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第三話

 それから俺があの施設に連れて行かれることはなかった。

 様子を見ると言っていたし、まあ焦ることもない。

 そう思っているうち、気づけば俺は小学生になっていた。


 小学校に入ればいよいよ勉強が始まる。

 とはいえ、幼稚園によっては簡単な足し算、引き算やひらがなを勉強しているらしいし、漢字だって『一』とか『二』から始まるわけで、学力差なんて目に見えにくい。

 だから一年生のうちは際立って俺が優秀とわかるようなことはないだろう。

 二年生か、三年生になる頃にはみんなが俺に一目置くようになっているだろうか。

 そうなってくれば、いよいよ芙美は俺を塾に通わせたり、中学受験を検討し始めるかもしれない。

 そんなことを考えていた。


 しかし、小学生というのはあまりに退屈で、窮屈で、苦痛しかない。

 苦痛の最たるものが、この固い木の椅子だろう。

 パイプ椅子だって薄くはあれどクッションが貼ってあるのに、何故子どもが使う椅子は木でいいと思っているのか。

 絵具や給食をこぼしたときに掃除がしやすく、衛生的だからとか、そんな理由なのか?

 それとも大量に必要なものだからこそコストをかけられないのか。

 しかし、そんなのは大人の都合で、実際に座るのは子どもだ。

 体重が軽い子どもには痛くないと思っているのかもしれないが、休憩があるとはいえ半日も座らせられていたらしんどいのだから、なんとか改善してくれないものだろうか。


 おまけに教室の中は保育園よりも人が多くてむわっとしているし、熱気があるせいか匂いもすごく漂ってきて、なんだか臭い。

 机の木の匂いも独特だ。

 濡れるとまた違った匂いがツンと立ちのぼる。

 南側が一面窓ガラスなのも眩しいし、これだけの人数がいると休み時間なんてとんでもなくうるさくて騒音でしかないし、授業中もすぐに口が出てしまう子がいたり、そわそわと落ち着きがない子が目についてイライラするし、とにかく苦痛だらけだ。


 そんな中でも何かに集中したり、気分転換でもできればまだ違うのかもしれないが、状況は保育園よりさらに悪かった。

 集中できるようなことなんて一年生の授業にはない。

 入学してすぐの頃なんてなおさら、保育園の延長みたいなものだし。

 だからといってぼんやりしていると怒られるし、他の子どもたちが指導を受けていて授業が止まっている間が暇でも、他のことをやっていてはいけない。

 じゃあどうしろというのか。

 担任が一人で習熟度が異なる三十人以上の子どもたちを同じ教育水準になるよう指導していこうとしているこのシステムは、無理しかない。


 まあ、俺にとって小学生の授業なんて聞く意味もないから、退屈なのは当然だし仕方のないことだ。

 相変わらず俺のこの短い指はうまく動きはしないが、まあチートを授かった分、やや不器用なんだろう。

 だが『山』も『川』も書き方なんてとっくに知っているし、足し算も引き算も簡単すぎる。

 そんなものを「はい、じゃあみんなで指を高く前に出して、書いてみましょう!」とかいまさら空書きさせられるなんて、苦痛でしかない。


 小学生になってから居眠りばかりしてしまうのは、それらのせいだろう。

 意識を飛ばしでもしていないとやっていられない。

 それでもいつの間にかノートはぎこちない字で埋まっていて、眠い中でもよく頑張ったなと自分で自分を褒めたたえている毎日だ。


「ねえ、優くん。また鬼ごっこして遊ぼうよ」


 休み時間になり、そう誘われたが。

 誰だっけ。

 俺はいまだに同じクラスの子どもたちの名前と顔が覚えられていない。

 みんな髪の毛は黒だし、化粧もしていないし、服もTシャツとかよく見るようなものばかりで派手なのも見かけないから、特徴らしい特徴がない。

 子どもを見分けるのは俺には難しい。

 興味がないからなおさらなのだろう。

 保育園の時は長年通っていたし、顔触れもほとんど変わらないから問題なかったが。


 しかし、一緒に遊んだならさすがに覚えていそうなものだが。

 見たことはあるし、たぶん同じクラスなのだとは思うが、印象に残っていない。

 もしかして、一緒に遊んだと言っても大人数で遊んでいただけなのかもしれない。


「いいけど。他には誰がやるの?」

「今日も俺と優くんとルキアくんだけだよ」


 三人??

 それではすぐに鬼が回ってくる。かなりハードな遊びだ。

 だが前も三人だったということで、それでも俺は覚えていないのか。

 よほどつまらない、印象に残らない時間だったのだろう。


 そう考えたところで、ふつりと意識は途切れ、気づいたら教室中に「さようならぁ!」と子どもたちの大声が響いていた。


「優くん、また明日も鬼ごっこやろうね!」


 また……?

 鬼ごっこに誘われたことは覚えている。

 だが、鬼ごっこをした記憶はない。


「なんでだ……? なんで俺は覚えてないんだよ」


 思わず呟いた声は震えていた。


 なぜノートに俺とは違う字が書かれているのか。


 誰も俺の呟きを気にすることはなく、「じゃあなー!」と手を振りながら教室を出て行った。




 その日以来、記憶が途切れることはなくなった。

 どんなに退屈でも、授業中も居眠りしないし、鬼ごっこも誘われればやった。

 急激な生活環境の変化やストレスのせいだったのかもしれない。

 俺はそう結論づけて、大きな違和感は胸の奥にしまい込んだ。

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