第70話「 対 法剣」
「ゼ、ゼベルト殿…、がはっ、はぁはぁ…。」
「ヴェンデルさん、喋らないでください。すぐ衛生兵を連れてきますから!!」
アニアがマリユスと相対している間に、ゼベルトはヴェンデルを背負い走って、戦場から離脱していた。そして今、ゼベルトはヴェンデルにありったけの回復薬瓶をかけて、傷を布で抑える。ヴェンデルの容態は一刻を争う。酷すぎる火傷と全身の裂傷は一瞬ごとにヴェンデルの命を奪っていく。回復薬瓶など気休めにしかならなかった。
「ゼベルト殿、私を置いて…、アニア様のところへ行ってください…。ぐっ。」
「何言ってるんですか、そんなことしたらヴェンデルさん…。」
ゼベルトは思い出す。幼少の頃、自分を置いて逃げろと言った母親のことを。あの時、結局誰も助けられなかった。そしてヴェンデルの体から滴る血が、あの時自分が蹲ることになった兄の血溜まりを思い出させる。
「はぁ、はぁ…、あの少年兵は只者ではない。アニア様1人では手に負えない。…少しでも早くアニア様の元へ、行ってください。アニア様が危険です…。」
ヴェンデルがゼベルトの手を掴み、その眼に訴える。そこにいるのは、死にかけの老人などではなく、覚悟を決めた1人の老兵だった。
「お願いします、ゼベルト殿。アニア様のところへ行ってください。私は貴方とアニア様を命に変えても生かすと心に決めているのです…。」
ヴェンデルの持つ熱がゼベルトの腕に伝わる。ゼベルトはその熱さを無碍にすることなどできなかった。
「あぁ!! クッソォ!!!」
ゼベルトは哀しみを怒りに無理やり変えて吠えた。そしてゼベルトも覚悟を決めた。
「……わかりました。」
ゼベルトもヴェンデルの手を強く握り返す。そしてヴェンデルの茶色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「でもすぐに戻ってきます。俺とアニアだけじゃダメです。貴方も生きてください。」
返事は返ってこなかった。ただ、ヴェンデルの爛れた顔には幸せそうな微笑みがあった。
ゼベルトが戦場に戻る。そこには膝をついたアニアの前で、まさに今止めの一撃を振るわんとするマリユが立っていた。
「アニア!!!!」
ヴェンデルを置いてきたやるせなさを再度叫びに込めて、ゼベルトは投げナイフを力の限り投擲した。
「うわ、びっくりした。」
ゼベルトの気迫は投げナイフの実際の殺傷力よりも、マリユスに身の危険を感じさせた。投げナイフを身捌きで避けることはマリユスにとって容易い。しかしマリユスは驚きと共に、剣でナイフを弾いて、数歩後退していた。
「ゼベルトさま…?」
「アニア、間に合ってよかった。」
駆けつけざまに、ゼベルトはアニアの頭を撫でた。魔素を持たないゼベルトが触れたことにより、アニアの契縛の呪術が解けた。
「ああ、ゼベルト様…。私はまだ貴方に撫でていただけるのですね。」
アニアは両眼から雫を垂らす。
「生きている限り、いつだって、どこだって、何度だって撫でるよ。」
「はい、ゼベルト様…。」
アニアの両眼から垂れた雫が、彼女の顔に小川を作る。アニアの疲労はもう限界を迎えていた。
「アニア、戦場から離脱して、ヴェンデルさんのところに行ってくれ。まだ間に合うはずだから。」
「はい、しかし奴は…。」
アニアの視線の先にいるのはマリユス。こちらを傍観するだけで襲ってはこない。『好きなだけどうぞ』と言わんばかりの表情で、剣についた屍の血肉を拭っていた。
「ゼベルトにお任せあれ、だ。いつもアニアに頼ってるからな、今日は俺に任せてくれ。」
「…はい!! お任せいたします。」
ゼベルトの手が頭から離れることを少し憂いながら、アニアは戦場から駆けて離脱する。マリユスにゼベルトが勝てるかは怪しい。アニアはマリユスに本気を出させることもできなかった。しかし、自身の想うゼベルトが「任せろ」と言った。その言葉を信じない道理は無かった。
「うん、お兄さんはいいね。ぼくの魔法が『いい』って言ってる。」
「魔法とおしゃべりできる奴は初めてだ。」
「ははっ。お兄さん。ぼくの魔法は特殊なんだ、もしぼくに本気を出させてくれたら、魔法のこと教えあげるね。」
