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第九話

「……くんは、言いま、した。それ、なら今度、いっしょにてが、みをかい、て――」


 ルキアが音読を始めると、クラスがざわつき出す。


「下手くそ~」

「何言ってるかわかんないよ」

「聞いてるの、なんかイライラする……」


 それでもルキアは必死に一文字一文字を追うように、懸命に読み進めた。

 頑張れ。あと少しだ。もう少しで次の段落になる。

 ルキアのたどたどしい声を聞きながら、俺の肩には自然と力が入っていた。


 次は俺の番だ。


「その手紙を書くなら、ぼくにも書いてくれと言いました」

「『言うのです』だよ」


「きみの家にも――」

「一行飛ばしてるよー」


「タバコを買って――」

「『タマゴ』だって!」


 いちいちうるさい。

 少しくらい間違えたって大体の意味が通じれば支障はないはず。

 そうやっていちいち読み直すほうが内容が頭に入らず授業に支障が出るだろう。違うか?

 まったくこれだから黙っていられない子どもは。

 先生も先生だ。細かいことに口を出すなとでも言ってくれればいいのに。

 まあ宿題の音読カードなんてものを作って『間違えなく読めたか』なんて親にチェックさせているのは先生なのだが。


「はーい、頑張って読めましたね。では次、須藤くん」


 まだやるのか。

 何故学校というのは子どもに読ませたがるのか。

 先生が読んだほうが頭に入るし、授業だってスムーズだというのに。

 子どもが音読することに何の意義があるのか。

 家に帰ったら『小学生』『音読』『意義』で検索してやる。

 そう沸々と腹に怒りを溜めながら、やっと国語の授業が終わった。


 俺以上にあれこれ言われ、目に見えて落ち込んでいるルキアの肩をともやがぽんぽんと叩く。


「大丈夫だよ、前より上手になった気がするし」

「そうだぞ。苦手なことなんて誰にだってあるんだから、気にすることはない。ルキアは絵を描くのも運動も得意だろ?」


 俺たちの慰めに、ルキアは頼りない笑いを浮かべて「うん」と頷いた。

 どうにかしてやりたいとは思うが、たくさん練習するか、気にしないかのどちらかしか思いつかない。

 だがルキアは音読の宿題を人の何倍も頑張っている。

 音読カードには間違えなかったかどうかの他、『おおきなこえで』『きもちをこめて』というチェック項目があって、それぞれに『◎』『〇』『△』『×』を書いて評価することになっている。

 なかなかにシビアだろう?

 だが読むのに必死な人間が大きな声で読めるわけがないし、気持ちなんか込められるわけもなく、間違えないなんて何度練習していてもできないものはできない。

 ルキアの親はそれがわかっているのか、音読カードには〇や×ではなくスタンプが押されている。

 毎日バツを書かなければならない親の気持ちを、先生は考えたことがあるのだろうか。

 一回読むのだって人の何倍も時間がかかるのに、真剣に、間違えないように神経を使って何度も何度も音読をするルキアの気持ちとその労力を、先生は想像したことがあるのだろうか。

 努力に関わらず、先生だけでなく周りの子どもたちの評価にさらされ続ける小学生の心労を、先生は考えたことがあるのだろうか。


 こんな小学生生活では気にしないのが一番だと思うのだが、ルキアは真面目な奴だからそれができない。

 いくら俺たちが気にするなと言っても気にしてしまうし、なんとかしなければと頑張って頑張って、そして疲弊してしまうのだ。

 俺みたいにもっと力を抜いて、気楽に生きればいいのに。

 まあ、小学生にはそんなことを言っても難しいのだろう。



 そんなもどかしさをもやもやと抱えながら家に帰ると、夕飯を食べ終わった頃に健治が帰ってきた。

 珍しく早い。

 また乱入されては困ると、俺はテレビをつけて健治の気を惹きつけ、さっと風呂に向かった。

 だが俺が湯船に浸かったと同時、「入るぞー」とまたもや健治が乱入してきた。

 ちっ。バレたか。

 何が楽しくておっさんがおっさんと風呂に入らねばならないのか。


 仕方なく湯船に肩までつかり、ルキアのことを考えていると、だんだん眠くなってきてしまった。

 昨夜は夜中に活動していたから、いつもより睡眠時間が足りていないのだ。

 少しだけ、と目を閉じたつもりだった。


 だが気づいた時には「大丈夫か!」と健治に腕を引っ張り上げられていた。

 俺は一気にむせて、大量に飲み込んだお湯を吐き出した。

 必死に背中をさするその顔を見上げれば、蒼白だ。

 健治のほうがよほど死にそうな顔をしている。


「頼むから親より先に死ぬなんてやめてくれよ」

「そんなつもりはないよ……」


 大丈夫、ちょっと寝ちゃっただけ、という言葉はむせて声に出せなかった。


「そんなこと言っておまえ、三歳の時だって同じことがあっただろう」


 そういえば前にも健治がそんなことを言っていたな。

 そうだ。

 確かに俺は前にも溺れたことがある。

 さっきの水が大量に口に入り込んできて苦しかった感覚が、古い記憶を引きずり出す。


 苦しくて、もがいて、だけどどうにもできなくて――


 違う。


 あれはお湯じゃない。

 冷たい、冷たい水だった。


 思い出した。

 そうだ。


 あれは、川で溺れて死んだときの記憶だ。

 あの時、俺は――


「しかも『おまえはまだ死んじゃだめだ』なんて叫んで……。ロクに喋らなかったおまえがいきなりそんなことを言うのはおかしいし、きっと俺の聞き違いだったんだろうけど、あの時のことが忘れられないんだよ。だから優一人で風呂に入らせるのは怖いんだよ。なんだか水にもっていかれそうで――」


 健治がぼろりと涙をこぼした。


 そうだ。


 俺は、あの時。


 あの時も、必死で手を伸ばしたんだ。


 そうだった。

 全部、思い出した。


 気づけば俺は洗い場の固い床の上にへたり込んでいた。


「俺、俺は――」

「優? そうだよな、死にかけたなんてショックだったよな。怖かったよな」


 違う。


「俺のせいだ」


 優が生きたがらないのは、全部俺のせいだ。

 俺のせいだったんだ。

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