎重に優しくやってやろう。
教室に一台だけ置いてある電動鉛筆削りまでとことこ歩き、鉛筆をキンキンに尖らせる。
だがまたもや芯が折れた。
尖らせすぎて折れやすくなったのだろう。
失敗した。既に先が丸っこくなった鉛筆と取り替えてもらい、再び手に握るが力強くぼっきりと折れる。
鉛筆よ。おまえはやる気があるのか?
俺はひらがなを書きたいのであって、鉛筆を削る仕事がしたいのではない。
確かにどりゅりゅりゅんっ! と鉛筆が電動鉛筆削りに吸い込まれていくのは些か気持ちいいのだが、それにしたって何度鉛筆を削ればいいのか。
後ろに並んでいるおまえも「ついでに僕のもやって」じゃない。
慎重に紙に鉛筆を寄せているつもりなのに、折れた芯があちこちに転がり、真っ白な紙を汚す。
『あ』の書き方なんて知ってるのに、簡単に書けるはずなのに、これでは俺のスーパーエリート人生が歩き出せない。
これが五歳児ってことなのか。
まるであれだな。
少年物のバトル漫画で強い敵に立ち向かうため鍛えるシーンで両手両足に重りをつけて日常生活を送ってるようなものだ。
きっと大人として過ごしていた俺の前世の感覚と、まだまだ子どもなこの体の感覚があっていないせいだろう。
確か、ともくんの母親が言うには、この保育園では元気に遊ぶのがモットーで教育にはさほど力を入れていないらしく、保育園を卒園するまでに自分の名前が書けることを目標にしているのだそうだ。
そんなものは練習するまでもない。
勝手に体も脳も成長するのだから、自然と書けるようになる。
なにせ、俺は「あ」どころか「優」の書き方だって知っているのだから。
今はお絵描きでもして芸術性を磨くとしよう。
早々に「あ」を書くのを諦めた俺がクレヨンで抽象画を描き始めるのを、先生はにこにこと見守った。
◇
家に帰り、芙美と一緒に夕飯を食べていると珍しく健治が早く帰ってきた。
いつもは俺が二階の寝室に行ってからしか帰って来ないのだが、久しぶりに一緒に食卓につく。
「優、保育園はどうだ?」
この手抜きの質問は早々に改めてほしい。
本当に聞く気があるのか?
いや、ないだろう。
何故こちらが話題を探さねばならないのか。
面倒なことこのうえない。
もっと「今日は何をして過ごしたのか」とか「何が楽しかったか」とか「弁当はおいしかったか」とかピンポイントに質問してほしい。
だから自然と回答はこうなる。
「普通」
何も間違ってないし、反抗期でもない。
そう答えるよりほかないのだ。
もっと俺の話を聞きたいのならば、掘り下げた質問をしてくればいいだけのこと。
だが健治は「そうかあ。普通が何よりだな」と満足げだ。
健治は保育園でどんなことがあったとて、ここでこうして俺が元気にご飯を食べているならそれでいいのだろう。
いい親なのか、適当な親なのか。
「今日はお絵描きしたって先生が言ってたわ。何の絵を描いたんだっけ?」
「先生の顔」
を、描こうと思ったんだが、モデルである先生はちっともじっとしていられない職種だから、思うように描けはしない。適当に人間ぽいものを描いてお茶を濁した。
どうせクレヨンで細かい絵が描けるわけもないし、最初は適当に色を塗っているだけだったのだが、これまた意味もないことをするのは疲れるもので、やはり何をするにも意味を求めてしまう。
「そうだったわね! ちゃんと目が二つあって、髪の毛も黒くて長くて、口もあったわ! 優は天才よ」
もっと違うところで俺の天才性に気づいてほしいのだが。
そして絶対本気で言っていないな?
子どもに社交辞令を言わないでほしい。
「父さんも見たかったなあ。夕飯が終わったら描いてくれないか?」
「あらそんな時間はないわ。食べ終わったらお風呂に入って寝室に行かなきゃ。もうこんな時間だもの」
今日は健治があれこれ喋るから夕食が長引いてしまい、それに気づいた芙美が慌てて立ち上がった。
「あ、お風呂にお湯を入れるのをうっかり忘れてたわ! 急がなきゃ」
「よおし、父さんと風呂に入るぞ、優」
「え。やだよ」
俺が素直に顔を歪めると、健治はわははと笑った。
「まあそう言わずに入るぞー」
人の話を聞け。
何故おっさんと中身おっさんの子どもが一緒に狭い風呂に入らねばならない。
健治はいそいそと風呂の準備を始めたが、俺はささっとテレビをつけた。
ちょうどニュースがやっていて、健治は「お、明日は晴れかあ」とどうせほとんど屋内にいて天気など関係もないのに熱心にテレビを見始めたから、その隙に着替えを持って風呂に直行した。
ああ、風呂はのびのび入るに限る。
体を洗い、浴槽に入るとああぁ~とたっぷり息を吐き出した。
浴槽内の段差部分に座ると肩から上が出てちょうどいい。
「おいおいー、父さんを置いて先に入るなよー」
「一人でも入れるから」
「でも、気づかない間に溺れてたら怖いだろ?」
「そんなへましないって……」
まあ、前世は溺れて死んだんだけどな。
「三歳の時にも溺れかけただろ?」
「そんな小さい時のことを……」
「『一度あることは二度ある』っていうからな」
「『二度あることは三度ある』だろ」
「それそれ。優は難しい言葉もよく覚えてるし、しっかりしてるように見えるけど、案外ぼーっとしてるからまだまだ一人で風呂に入らせるには早い! っていうかそんなに早く親離れされたらお父さんが寂しいだろ?」
まあ親ってのは過保護なものなんだろう。
仕方なく諦めて、俺は健治が体を洗っている間、ゆっくりと湯船に浸かった。
そういえば、前世の俺は何で溺れて死んだんだろう。
釣りとか川遊びでもしていたのか。大雨とか災害があったとか? それともまさか、自ら川に入った……なんてことはないよな。
俺はそこそこの若さで死んだはずだが、家族はいたんだろうか。
成人はしていたはずだが、結婚はしていたのか。子どもはいたのか。
両親はまだ生きているのか?
いたとしたら、家族はいまどこに住んでいるんだろう。
いつかもし思い出せたら、今どうしているのか見に行ってみたい。
記憶にある一般常識と現代のそれは大きく違わないから、時間はそれほど経っていないはずだ。
しかし、健治と芙美のことを考えると、会わないほうがいいのかもしれない。
二人が俺を大事に大事に育ててくれているのはよくわかる。
それなのにもし俺が前世の家族と一緒にいたいと思ってしまったら、申し訳ない気がするから。
異世界での転生なら、もう会えないとすっぱり諦めることができる。
だけど。
だけど、もし俺が前世に未練があったとしたら。
それを解消する手立てもあるってことだ。
俺がどう生きたのか。どうして死んだのか。
そしてまたこうして生きているのは、何かのご褒美なのか、ただの偶然で意味なんてないのか、それとも――
前世が気になった。
これまでだって考えなかったわけじゃない。
けれど来年は小学生になる。
小学生になれば、遠足や体験学習で遠方や人の集まる場所にも行くし、行動範囲が広がる。
その時、前世の知り合いに会うことだってあるかもしれない。
そう思うと、どうしたって考えてしまうのだ。