「別に興味ねえよッ!!」
軽口を挟み、ゼベルトから斬りかかる。アニアの消耗の仕方を見るに、マリユスは純粋な剣士。しかし実力はアニア以上。様子見をしている暇などは無かった。
「お兄さんの剣、面白いね!!」
ゼベルトの垂直斬りをマリユスは軽々と弾く。一合で只者ではないとゼベルトは理解する。弾かれた剣の勢いで体ごと回転して、ゼベルトは水平斬りを放つ。
「うん、うん、いいねえ!」
再度マリユスは剣を弾く。その顔は笑みで満ちていた。
「じゃあ、次はぼくから行くね!」
マリユスの剣が閃く。
「ッ!!」
一瞬の間に三つの斬撃がゼベルトを襲う。一つは一歩後退して避け、一つは体を逸らして避け、一つは剣で迎撃する。かろうじて、と言っていい具合の防御だった。
「流石!! 今のは捌けるよね。じゃ次はどうかな!」
マリユスの剣がまた閃く。今度は力の籠った高速の垂直斬り。
「チッ。」
舌打ちをつきながら、ゼベルトは垂直斬りを受け流す。体捌きで避けることが不可能だった。剣を持つ腕が痺れる。少年の体から出たとは思えない威力。
「うん、うん、力も十分っと!! 次はどうしようか。」
(このままだとまずいな。)
ゼベルトは戦いの主導権をマリユスに握られていることを危惧する。このままだと防戦一方。魔素の無いゼベルトは不利。さらにマリユスはまだ魔素強化をしていなかった。
「こういうのはどうかな、お兄さん!!」
マリユスは突きを放った。それはゼベルトが生涯で見た中で最高速の突きだった。
「…!!」
その突きをゼベルトはギリギリのところで回避する。そして。
「ハッ!!」
突きの後隙に剣を振るった。『後の先』、未完成だった剣技をここ一番でゼベルトは完成させた。
「っ!?!?」
鈍い音を立てて、マリユスが驚きながらゼベルトの剣を迎撃した。その挙動はまるでマリユスが見えない何かに操られているようだった。
(なんだ!? 今のは…。明らかに『取った』はずだったぞ?)
ゼベルトはその得体の知れなさから一歩距離をとる。マリユスも驚きを顔に露わにしながら、距離を取った。
「いやー。すごいね、お兄さん。そんなの初めて見たよ。いや知ってはいたけどさ。後の先っていう奴でしょ? できる人に会ったことなかったから、ぼくもまだできなかったんだよね。でもありがとう。これでぼくもできるようになるよ。」
「よく喋るガキだな。さっさとかかって来いよ。」
「うん、そーする。」
マリユスがゼベルトに剣を振るう。
(ここッ!!)
体捌きで剣を避けて、ゼベルトが再度後の先を取り剣を振るう。しかし。
「こんな感じ?」
マリユスは魔素強化を発動させ、その剣を体捌きで避け、ゼベルトに返しの一撃を放った。
「!?」
後の先というにはまだ不完全だったため、皮一枚を犠牲にゼベルトはその一撃を避けた。
「あれ、ちょっと遅かったか、難しいな。」
不服そうな顔をするマリユス。
(一回見ただけでできるようになったのか? ちっ、天才ってやつか…。)
ゼベルトは深呼吸をして、体勢を整える。アニアが膝をついていた理由を理解した。
「ぼくは七星三番『法剣のマリユス・リコール』。ぼくの魔法は剣の魔法。魔素を体に巡らすと自然に体が剣を振ってくれるんだ。みんなには『法剣』って呼ばれてる。剣に関することならぼくは誰よりも強くなれる。だからぼくより強いお兄さんに会えて嬉しいな。キリア神様のお導きに感謝だね。」
「死神の導きと間違えてるぞ、お前は俺がここで殺す。」
「ははっ。楽しませてね、お兄さん。」
2人が剣を構える。ゼベルトの紺髪とマリユスの白髪が風に揺れる。
「「…。」」
2人とも剣を構えたまま動かない。お互いに後の先を取ることができるのだから、それは当然。先に動いた方が不利。
「「…。」」
お互いに一歩も動かない。まさに達人、いや超人の間合い。しかしついにお互いが痺れをきらす。
「「ハッ!!」」
全く同時に2人が動いた。剣と剣が音を奏でる。お互いが相手の後の先を迎撃するため、一度の剣撃で防御体勢を取った。
「「…。」」
まるで鏡合わせのように2人が向い合い続ける。
(これはどうだ?)
