第二話
「ほら、急いで! 走るわよ!」
芙美と俺の朝はいつもこうだ。
健治は郊外の自宅から都内まで電車で通うため、毎朝六時には家を出てしまう。
芙美も五時に起きて朝食の支度や弁当作り、洗濯とあれこれ忙しく家事をこなしているのだが、七時半の電車に乗るにはいつもギリギリで、手を繋いだ俺を引きずるようにして保育園に登園することになる。
それならもっと早く起きればいいと思うだろう。
甘い。
世の母親というものは朝だけではなく夜も忙しいのである。
芙美はフルタイム勤務だが、俺に子どもらしくたっぷりの睡眠をとらせるため、八時に勤務を開始し、夕方五時に勤務を終える。フレックスというやつだ。
そこから走って電車に飛び乗り、汗を拭きながら保育園に笑顔で迎えに来て、「今日の保育園はどうだった? 楽しかった?」と息を切らしながらあれこれ問いかけつつ家に帰る。
そこから休む間もなく夕食を作り、食器や俺の弁当箱やら水筒を洗い、風呂や寝床の準備をする。
俺も手伝ってやりたいのはやまやまなのだが、この小さな体はできることが少なすぎる。
米を研ぐのは俺にでもできると率先して手伝いを買って出たのだが、三合炊いてねと頼まれ、意気揚々と米びつから一合、二合、とざあぁっと米をボウルに入れていたところ、「あれ、今何合まで入れたっけ?」とわからなくなり、ボウルに入っている量を見てたぶん既に三合入れ終わったなと米を研ぎ始めた。
炊飯器に水と一緒にセットして、完璧、と思ったのだが、炊きあがったのはおかゆともご飯とも言えないなんとも中途半端なものだった。
「ほら、おかゆって体にいいし! やわらかいご飯ってたまに食べたくなるわよね!」
そんな風に芙美に気を遣わせ、残りは冷凍しておくつもりだったが柔らかすぎるのを残しておいても、と断念することになり、翌日芙美がリゾット風に仕上げてくれて、結局邪魔をしただけになった。
その後リベンジを誓ったのだが、数えている間に米を掬った時に「二合」と数えたのか、ボウルに入れた時に「二合」と数えたのかわからなくなり、今この計量カップの中にいる米どもは「二合」なのか「三合」なのかどっちだろうと迷宮入りし、よしたぶん二合だ! と勘を信じたら、「昔のあそこのファミレスのご飯って固かったよなー」と思い出すのよりもっと固くて噛み応えのあるご飯になった。
風呂掃除だって、泡でつるつるな浴槽にこの小さな足は踏ん張りが効かず滑って尻を打つし、洗濯物は畳んだつもりがぐちゃぐちゃのしわしわで、結局芙美を心配させ、困らせてばかり。
だったら大人しくしているほうがよほど芙美の手をわずらわせずに済む。
正直言えば、こちとら一日中保育園であらゆる強制イベントに付き合わされてくたくただ。
まあ、俺は他の子どものように「お腹空いた~」だの「ママ遊んで~」だの騒いで手をかけることもない。
夜だって、俺はうまいこと寝たフリをしてすぐに芙美を添い寝から解放してやろうとするのだが。
俺が必死にぐうすうとわかりやすく寝息を立てているのにいつまでも気づかず、お腹をぽんぽんと撫で、頬杖をついた頭をこくりこくりと揺らしている。
一日の疲れで、芙美のほうが眠くなってしまうのだろう。
しばらくうとうとしてから、はっと覚醒すると忍ぶようにそっとそっと部屋を出て行き、帰ってきた健治の相手をしてやってから、保育園の提出物に記名したり、洗濯物を畳んだり、明日の用意をして、日付も変わってからやっと布団に入る。
だから芙美は毎日五時間も寝ていない。
