第53話「バルトルトとハンネローレ」
「フィラウディア寝ちゃったから部屋まで運んでくるね。みんな良い夜を〜。」
ヴェルニャがフィラウディアを腕に抱いて、部屋から出ていく。夜は更けきり、皆酒と遊び疲れが身体に溜まってくる頃合いだった。アニアもゼベルトの肩に頭を乗せて寝ていた。
「ハンネローレ殿、大丈夫ですかな?」
「ひゃい、大丈夫れす。」
眼鏡をずらしたまま、酒に飲まれたハンネローレが答える。
「これは大丈夫じゃなさそうですな。」
バルトルトが心配そうに見守る。
「レオン、ハンネさんを部屋まで送ってやった方が…。」
「黙っておじさん。おじさんもそろそろ酔ってきたでしょ? 私が部屋まで送ってあげる。」
「ああ? 俺はそんな酔ってねえよ。」
「いいからほら、行くよ。」
レオンがイザークの腕を引っ張って、半ば強制的に退室していった。
「バルトルト、ハンネさんを研究室まで送ってあげてくれないかしら? ちょっと私も酔いがひどくて送れそうにないわ。」
フィリアルがレオンの意図を察した。
「承知しました。感謝しますフィリアル様…。」
ゼベルトとプラグマもヴェンデルも、察して黙っている。
「それとバルトルト。魔王城とイグレブ平原を任せちゃって悪かったわね。あなたも私たちと同行したかったでしょ?」
フィリアルがハンネローレを片眼で見つめながら、バルトルトに聞いた。
「…否定すると嘘になりますが、小生は役割を与えていただき嬉しく思っています。謝罪は要りませんぞ、魔王様。」
バルトルトの硬化魔法は魔獣と相性が悪い。その代わり対人性能は類を見ないので、魔王城とイグレブ平原を守護するため、フィリアルたちとは別行動となっていた。
「それでは、皆様。良い夜を。ハンネローレ殿、歩けますかな?」
「ひゃい、だいじょぶです。皆さん、良い夜を。」
バルトルトはハンネローレに肩を貸して、二人で部屋から出ていった。
「フィリアル、アニアを部屋まで連れてってくれないか?」
「あら、ゼベルトが連れていった方が喜びそうだけど?」
フィリアルがニヤニヤと笑う。
「女子寮は男子禁制だから入れません。」
ピシャリと言い切るゼベルト。
「そうね。じゃ、二人ともおやすみなさい。」
軽々とアニアを抱き上げ、フィリアルも部屋から出る。残ったのはゼベルトとプラグマとヴェンデルのみとなった。
「私は片付けをしますが、小腹が空いているのでしたら何か作りますよ?」
「いや、僕は部屋に戻ります。料理、とても美味しかったです、ヴェンデルさん。」
ヴェンデルに感謝の言葉を述べるプラグマ。
「ありがとうございます。」
素直に受け取るヴェンデル。
「ゼベルト。君のピアノも前聞いた時より良かった。また聞かせてくれたまえ。」
「そりゃ、どーも。お前の舞踏もなかなかだったよ。」
ゼベルトとプラグマは口角を上げるだけの笑みを見せ合う。そしてプラグマは自分の部屋に戻っていった。
「ヴェンデルさん、片付け手伝いますよ。」
「ありがとうございます。しかしお気持ちだけで大丈夫です。私以外の執事や侍女もこの後きますのでお構いなく。」
「そうですか…。あ、ピアノだけバルコニーまで一緒に運んでもらってもいいですか?」
「もちろん、お任せくださいませ。」
こうしてゼベルトもピアノと共に退出し、フィラウディアの歓迎会はお開きとなった。
『魔に関する研究室』そう書かれた札が貼られた扉を通る魔族が二人。薬品の匂いと魔素の怪しい光がその二人を出迎えた。研究室の主人・ハンネローレはバルトルトに運ばれ、ソファの上に寝かされた。
「…バルトルトさん、茶色の棚に置いてある黄色の薬瓶をとってくえませんか? 酔い覚ましの薬が入っていゆので…。」
ソファに寝転がったまま、ハンネローレはバルトルトに頼んだ。
「承知しました、少々お待ちください。」
バルトルトはハンネローレの酔った姿が見られなくなることを憂いたが、邪な考えは一瞬で捨てて、言われた通り薬瓶を彼女に渡した。
「あいがとうございます…。」
礼を言って、ハンネローレが薬を飲む。黄色の薬がハンネローレの口に流れていき、彼女の酒で火照った顔は白い肌へと戻った。
「んん…。見苦しいところを見せてすいませんでした、バルトルトさん。」
「いえいえ、ハンネローレ殿の薬を飲む姿、とても神秘的でした。」
謝るハンネローレに、バルトルトは思っていたことをつい言葉にしてしまった。
「え…?」
「失礼しました、酒で口が滑ったようです。」
顔を赤くするバルトルト。
「バルトルトさんもそんな時があるんですね。」
驚きながら、ハンネローレは小さく微笑んだ。
微笑むハンネローレを見て、バルトルトは自身の心臓が速くなったのを自覚した。レオンやフィリアル、皆に気を遣ってもらってできたハンネローレと二人きりの状況。バルトルトは胸の内をハンネローレに伝えることを決意した。
「ハンネローレ殿、小生は貴女のことを好いています。」
