第58話「新たな約束」
魔王軍による人族領への侵攻開始までのゼベルトの一日。
・朝起きて、朝食をアニア、ヴェルニャと一緒に食べる。
・その後、訓練場に行って、一般兵を指導する。
・昼になったら、食堂で昼食をまたアニア、ヴェルニャと一緒に食べる。
・その後、バルトルトやイザーク、レオンと手合わせをする。
・夕方になったら、皆で夕食を食べる。
・夜になったら、大浴場で湯浴みをする。
・自室に戻ってピアノを弾いたら、眠りにつく。
習慣化された日々はあっという間に過ぎる。侵攻開始まで残り2週間を切った日の夜、ゼベルトが大浴場から自室に戻り、ピアノを弾くため楽譜を用意していると、ベランダの方から彼女の音がした。
「フィリアル?」
ゼベルトが部屋の窓を開ける。
「こんばんは、ゼベルト。」
挨拶をしながら、フィリアルは翼を消しゼベルトの部屋に入った。魔王の業務終了から直接ゼベルトに会いに来たため、彼女の服装は威厳ある王服だった。
「2週間ぶりね。」
「そんなに経ったてたのか…。」
フィリアルに水の入ったコップを手渡すゼベルト。
「はあー、もう魔王の仕事ってなんであんなに大変なの? 友達に会う暇もないわ。」
コップを空にして、フィリアルはため息混じるに愚痴る。
「貴族様のお相手は面倒臭いか。」
「ええ、ものすっごく面倒くさいわ。」
悪態をつきながら、ローブを投げ捨て、フィリアルがベッドに寝転がる。
「そんな忙しい魔王様が俺に何の用ですか?」
茶化しながら、ゼベルトは聞いた。
「別に用事なんて無いわよ。会いに来るのに理由がなきゃダメかしら?」
ベッドに仰向けになり、天井を眺めながらフィリアルが返答する。
「こっちは理由がなきゃ会えないんだよ。」
ゼベルトはベッドに寝転ぶフィリアルの隣に座った。
「ねえ。私、ゼベルトに言いたいことがあるわ。」
「用事はなかったんじゃないのか?」
茶化すゼベルト。反対にフィリアルは真剣な顔をしていた。
「やめても、逃げてもいいのよ。」
「…? 何から?」
「全部から。」
「は?」
ゼベルトは自身の耳を疑った。彼女から放たれた言葉に体の音に一切の嘘偽りが無かった。
「無理して戦わなくてもいいのよ、ゼベルト。」
フィリアルの言葉を聞いて、ゼベルトの心の中で何かが弾けた。
「俺が弱いって言いたいのか? フィリアルにとっての俺は、親も兄弟も誰も守れなかったあの日の弱いガキのままか!?」
ゼベルトは寝転んだフィリアルの腕を掴んで、真上・真正面からフィリアルの顔を睨んだ。
「そうは言ってないわ。でも誰だって簡単に死ぬのよ。」
フィリアルがゼベルトの腕を掴み返して、そのままゼベルトをひっくり返した。ゼベルトはあの日よりも強くなったが、フィリアルとの差は以前大きかった。ゼベルトの上にフィリアルが覆いかぶさる形になる。
「戦争をすれば誰かが絶対に死ぬわ。序列も四天王も何もかも関係なく。戦争っていうのは、そこで戦う者たちの過去・現在・未来全てを否定して暴力で殺し合うだけの世界だから。」
「俺には覚悟がないって言いたいのか? だとしたらそれはまちが」
「違うわ。覚悟があるからこそ、嫌なのよ。」
怒りを顕にするゼベルトの声にフィリアルは声をかぶせた。その声は憂いに満ちていた。
「ゼベルト、あなたは覚悟を持って私に逢いに来てくれた。そして私と一緒にいるために強くなり続けている。でもね、私は最初の友達であるゼベルトを失いたくない。あなたは私の心の水晶玉なの。壊したくない、壊れてほしくない存在なのよ。」
「壊れたら、フィリアルはどうなるんだ?」
心の水晶玉。そう言われてゼベルトは少し冷静になった。その冷静さは、彼女から特別な感情を向けられていると分かった喜びによるものでもあった。
「全てどうでも良くなるわ。『我を持つ全てと友達になる』なんていう私の夢は砕け散る。だって最初の友達すら守れなかったら、もう誰と友達になろうと意味はないもの。」
哀しみを溢れさせながら、フィリアルは笑った。
「戦争を始めるというのに、自分の保身を考えて、物資支援をしない貴族が魔族にも大勢いるわ。魔族も人族と一緒でドス黒い部分を持ってる。そんな奴らを力で黙らせて、私は友達という仮初の友好的関係を作っているのよ。」
フィリアルが自虐的にまた笑った。
「きっとこの先もそれは変わらない。人族領の侵攻に成功しても、本物の友好的関係なんて築けやしないわ。戦争という方法をとる以上、きっと私には憎しみが向けられる。私が人族に憎しみを持たないからと言って、人族が私に憎しみを持たない理由にはならない。」
ゼベルトの腕を強く握るフィリアル。