ゼベルトは高速で投げナイフを投擲する。
「ッ!!」
マリユスはまた驚きながらそのナイフを剣で弾いた。『法剣』。魔素に満ちた体が自動的に剣を振るわせる。できた隙にゼベルトは攻める。
「ハッ!!」
しかし金属音が響くのみ。『法剣』がマリユスを生かす。
「なるほど。そういうのもありだよ、ね!!」
ゼベルトの真似をするように、マリユスが魔術で風の刃を放った。
「ハッ!!」
ゼベルトは魔喰らいの剣で難なく風刃を迎撃した。
「えー、すごいね。ぼく以外に魔術を斬れる人は初めてだよ。」
「…。」
マリユスに賛美をゼベルトは無視する。また2人を静寂が包む。この後、一秒か1分か1時間かわからなくなるほどの時間感覚の中、2人は静観と金属を奏で続けた。
「「…。」」
何度目かの静寂。ゼベルトは体力というよりも精神を消耗していた。
(次の一撃で決める。)
ゼベルトは全神経をマリユスの動きに集中させる。そしてゼベルトは空気の揺らぎを聴いた。次の瞬間、勝敗は決した。
「なっ…!?」
マリユスが剣を振ろうと予備動作を始めたその瞬間にゼベルトは剣を振っていた、それは『先の先』。『後の先』とは逆。敵の攻撃が始まるその前の隙に攻撃を合わせる技術。ゼベルトはマリユスに勝った、はずだった。
『バキィインッ』
それは剣の折れる音。折れたのは漆黒の剣、魔喰らいの剣。そう、負けたのはゼベルトだった。『法剣』は剣の魔法。マリユスが前隙を取られたとしても、『法剣』がゼベルトの一撃に反応していた。そして魔喰らいの剣は限界を迎えていた。セザールの魔法、そして魔素強化の施されたマリユスの剣、何度も撃ち合う内に、その呪術の許容量を超えていた。
「あー、ちょっと後味悪いけど、ありがとうお兄さん。楽しかったよ。」
(俺は、死ぬのか…?)
構えられる剣、そして空いた両手。なす術はない。ゼベルトは迫り来る死を受け入れる他ない状況。
『ゼベっちに助太刀!!! 第二弾ッ!!!!』
獣が嵐の如く登場した。両手に剣を携えたヴェルニャがマリユスに突っ込む。
「くっ!!」
マリユスをまた『法剣』が守る。しかしヴェルニャの腎力に押されて吹き飛んだ。
「ニャハ〜、危なかったね、ゼベっち。こっからは私に任せて!! 後ろにアニアちゃんとお父さんが待ってるから、一時離脱しちゃって。」
いつも通りの間の抜けた口調で、ヴェルニャはゼベルトに状況を伝えた。
「了解。ありがとう、助かった。」
「ニャハハ〜、どういたしまして〜。」
ゼベルトは戦場から撤退する。どうにか治療は間に合い、ヴェンデルは一命を取り留めたようだ。
「あ〜もう、今日こういうの2回目だよ。お姉さんは強いの? さっき後味悪かったから、ちゃんと楽しませ……。」
戻ってきたマリユスが途中で言葉を止める。
「ニャニ〜、言いたいことあるならちゃんといいなよ。」
「あー、ごめんお姉さん。ぼく戻らなきゃ、お姉さんも戻ったほうがいいんじゃない?」
指で空を刺し、マリユスは魔素強化を駆けて自陣へ走り出した。
「ニャッ!? 逃げるなっ!!!」
ヴェルニャもマリユスを追いかけて走り出す。この時、すでに空は燃え始めていた。




