第82話「生還」
紺色の瞳が開き、私の顔を映した。
「…アニア?」
ゼベルト様が私の名前を呼ぶ。甘美な声が私の頭に響いて、心臓が速くなって、全身に熱い血液が回る。きっとこれを幸せと呼ぶのでしょう。
「おはようございます、ゼベルト様。」
私も愛を込めて彼の名前を口にする。彼は炎に長い間焼かれ、脱水症状となり、戦争の決着がついた時から丸1日、ベッドの上にいた。
「俺たちは…助かったのか? ヴェンデルさんは生きてるのか?」
やはりゼベルト様はお優しい。自身の容態ではなく、ヴェンデルの安否をいち早くお聞きになった。
「ヴェンデルは、私が殺しました。」
私の言葉にゼベルト様はご自身の耳を疑っているでしょう。しかし私の言葉は真実。それはゼベルト様の聴覚が証明しているはずです。
「…何があった?」
ゼベルト様は顔中を疑問で溢れさせて、私に問う。ゼベルト様が聞くのなら、私は答えるのみ。
「ゼベルト様と私が生き残るために、ヴェンデルの命を犠牲にしました。」
「…そうか。詳しく、話してくれ。」
やはりゼベルト様はお優しい。私に罵詈雑言を吐かず、ただ穏やかに私に話すよう言った。
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ゼベルト様、私、ヴェンデルが空を焼く炎に焼かれていたあの時。
「…アニア、今までありがとうな。」
ゼベルト様がそう言い残して、私とヴェンデルの上に覆いかぶさる。ゼベルト様の身体中が焦げる匂いが私の鼻腔をつく。
「いやいやいやいやいや…」
私は駄々をこねる子供のように涙を流しながら、頭を高速で回転させる。なんとかして空を焼く魔法からゼベルト様を生かさなければならない。ゼベルト様が死んで、私だけ生き残ることなどあってはならない。
「アニア様…。私の命を使ってください…。」
ヴェンデルが掠れた声で私の名前を呼ぶ。ヴェンデルの提案。そして悪魔が私に囁いた。
[―ヴェンデルの命を生贄にすれば、ゼベルトと自分は生き残ることができる―]
その囁きを聴いた瞬間。私は既に術を口にしていた。
「契縛の呪術。」
ヴェンデルは、私の幼い時から私を守り、家族を支え、メルクル家に全てを捧げてきた。そして両親亡き今、私にとって最後の家族だった。しかしこの瞬間、私はそんな老人に、命さえも捧げることを強制させ、自分の愛のためにその命を贄と為させる。私は迷いなく詞を続けた。
「―此の老命を捧げ贄と為す。去りし魔の素よ、我に回帰し、我の最愛と我を守護せよ―。」
燃え盛る炎の中、ヴェンデルの体が冷たくなった。そしてその体の全てが澱んだ魔素へと変わり、散り散りとなる。その澱んだ魔素がゼベルト様と私を包み、燃える世界から私たちを隔離した。そうして、ゼベルト様と私は燃える世界から生き残った。
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「…。」
ゼベルト様は黙って、紺色の瞳で私の方をじっと見つめる。
「全て私が決めたことです。ゼベルト様が責任を感じる必要はありません。」
戦争の前、私とヴェンデルはお互いに、ゼベルト様の命を守ることを誓っていた。後悔は無い。私にあるものは罪だけ。
「アニア…。」
ゼベルト様が私の名前を呼んで、上半身をベッドから起こした。
「まだ、傷が癒えていません、ゼベルト様。」
私はゼベルト様にまだ眠るよう腕を伸ばす。しかしゼベルト様は私の手を退けた。
「安静になさってく、」
急に、ゼベルト様が私を抱きしめた。
「ゼベルト様?」
後悔は無い。そのはずなのに、ゼベルト様に抱きしめられた瞬間、眼がなぜか熱くなった。
「アニア。ごめんな、辛い決断をさせて。そしてありがとう、俺を生かしてくれて。」
「あ、ああ。ゼベルトさま…。ああ―。」
私はゼベルト様の腕の中で涙を流した。
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「申し訳ありません、ゼベルト様。見苦しい姿を晒しました。」
「大丈夫だよ、アニア。」
アニアは泣き止み、その顔を手巾で拭きながら、ベッドの横の椅子に座った。
「それで、ここはどこか、それと現状を教えてくれないか、アニア?」
「はい、ゼベルト様の質問なら全て答えるアニアです。ここはアドナロ王国の王城。その一室です。戦争は私たち魔王軍の勝利となり。アドナロ王国は魔族のものとなりました。」
ゼベルトが眠っている二日の間に戦後処理は進み。アドナロ王国は完全に魔族の者となっていた。
ゼベルトが窓の外を見ると、城下町では魔族兵が巡回し、人族たちを監視していた。
「明日、魔王様が城下町広場にてアドナロ王国全国民に話をするそうです。今後の魔族とアドナロ王国の関係性について。」
「そうか、他のみんなは?」
ゼベルトの質問にアニアは顔を曇らせる。
「バルトルトさんとイザークさんが名誉ある戦死を遂げました。」
「…そうか。」
ゼベルトは空を仰ぎ黙祷をして、二人に敬意を示した。二人を沈黙が包む。
「負傷者としては、イサマクさんが左腕を失い、そしてハンネローレさんは両足不随になってしまいました。」
「なるほど…。」
思い返すと、今回の戦争は過酷なモノだった。勇聖教会の七星が全員揃っていた今回の戦いは、魔族と人族の総力戦と言っても間違っていなかった。
(イサマクとハンネローレさんに果物でも送ろう)
ゼベルトは考え、状況を把握した。
「…わかった。ありがとうアニア。」
「どういたしまして、ゼベルト様。」
二人の紺色の瞳と赤色の瞳が交わる。
「とりあえず今は休みましょう、ゼベルト様。」
「ああ、そうだな。」
仲間の死と傷は辛い。しかし悲しみに暮れている暇は無い。まだ一つの戦争が終わったばかり。フィリアルとの約束のために、ゼベルトは少し食事をして、再度眠りについた。アニアはゼベルトが再度眠りについたのを確認して、自身もベッドに入り、黙って添い寝をした。




