第85話「盗聴」
日の落ちた初夜、魔王城の中でゼベルトは魔王座の間へ向かっていた。いつも隣にいるアニアはレオンの部屋にいるため、ゼベルトは一人。アニアのいない間に、というわけではないが、戦争が終わった後のフィリアルの心持ちが気になり、ゼベルトは彼女に自身から会いに行くのだった。
「フィリ、いや魔王様、メルクル家のゼベルトです。入ってもよろしいでしょうか。」
一応、形だけは敬意を払って、ゼベルトは魔王座の間の扉を叩いた。
「―。」
しかし返ってきたのは静寂。ゼベルトは耳を澄ませ、扉の向こうの音を聴いた。
『・ト・ト・ト。』
小さな足音が聴こえた。ゼベルトは魔王座の間にフィリアルがいることを確認する。
(返事がないってことは、このまま入らない方がいいか?)
フィリアルも一人になりたい時もあるだろう。そうゼベルトは考えた。アニアがずっとそばにいる彼だからこそ、一人でいる時間も大切だということは身をもって知っていた。
『ガタンッ。』
それは小さな音だった。扉が閉まる音。ゼベルトの耳はその音を捉えた。
(扉の音? 魔王座の間の中に扉なんてあったか?)
ゼベルトは不可解に思いながらも、扉の前で佇む。
「聞いていないわ!!!」
響いたのはフィリアルの声。その声も小さいかったが、ゼベルトの耳は彼女の声を聞き溢さなかった。
「敵があれほど強大な魔法を使うのなら、こっちも戦略を変えてたわ。なぜ教えてくれなかったの!?」
フィリアルの声は続く。
(誰かと話してる?)
盗み聞きは悪いと分かっていても、ゼベルトは扉越しに届くフィリアルの声に耳を傾けていた。
「アナタはいつもそう、肝心なことは私に話さない。この前のイグレブ山での強襲に関してもそう。アナタが教えてくれたら犠牲は少なくなったのに。」
フィリアルの声は怒気を孕んでいる。話している誰かに怒りを向けていた。
「はあ〜。だからいつも言っているじゃないか。ワタシはこの世の誰よりも賢いだけであって、この世の全てを知っているわけじゃないって。」
女か男か、ゼベルトにはその声の主の性別を判断できなかった。その声にはフィリアルとは対照的に呆れが混じっていた。
「ハッ。今回ばかりは信用ならないわ。勇聖教会の七星よ? アナタが彼らについて知らないわけないじゃない。私にあえて教えなかったんでしょ?」
「だ〜か〜ら〜、ワタシはなんでも知っているわけじゃないのだよ。」
交わす言葉を聞くに、フィリアルと相手は旧知の中らしい。フィリアルは魔族の仲の良い相手以外に『私』という一人称を使わないことをゼベルトは知っている。
「塔の天辺に住んでいるワタシのところに逐一七星の連中がどんな魔法を使っているかなんて報告は来ないし、ワタシはそんなこといちいち調べないのだよ。」
「…。」
相手の言葉に、フィリアルは黙った。ゼベルトは今更になってこのまま盗み聞きを続けていいのかと悩み始める。しかしゼベルトの悩みなど知らず、フィリアルと相手の会話は続く。
「君の言う夢。人族と魔族の友好的関係を促進するために、僕はいつも知恵を授けているじゃないか。本来ならイグレブ山を通ることなんて考えず、そのまま人族領に直行して犠牲を増やすのは君だったはずだよねえ?」
「…。」
相手の言葉にフィリアルは黙るのみ。
「そもそも今回の戦争の犠牲ってワタシのせいかな? 君の采配が間違っていたのではないかい? その気になればわざわざ雑兵たちに戦わせることなく、君一人で全てを解決できたのではないかい? 結局のところ、最後は君が七星の一番を封じて、敵兵も君が制圧したのだろう? 転移魔法を君が使って兵を避難させるも良し。最大火力で天を焼く魔法を壊すも良し。やりようはいくらでもあったはずだ。君はワタシと通じているから、自分たち魔族は犠牲なく勝てると思っていたのじゃないかい?」
捲し立てる相手。依然その相手がゼベルトは分からないが、只者ではないことだけを感じ取っていた。
フィリアルは何も言わずに、無言のままだった。
「そうね、今回の戦争ででた犠牲は私のせいよ。さっきの発言は取り消すわ。私がアナタに八つ当たりをしただけ。」
やっと口を開いたフィリアルの声にはもう怒気は無かった。
(違う、フィリアルのせいじゃない。)
そう言って扉を開けてしまいそうになるゼベルト。しかしゼベルトの体は自然に扉を開けないという選択をしていた。
「これから、私が戦争を始めから最期まで一人で終わらせるわ。」
フィリアルの宣言。ゼベルトには見えないが、きっと扉の向こうでは、いつも通り両手を腰に当てて、いつものように宣言をしている、そうゼベルトは思った。
「ふ〜ん。ご立派な覚悟だねえ。死にたいのかい?」
相手は少し馬鹿にした返事をした。
「死なないわ。と言うよりも私は死ねない。そうでしょ、賢者サマ?」
フィリアルの言葉にゼベルトは心の臓から固まった。
(賢者? 賢者って言ったのか? フィリアル、嘘だろ?)