朝起きられないからいつも遅刻ギリギリなのではなく、あまりにやらねばならないことが多すぎて、そもそも時間が足りていないのだ。
ちなみに健治が何もしない父親というわけではない。
確かに平日は健治の仕事の都合で芙美のワンオペとなるが、休日は健治がすべてをこなす。
細かいところの掃除をして、一週間分の買い出しをする。
平日と違って時間を気にしなくてもいい分、栄養バランスのいい食事と、ついでにいくつか作り置きもしてくれる。
他にも布団を干したりシーツなど大物の洗濯をしたり、休日だからこそできる家事をこなすことで、平日の芙美の負担を減らしているのだ。
その間芙美もしっかり休めるし、この二人はそれで互いに協力しあい、うまくいっているものらしい。
しかし先ほども述べた通り、五歳児は五歳児で大変なのである。
芙美が急いでいるのがわかっていても、この短い手足では走っても走っても遅々として進まない。
寝ぼけ眼で朝日の強い外に出ると眩しくて仕方がないのだが、そんなことを嘆く余裕もない。
舗装された白っぽい歩道なんて照り返しでまた眩しいし、顔が地面に近いせいですぐに暑くなる。
ぐったりぜいぜいと登園したら、そこから俺の『お仕事』が始まる。
俺はこのつくしんぼ保育園に三歳の頃から通っているいわばプロの保育園児だから、何をしなければならないか、一日の流れも当然わかっている。
まず自分のカバンをロッカーに入れ、水筒をクラスで決まったカゴに入れ、お手拭きタオルを持って廊下に出て自分の名前が書かれたフックに掛けなければならないのだ。
ぜえはあ言っているのだから少しくらいごろごろだらだらしたいのに、教室に入ったらそれをすぐやらねばならない。
「今やらないと忘れちゃうよ。さあ、水筒とタオルを持って!」
「ええ……。それくらいやってくれてもいいじゃないですか……。疲れてるんすよ」
「じゃあ、水筒出してあげる。あそこのカゴに入れてね」
カバンから水筒を出すのくらい疲れてる俺にもできる。
教室の端っこに置かれたカゴまで持っていくのがダルイのだ。
「朝の子どもがみんな元気だと思わないでほしいし、子どもの体力を無尽蔵だと思わないでほしいんですけど」
「そうだね、朝は疲れるよね。だから元気に動いて体力をつけよう! おー!」
トレーニングジムの先生ばりに無茶を言う。
言い合う気力もないし、仕方なく折れるのだが、面倒なことはこれに留まらない。
精神年齢が大人である俺にとって、保育園で行われるすべてのミッションは苦行なのだ。
だが、それらをやらねば保育園ではただひたすら暇になる。
それはそれでしんどい。
何より悪態をついて一人椅子をぎこぎこ漕いでいるとすぐさま親に報告されてしまうから、五歳児にうまく擬態し、それなりに参加するしかない。
真似をするのは容易いのだが、問題なのはできるかできないかではない。
『普通の五歳児』に擬態をするために面白くもないそれらをし続けるのが、とてもしんどいのだ。
こどもの歌なんてよくよく考えると意味がわからない歌ばかりで歌いたくないし、砂遊びなんて爪に砂が入って面倒くさいし、ミニカーをころころ転がすのの何が楽しいのかさっぱりわからない。
だが両親に無駄な心配をかけないように、五歳の子どもらしく振舞わねばならない。
これはとても精神的な疲労が溜まる。
三十を過ぎたおっさんが三角座りをして元気よく手を上げ、「はーい!」と返事をし、全力で歌を歌っていると想像してもらえればいい。
「さあ、みんなおトイレは済んだね! 今日もお友達と元気な朝が始まるよー! みんなで一緒にお歌を歌おうね!」
「はーい!」
わかっただろう?
