第五話
家に帰り、芙美は「今日は肉じゃがにしようかな」と笑顔を作って夕食の準備を始めた。
どうせ芙美にどうしたのかと聞いたところで「何もないよ」と答えることはわかりきっている。
だが何もないわけがない。
芙美は考え事に没頭したい時はことこと煮込む料理を作るのだ。
それは今の俺にとってもちょうどいい。
俺はリビングのテレビをつけて、子ども番組を見ながらソファに横になった。
しばらくじっと待ち、何気なく立ち上がると、トイレへと向かうそぶりでリビングを出る。
そのまま芙美の部屋へ忍び入ると、すぐに芙美のバッグを見つけた。
バッグに入りきらなかったらしい茶色の封筒が頭を突き出しており、俺は中から紙をそっと抜き出した。
四枚ある紙にはどれもびっしりと文字が書かれていたが、最初の一枚目には折れ線グラフが描かれていた。
『IQ』の文字が見えて、俺の胸がどきりと高鳴る。
やはり俺の予想通りだ。
どきどきしながらグラフの点から左にある目盛りへ視点を移動させる。
そこは太い線のすぐ近くで、百と書かれていた。
百は平均値じゃなかったか?
おかしい。百二十は優に超えてくるだろうと思ったのに。
いくつか項目があり、それらを見ていくと太い線を越えたり越えなかったり、ジグザグと乱高下している。
なんだこりゃ。
すごい凸凹だ。
「優、トイレに行ってるの? もうすぐご飯ができるからねー」
芙美の声に、俺ははっとして慌てて紙を封筒に戻した。
そうしてそっとバッグに戻し、「お腹空いたー」と洗面所にぽてぽて歩いていった。
さっき見たものは、あれは、どういうことだったのだろう。
そう考えて、気が付いた。
よく考えてみれば、俺は一般常識やら前世の知識を持っているだけで、それはイコールIQが高いということにはならない。
書かれている項目にも「ワーキングメモリー」だとか「知覚推理」だとか書かれていたし、そんなのは前世の知識を持っていることとは何ら関係がない。
単に持って生まれたものだろう。
なんてことだ。
何故俺はIQが高い集団にも入れるだなんて勘違いをしていたのか。
俺自身の能力が高いわけじゃない。
つまりは、そもそも俺は天才ではない。
ただ前世の記憶というチートを持っているだけなのに、今まで何故あんなにも浮かれていたのか。
今更ながら恥ずかしくなるが、だとしたら、だ。
もしかして芙美が泣いていたのは俺のIQが低かったから?
いや、総合値らしいIQは百に近いのだから、嘆くようなことはないはず。
芙美も俺を天才だと思っていたからがっかりしたとか――そんなことはあるわけがない。俺が年に似合わぬ知識を披露した時も食いつかなかったような人だ。
だったら、何故?
そして俺の頭の片隅には、何枚かぱらぱらとめくった時に目に入ってきた文字がずっとちらついていた。
『検査の間、もじもじと体を動かすことが多く、じっとしているのが辛そうに見えました。また、終始自信がなさそうに答えており――』
やっぱり、どう考えても俺じゃない。
今もテストを受けた記憶はない。
では一体、誰なのか。
ともやとルキアと鬼ごっこをしていたのは?
退屈な授業を真面目に受けて俺よりもさらに拙い字でノートを取っていたのは?
動物園でパンダと一緒に撮った写真の真ん中に映っていたのは?
杏奈に謝ったのは?
俺の中に誰かがいる。
それはもう疑いようがなかった。