賢者とは勇者と聖女を導く存在。魔王の対にあるはずの存在。フィリアルの対話相手が賢者であるのならば、ゼベルトを、いや魔族全員裏切っていることになる。ゼベルトにはそんなこと到底信じられなかった。
「はは、そうだよ。君は死ねない。君は新しい勇者に殺されるのだよ。だから、それまで君は死なない。」
笑いながら、感心しながら、賢者は言った。フィリアルが勇者に殺されると。
(は? 何を言ってるんだコイツは?)
ゼベルトはまた固まる。自身の耳をこんなにも疑ったのは初めてだった。ゼベルトの心臓が早鐘のように鳴って、全身の血管が熱くなり、汗が滝のように噴き出る。
(頼む。否定してくれ、フィリアル。)
賢者の言葉の否定。それだけをゼベルトはバルトルトに強く願った。
「ええ、そうよ。私は勇者に殺される。それまで。私の夢のために私は私の力だけで、もう誰も犠牲にせず進んでいくわ。さあ、いつも通り私に知恵を授けて賢者サマ?」
フィリアルは自身の死の予見を否定しなかった。それどころか、もう一度相手を『賢者』と呼んで、知恵をねだった。
「ふふ、そうだね。いつも通りに行こうか。」
満足そうな賢者の声。
「君一人で戦争を終結。それには反対しないよ。君が『魔王』として、恐怖の象徴として降臨すれば、自ずと戦力のない人族の国は魔王に平伏すだろうからね。」
フィリアルは何も言わない。ゼベルトは半ば放心状態になりながら賢者の声を聞いていた。
「ただ、魔王一人じゃ効果は少し心もとない。確か魔族軍には四天王がいたはずだよね。彼らにも戦争で思うままに雑兵を蹴散らせるべきだ。そうすれば、『魔王』だけではなく、『魔族軍』そして『魔族』として恐怖感を与えることができる。二つ名なんかも付けたらいいかもね。」
「なるほど、わかったわ。でも絶対に無理はさせない。少しでも戦況が怪しくなったら、私が全てを蹴散らす。それでいいわよね。」
「ああ、それでいいとも。」
フィリアルは賢者の言葉を受け入れた。ゼベルトは何もかもを受け入れらない。フィリアルが今賢者と話していることも、彼女が勇者に殺されるということも。
「さあ、それで、攻めていく国の順番だが…。」
ゼベルトが柱の前に立ち尽くしている合間に、賢者とフィリアルの会話は止まらず淀みなく進んでいった。ゼベルトの体の中には疑問が渦巻いて沈んでいる。
(フィリアルが勇者に殺される? 賢者とフィリアルが前から通じていた? 賢者が人族の国を攻める順番を教えている? 賢者が人族の戦力についての情報を流している? なんだ、これは、なんなんだ、これはっ!?)
ゼベルトの全身は懐疑に包まれていたが、それでもフィリアルと賢者の会話が終わるまで、ゼベルトは魔王座の間の扉の前にその足を留めて、耳を澄ましていた。