「ずっと前からわかっていたはずなのに、自分から戦争を始める今になって私は焦ってる。滑稽よね。」
フィリアルの黒い瞳に絶望が潤んでいた。
「俺が死ななければ、諦めないんだよな。」
今までゼベルトはただひたすらに夢を追いかけるフィリアルと一緒にいるため、生きてきた。しかし、フィリアルの夢をゼベルト自身も支えていた。頭の中の棚を全てひっくり返して、ゼベルトはフィリアルにかける言葉を探す。
「『人族も魔族も、悪いヤツをフィリアルがみんなぶっ飛ばして、俺が『みんな友達になる曲』を演奏する。そうやってみんな友達になって世界平和が訪れる。』フィリアルが幼い頃、俺に宣言して約束してくれた夢だ。」
「ええ、そうね。」
「仮初の友達ってフィリアルは言ったけどさ、俺たちはフランツ兄さんと友達になって、さらには家族にもなれたろ? だからさ、フィリアルの言う通り魔族も人族も関係なく、本当はみんな友達に、家族にだってなれるはずなんだ。」
ゼベルトはフィリアルの夢を思い出して、その彼女の夢のために言葉を紡ぐ。
「戦争に勝って、人族と仮初の友好関係を築くだけかもしれない。俺とフィリアルは人族と友達になれないかもしれない。でも、俺たちの次の世代の魔族と人族は友達になれるかもしれない。だから、苦しくても、多くの犠牲を出しても、フィリアル自身がフィリアルの夢を信じるなら、俺は一緒に戦う。」
ゼベルトは真上にあるフィリアルの黒い瞳を真っ直ぐに見つめていた。しかし、フィリアルの黒い瞳はどこにも焦点を合わせていない。真下にいるゼベルトの顔をぼんやりと捉えているだけだった。
「それに…、俺に逃げてもいいっていうのなら、俺と一緒に逃げてくれよ、フィリアル。」
紺色の眼から一滴の涙を垂らして、ゼベルトが言った。それはフィリアルの夢を思った言葉ではなく、ゼベルトも知り得なかった、彼の心から溢れた彼のための願いだった。
「ごめんなさい。それはできないわ、ゼベルト。」
黒い瞳を閉じ、潤みを消してフィリアルは拒否した。
「そうか…。」
ゼベルトの心に頭がやっと追いつく。当然拒否されて然るべき願いだったとゼベルトは今更ながらに思った。
「じゃあ、俺は絶対に死なない。だからフィリアルも死なないでくれ。子供の頃約束したバカげた夢を叶えるまで、一緒に戦っていこう。」
「…そうね、私は最後まで戦うわ。死なないのは、フィラウディアにも頼まれたことだし。」
ゼベルトとフィリアルは微笑みあって、新たな約束を結んだ。フィリアルはゼベルトの上から退いてベッドに座る。ゼベルトも体を起こして、フィリアルの隣に顔を並べた。
月明かりが部屋を照らす。ゼベルトに月光が当たり、その影がフィリアルに覆いかぶさる。隣にあるフィリアルの顔をゼベルトは心底美しいと思った。黒金剛石のような魔石角と瞳。影の中でも艶やかに存在を主張する黒髪と褐色肌。そんな美しいフィリアルの姿に誘われるようにして、ゼベルトの顔が彼女の顔に近づく。フィリアルはそのゼベルトの接近を眼に映しても動かない。
「フィリアル〜?」
窓硝子を叩く音と共に、部屋に少女の声が響いた。ゼベルトとフィリアルの距離が離れる。
「フィラウディア、どうかしたの?」
フィリアルがベッドから離れて、ベランダの方へ歩いていく。
「あ、やっぱりいた。今日一緒に寝るって約束したでしょ?」
「ええ、そうね。」
フィリアルが窓を開けて、ベランダからフィラウディアが部屋に入る。
「あれ、ここゼベルトの部屋だったんだ。」
フィラウディアはようやくゼベルトの存在に気づいた。
「ああ、そうだよ。俺の部屋だ。」
「ゼベルトもフィリアルと寝たかったの?」
静寂。解答しづらいフィラウディアからの質問。
「どうかしら。もう夜も遅いから部屋に戻るわ、ゼベルト。」
無理矢理にフィラウディアの手を引いて、フィリアルはベランダに出た。
「ああ、おやすみフィリアル。新しい約束、忘れないでくれよ。」
「ええ、もちろん。おやすみゼベルト。」
言って、フィリアルは翼を発現させ、フィラウディアと夜空へ飛び立った。
「おやすみー!」
フィラウディアの声が手を振るゼベルトに届いた。
「はあ…。」
部屋で一人。ため息を吐いて、ゼベルトは頭をかく。
(俺は心の内であんなことを想ってたのか…。)
フィリアルに吐露した想いに、ゼベルト自身も驚いていた。戦争開始まで残り2週間、ゼベルトは作曲をやめた。その代わりに、ゼベルトは戦争で死なないため、夜にも鍛錬を重ねるようになったのだった。子供の頃の約束ではなく、新たな約束を果たすべく、ゼベルトは日々を過ごすようになった。