やるほうも見るほうもいたたまれない。
あらゆる名詞に「お」がつけられる冗長な日常会話にも尻がむずがゆくなる。
『トイレ』でよくないか。
『お友達』はまあいいとしよう。
お歌を歌おうって地味に言いづらくないか? いや歌を歌おうでも言いづらいか。
『お砂場』『おてて』『ごあいさつ』
『ご』もあるが、何故そこまでして頑なに頭に一字をつけるのか。
丁寧で優しく聞こえるからだろうとはわかるのだが、それだけ丁寧に優しい声で語り掛けているのだから十分ではないだろうか。
何故相手が子どもだからと言って丁寧さを重ねなければならないのか。
職員室で先生がクラスの人数分の連絡ノートを書きながら、「ゆかちゃんのママが昨日も仕事の愚痴を十分も聞かせてきてマジだるいしマジあたし関係ないし、あたしの仕事の愚痴増やしてんのあなたなんですけどって言いたかったわー」とか低い掠れ声で喋ってるのを聞いた『お友達』が現実を知って泣いて教室に逃げ帰るなんてショックを受けさせるくらいだったら、普段から普通に話したらいいのに。
むしろいたいけな子どもの心の傷を増やしているだけじゃないか。
そして朝から歌なんか歌いたくない。
「おはようございます」と「はーい」くらいしか喋ってもいないのに、なぜそんなにいきなり喉が開くと思っている?
俺の憂鬱に構わず先生は機嫌よくオルガンをかぱりと開け、おもむろに鍵盤を叩き始める。
「さん、はい!」
早い。
前奏をすっ飛ばしたな? 弾くのが面倒なんだな? 何で録音を流すんじゃダメなのかと思っているな?
一律のスピードに子どもたちが合わせるのではなく、子どもたちが楽しく歌えるように演奏を合わせて、アレンジをして、そして生の演奏を聴かせることで情操教育をって、そんなの知るか―! って思っているな?
「あーおーいおーそらをーおおぉ、うぅえにぃみぃてぇ」
歌詞の意味が最もわからないのが園歌だ。
校歌もそう。小学校から高校まで、ほとんどの学校にあるんじゃないだろうか。
共同体意識の形成とかなんとかってことなんだろうが、毎日同じ教室にすし詰めにされていればそんなのは十分だと思うのだが。
これまでそうしてきたのが当たり前だから当たり前のように園歌を作り園歌を歌わせているのかもしれないが、他のことを覚えたほうが建設的な気がする。
無意味だと思ってしまうと、苦行でしかない。
だから俺は意味を持たせることにした。
この『お歌の時間』をストレス発散に使うのだ。
大人になると思いっきり声を出すことも許されないし、歌を歌うのだってうまくなければならない。
音程も歌詞も間違ったって気にせず好き放題に大声で歌えるのなんて今くらいのものだ。
子どもの数少ない特権とも言えるだろう。
どうせ誰も歌詞の意味など考えていやしないのだから、歌う歌なんてなんだっていい。
前に誰かも子供を寝かせるための童謡を情感たっぷりに歌うとスッキリすると言っていた。
確かに子ども向けのお歌は音域が狭く、高音が出なくて苦しむということもなく、声も出しやすいから、お歌の時間は苦ではなくなっていった。
だが苦行はこれで終わらない。
「では自由時間でぇす。お外に行きたい人はお帽子をかぶってねー!」
自由なはずがまったく自由ではないのが、朝の会が終わった後の『自由時間』だ。
午前中の太陽の光は強くて、白い砂に反射してこれまた眩しいから外に出たくない。
だが教室の中に残っていると執拗に外に誘われる。
子どもが外で元気に遊ばないと異常扱いされるのだ。
毎日毎日部屋にこもる俺にかける言葉を選ぶのも面倒になったのか、とある先生は大人に話すように、何時から何時に外で体を動かすとなんたらな効果があってどうのこうのとどこぞで聞いた話を説明し始めた。
なるほど確かに根拠はあるようだが、それでも俺は外に出たくない。
子どもにとって外というのはそれこそ『自由』で、縦横無尽に駆け回り、それぞれが好きなことに熱中するからこそ危険だらけなのだ。
ぼんやり歩いていれば、鬼に追いかけられた子どもが後ろばかり見ていて俺に気付かずどかんと体当たりしてきて吹っ飛ぶことになる。
