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第一話

 何故忘れていたのかというくらい、堰が壊れたように前世の記憶が溢れ出した。

 何もかも、全部思い出した。


 俺のせいで優は死にかけたのだ。優が生きる気力をなくしたのは、全部全部、俺のせいだ。


 俺はぼんやりと授業を聞くともなしに聞くしかできなかった。

 気づけば目の前に開いた教科書は算数で、廊下側の列の一番前の子が今日の音読を始めたところだった。

 いつの間に国語になったのかもわからず、俺はのそのそと国語の教科書を取り出した。


 ルキアのたどたどしくも読み上げる後ろ姿を俺はじっと見つめた。

 その姿が、優に重なる。

 優がぴんと背中を延ばして立つ後ろ姿。

 そんなものは見たことがあるわけもないのに。


 俺はこの体を優に返さなければならない。

 だが今はできない。

 優に生きる気がないからだ。


 俺は何を言われたって気にしないで生きていくことができる。

 だが誰もがそうじゃない。

 ルキアも。

 優も。


 あれこれうまくいかない中で生きていくのは、苦しいことだ。辛いことだ。

 優がタブレットに打ち込んだメッセージを思い出す。

 俺の行動を通してこの世界を見ていたのなら、そりゃそうだろう。


 毎日評価にさらされ、叱られて生きているのに、気にするなと言ったって酷な話だ。

 気にしないように流したって、苦しさは続く。

 そもそも何の解決にもなっていないのだから。


 優が優として生きるためには、俺は俺を幸せにしなければならない。

 そのためにはこんな体でも幸せに生きられるのだと示す必要がある。


 戦うためには敵を知る必要がある。

 だから俺は、図書館へと向かった。


     ◇


 町の図書館には、学校の図書館にないものもたくさんある。

 入口に置かれた検索用のパソコンでも発達障害についての本がたくさん見つかった。

 意外とあちこちの棚に分かれていて、集めるのに苦労したくらいだ。


 俺はそれらを机の上にどんどん重ね、片っ端からぱらぱらめくった。

 どの本ならわかりやすいか。

 あれこれ開いてみたが、字ばかりの本は読む気も起きない。

 俺はまず手始めに、薄い上に絵がたくさん描かれている本を読んでみることにした。

 最初に目次をざっと確認して、気になったところに飛んでみる。

 そうしてから、また違うのを同じようにして読んでみる。

 すると、何冊かの本の構成は似たり寄ったりで、広く浅く書かれた入門書のようなものだった。

 それらの中で一番読みやすそうなものを選んで、最初からきちんと読んでみた。


 そう。

 読めるから今まで気づかなかったのだが。

 発達障害と一口にいってもその中にもいろいろとあるらしく、知的発達に問題はないのに学習に必要な能力に苦手があるのを学習障害というようで、特に読んだり書いたりが難しいのを『発達性ディスレクシア』というらしい。

 小学生になり音読させられるようになったことで、俺が読み間違えていることが多いとわかったが、大体の意味は取れている。

 だが確かに生前の体に比べて読みにくさはある。

 それをまだ子どもだからだと思っていたのだが、すらすらと読むクラスメイトたちを見れば、苦手な部類なんだろうということはわかった。

 書くのも、まあ、確かに。うまく書けないなとは思っていた。

 生前は覚えていたはずの字も全然思い出せないし。

 優はもっと書きにくそうにしていたし、俺から見ても何と書いたのか判別できないことが多い。


 たぶん優――つまりはこの体も、そうなんだろう。

 他にもあれこれ優が当てはまりそうなものは多くあった。

 だが芙美はどういう診断名がつくかまでは聞いていないのだろう。

 検査をするのは医者じゃなく、診断するのは医者らしいが、病院には行っていないから。

 あの検査結果はどこにしまわれたものかわからず、詳細は読めていないが、『発達性ディスレクシア』であるかどうかはあの検査とは関係がないようだ。


 だがどういう診断名がつくかは俺にとってさほど重要じゃない。

 既にこれだけ本があって、統計的にもクラスに何人かはいるものらしいし、これだけ情報が溢れている社会なのだから、調べればどうすればいいかわかるだろう。

 医者に行けば治るものなのか、薬を飲めばいいのか、さあ、どうすればいい?


 そうして答えを求めて本を読み漁――ろうとしたが、やはりこの体でたくさん読むのはしんどかった。

 だから知りたいことやキーワードをメモして、家に帰ってタブレットで調べた。

 タブレットなら文字の拡大ができるし、ブラウザで検索すれば知りたいことの答えが検索結果にハイライトされて出てくるから、そこを読むだけで大体つかめることも多い。

 最新の情報という点では図書館よりも便利だ。

 図書館にある本は違う言葉が使われているものもあって、少々混乱したところもある。


 そうしてあれこれ調べた結果、俺は途方に暮れた。


 発達障害は病気じゃない。

 だから薬で治るわけではない。

 そのことがよくわかったから。


 対症療法としての薬はあるというのは救いだが、それで解決というわけではないらしい。

 薬にも種類があり、副作用だってあるし、合う合わないもある。

 結局のところ、難しいことを回避したり、工夫したり、違う方法で対応したり、この体でどうやって生きていくか試行錯誤し、少しでも楽に生きられる方法を身に着けていく、っていうのができることらしい。


 それって、とんでもなく時間がかかることなんじゃないのか?

 療育というのがあるらしいが、そうやっている間に優の体は育っていく。

 学年が上がっていく。

 その時間を、優が得るべきだった経験を、俺が奪ってしまうことになる。


 俺が完璧に治して、苦労せず生きて行けるように整えてやって去ればいいと思っていたのに。

 とんでもなく甘かった。

 何故こんなにもいろんな本が出ているのか、ようやく理解できた。


 広く浅く概要が書かれた本。

 親が子どもへの対応を学ぶペアレントトレーニングの本。

 役に立つ道具を紹介した本。

 経験談がまとめられた本。

 進路や将来の職業の選択についての本。

 家でできる療育の本に、教員向けの指導集、子どもの気持ちが書かれた本に、専門家が書いたいくつもの切り口の本。


 こんなにも多岐に渡って本が書かれているということは、それだけ困っている人たちがいるということでもあって、同時に、これに困っているならこれをすればいいという一つの正解があるわけではないことも示している。


 だったら俺はどうしたらいいのか。

 早く優にこの体を返さなければならない。だが焦ったって結果は出ない。

 俺は優に笑って生きていけるようになってほしいだけなのに。


 ふと、ルキアの辛そうに笑う顔が浮かんだ。

 困っているのは優だけじゃない。ルキアもだ。

 ルキアがそうなのかどうかは俺は医者じゃないからわからない。

 そうかと思って医者に連れていったら違ったということもあるようだし、素人ならなおさらだ。

 だが俺は、優やルキアが何に困っているかは、なんとなくわかる。

 それをどうにかできる方法や工夫を調べて、教えてやることはできる。


 そのうちのどれか一つでもうまくいったら。

 ルキアが少しずつでも心から明るく笑ってくれるようになったら。

 それは優の希望になるのではないか。

 生きる上で困難なことがあっても、楽しく生きていくことだってできると思ってくれるかもしれない。

 苦しくてもこの体で前向きに頑張っていこうと思えるようになるかもしれない。


 そういう、希望を見せることは俺にもできるかもしれない。

 罪ほろぼしには全然足りてなんていないけれど。

 やれることがあるなら、やってみるしかない。


 優に優の人生を取り戻す。

 それだけは俺がしなくてはならないことだ。

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