率直に純真にバルトルトはハンネローレに想いを伝えた。
「…。」
無言になるハンネローレ。一瞬、バルトルトが酔って冗談を言ったのではないかと考えたが、彼の眼を見てその考えを捨てた。
「なんで、私なんですか…? 私より気立ての良い方はたくさんいると思いますし、私なんて少し魔術に詳しいだけですよ?」
単純な疑問。ハンネローレはバルトルトからの好意に理由を求めた。
「ハンネローレ殿を初めて眼に映したときから、今日この瞬間までずっと、小生は貴女を美しいと想って止まないからです。」
バルトルトは自身の想いをハンネローレの心に届くよう直向きに言葉にした。
「その、えっと、私のどこが美しいんでしょうか? 貧相で、無駄に背だけ高くて、眼鏡をかけて、艶の無い髪を長く垂らしただけの私なんてむしろ醜いですよ。」
ハンネローレはバルトルトの美しいという言葉にある種の拒絶反応を示してしまった。薄暗い研究室に閉じ籠り、魔に関するモノと睨み合う毎日を過ごす自分。彼女の心の氷壁はバルトルトから向けられる好意を受け入れられなかった。
「小生が美しく想うハンネローレ殿を『醜い』などと仰らないでください。例え言うのが貴女本人であっても、到底許せることではありません。」
ハンネローレの強く手を握り、バルトルトが力強く言葉を響かせた。
「な。…じゃ、じゃあ私のどこが美しいんですか、言ってみてくださいよ!!」
ハンネローレは勢いに任せて言い返した。
「貴女の容姿や身分ではなく、小生はハンネローレ殿の在り方が美しいと想っているのです。話すと長くなりますが、良いですよね?」
バルトルトはハンネローレから返事を聞く前に話し出す。
「小生は鉱業家の五男。体が頑丈で硬化魔術に長けていたことのみが取り柄でした。だから自分のやりたいことなど考えもせず、来る日も来る日も鉱石を叩く。それが鉱業家での小生の在り方でした。」
バルトルトはハンネローレの手を強く握ったまま続ける。
「そして前魔王様が倒れ家の景気が傾くと、小生は魔王軍に厄介払いされました。軍に入っても小生の在り方は変わりませんでした。ただ人族を効率的に殺す。小生はただの殺戮人形だったのです。」
ハンネローレは返す言葉を見つけられない。
「そんな小生がより効率的な殺戮方法を求めて魔王城の書庫に入った日、ハンネローレ殿に出会ったのです。何冊も腕に本を抱えて、今にも転びそうな貴女がいました。」
研究室の怪しい光がバルトルトの銀髪とハンネローレの黒髪を照らす。
「案の定、別の本を取ろうと手を伸ばしたときに、ハンネローレ殿は転んでしまいました。周りの者どもに笑われながら、散らばった本を拾い集める不憫な貴女の姿を私は覚えています。しかしそれ以上に私の眼に焼き付いて残っている貴女の姿があるのです」。
バルトルトはハンネローレの手を優しく握り直して、彼女の眼を真っ直ぐに見つめる。
「それは、拾った本を机に置いた後、他者の眼など気にも留めず、もう一度本棚の高所に背と手を伸ばしていた貴女の姿です。何度踏まれても咲き誇る一輪の気高い花のような、ハンネローレ殿の美しい姿なのです。」
バルトルトはハンネローレに想いを理解してもらうために、全霊を注いで言葉を紡いだ。
「だ、だから、なんで私なんですか…?」
ハンネローレはバルトルトの感情を理解できても、その感情の矢印の先が自身に向いていることを理解できなかった。
「貴女は自分の追求したいことのために生きてらっしゃる。それがどんなに素晴らしいことか。龍と会いに行ったのもそのためでしょう? そんな在り方で生きるハンネローレ殿だからこそ、小生は貴女を好いているのです。」
「………。」
暖かく優しいバルトルトの言葉と手がハンネローレの心の氷壁を溶かした。やっとハンネローレはバルトルトから向けられる好意を受け入れられた。
「このバルトルト・ベルガーと一生を添い遂げてはいただけないか。ハンネローレ殿。」
片膝をつき、ハンネローレの片手を掲げ、バルトルトはハンネローレに婚約を申し出た。
「…バルトルトさん、ありがとうございます。でも、少し待ってくれませんか? 私、頭が熱暴走してるみたいで、その、ちゃんと冷静になってからお答えさせてください…。」
酔い覚ましの薬を飲んだはずだったが、ハンネローレの頭と身体は酔っていたときよりも火照っていた。
「承知しました。いつまでも待っていますよ…。小生は部屋に戻りますね、夜も更けていますので。ハンネローレ殿もお体に触りないよう、良い夜を。」
バルトルトは少し顔に申し訳なさを滲ませながら、ハンネローレに背を向け、研究室の扉へ歩いていく。
「はい、ありがとうございます。バルトルトさんも、良い夜を。」
ハンネローレも少し申し訳なさを顔に滲ませて、退出するバルトルトの背中を見送った。彼が退出してから、ハンネローレは、彼の温もりが残った自身の手を眺めるのだった。