囲いのある砂場なら安全だろうと適当に砂を掘っていると、時折手元が狂って「お砂かけたでしょ! ごめんねして!」とお友達に怒られ、「優くんもどろだんご作ろうよ! 今どろだんご兄弟のマンションを作ってるの」と謎の遊びに巻き込まれる。
どろだんご作りというのは工程が非常に多く、繊細な仕事でもある。
濡らした土を丸めて、そこに白いさらさらの砂をかけるのを何度も繰り返し、綺麗な丸になるようぴかぴかに磨くのだ。
だが俺はこれを最後まで仕上げられたことがない。
力加減が難しくて、いつも途中で割れてしまうのだ。
今日はうまくできたと思っても、泥だんごは一日では終わらない。
『きゅうけい』が必要で、乾くまで日陰で休ませなければならないのだが、それまでの工程が悪かったり、日に当たってしまったりして乾きすぎると、そこでもまたぱかりと割れてしまうことになる。
どろだんごを磨くとかもはや意味がわからないのだが、何人ものお友達が文字通りぴかぴかと輝くどろだんごを作り上げる才能を持っている。
感服するしかない。だが俺はそれをすごいとは思っても、自分で作りたいとは思わない。
どろだんごが何の役にも立たないのは誰の目にも明らかなのに、何故子どもはあれを作りたがるのか。
永遠の不思議である。
一人でそんな思考の宇宙にいると、ぐいぐい引っ張られて気づけば鬼ごっこに参加させられていたり、輪っかを縦横無尽に配置された謎の『地獄ルート』をケンケンパで攻略しなければならなかったりと、とかく休まる暇がない。
何年保育園にいても、こうしてお友達と遊ぶのだけはいつまでも慣れない。
精神的には親として見守るような年齢でありながら、一緒に全力で遊ばなければ怒られるのだからこのギャップはしんどい。
つくしんぼ保育園は各年齢で一クラスずつしかない。
当然クラス替えなどなく、途中で辞めたり入ったりはあるものの、小学校入学までをほとんどが同じ顔触れのまま過ごす。
だからみんな俺がどんな奴か大体わかっていて、それほどしつこく遊びに誘われることもないのだが、一人でいると誘わなければならないという子どもの道徳心が働くらしい。
みんないい子どもたちなのだが、本当の優しさは俺を一人にしてくれることである。
そうして俺は試行錯誤を重ね、他のお友達に紛れて「わー!」と外に出るものの、そこそこで切り上げてこっそりと教室で休むという方法に落ち着いた。
一度外に出れば先生もそれほど文句を言わないし、「疲れやすい子なのね」という認識で時々様子を見に来るだけで放っておいてくれる。
ここでも無意味を意味あるものにしようという習性が働き、今のうちから体を鍛えようとトレーニングに励もうとした時期もあるのだが、この小さな体はリズム感が悪いのか、縄跳びのタイミングもうまくつかめないし、筋力が足りないのか鉄棒もろくにできない。
かといって教室にいても、折り紙も思うようにうまく折れないし、絵を描くにもぎこちなくしか手が動かないのだが。
この体に経験が足りていないせいで、うまく動かせないのかもしれない。
もちろん、そんな状態では何をするのも楽しくない。
それでも、今から練習すれば何者かになれるかもしれないと、俺は一人この小さな体を動かす訓練としてあれこれ取り組んだ。
「優くんは一人遊びが好きなのね」と時々傍にいて付き合おうとする先生もいるけれど、俺が構わず一人で活動していると、ケンカの仲裁に飛び込んだり、ケガをして泣き出した子の世話に走って行くから、やっぱり俺はほとんど一人だった。
そのほうが気が楽だ。
子ども扱いする大人に合わせてやるのは疲れる。
まあこんな苦労も今の内だ。
両親は教育に熱心ではないが、小学校に行けば先生は俺の賢さに目を付けるだろう。
そうしてめきめきと頭角をあらわしていけば、次第に子ども扱いされなくなり、俺は新しいステージへと向かうのだ。
話を聞きつけたどこかの研究機関が迎えに来るかもしれない。
面倒な小学校教育課程なんてスキップして、海外の大学に留学することになるかもしれない。
その時をひたすら待っていた俺の目の前に、まず一つ目の機会がやってきた。