第4話「人族のフランツ」
数日後、男が目を覚ました。男のベッドから起きる音をゼベルトが聞き取り、フィリアルが男に声をかける。
「おはようございます。私の名前はフィリアル。あなたは悪い人族ですか?」
起きた男に向かって、殺気を放ち、背中にナイフを隠したフィリアルが質問する。
「え、えっと…。僕、悪い人族じゃないよ…?」
フィリアルは扉の向こうにいるゼベルトを見る。ゼベルトは首を縦にふり、男が嘘をついていないことを伝える。ゼベルトの聴覚は、本人曰く、『嘘をついている人の音』をも聞けるらしい。
「そうなんだ。じゃあ名前はなんて言うの?」
警戒をとき、再度男に向き合うフィリアル。
「ふ、フランツ。僕の名前はフランツだよ。君が僕を助けてくれたのかい?」
男は怯えており、細い体を震わせていた。
「私と後ろのゼベルト、あとゼベルトのお母さんのエリザベトさんが、あなたを助けたのよ。」
腰に手を当て、自慢げにフィリアルが答えた。
「そう…なんだ。…がとう。」
「え?なんて言ったの?」
「ありがとう、本当にありがとう。」
フランツは泣き出し、感謝を述べ始めた。
「え、えっと、エリザベトさん、どうしたらいいの!?」
全く予想していなかった事態にフィリアルは混乱し、エリザベトに助けを求めた。
フランツが落ち着くまでしばらく時間が掛かった。そして何があったのかを話し始めた。
「僕は、調査団の一人だったんだ。それで魔族領近くまで、探索に来たんだけど、途中道に迷って、団の食糧も無くなってきて。僕はただの学者だから、みんなの役に立てなくて…。それで…。」
フランツはまた泣き出しそうになり、下を向いた。
「もしかして、置いてかれてしまったんですか?」
エリザベトが水の入ったコップを差し出し、フランツにことの顛末を聞く。
「そうなんです。森の中に置いて行かれて、彷徨っているうちに狼の縄張りに入ってしまったみたいで…。もう死ぬかと思ってたところにフィリアルさんが助けてくれたんです。」
水を飲み、フランツは大きなため息を吐いた。そして何かに気づき顔を上げる。
「あの、僕人族なので、早くここから出て行った方がいいですよね。」
無理に体を動かし、フランツはベッドから出ようとする。
「無茶だよ、フランツさん。そんな体じゃまた狼にやられちゃうよ。」
腹の傷は癒えたが、一番ひどい傷が治ったのみで、まだフランツの身体中が傷だらけだった。
「そうですよ。フランツさん、せめて傷が治るまで、ここにいてください。」
「…でも魔族の皆さんは人族を恨んでいるでしょうし。」
渋い顔をして、またベッドから出ようとするフランツ。
「私はフランツさんのこと恨んでなんかないわ。だからまず私と友達になって。」
フィリアルがフランツの腕を掴んで止める。
「と、友達?」
「そう、友達。私の人族最初の友達。私の友達だって言ったら、村のみんなも黙るから。」
フィリアルの澄んだ瞳が、フランツを見つめる。
「フランツさん、フィリアルはこの村で一番強いから大丈夫だよ。」
ゼベルトもフィリアルの後押しをする。フランツは少し考える。
「わかりました。傷が治るまで、ここにいさせてもらいます。本当に申し訳ないです。」
「じゃあ、フランツさんは私の友達ね。」
ふふっと笑い、フィリアルは満足する。
「本当にありがとう。本当に…。」
フランツはまた涙を流し始めた。そんな一人の人族を、三人の魔族が暖かく見守っていた。
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数日後、フランツの怪我はそこそこ回復し、歩ける程度にはなっていた。
「フランツさん、無理に手伝ってもらわなくても大丈夫ですよ。」
「いえ、面倒ばかりかけるわけにはいかないので。」
庭仕事をフランツが手伝っていた。帽子を被り魔石の有無は隠している。
「あれ、見かけない人だね。エリザベトさん、その人は?」
村民の一人が、フランツを見つけ話しかけてきた。
「えっと、森で怪我しているところを子供達が助けまして、それで怪我が治り切るまで、ここにいてもらっているんです。」
咄嗟に誤魔化す、エリザベト。
「へえ、あのヤンチャ少女と坊主がねえ。アンタ、運が良かったね、エリザベトさんはこの村で唯一回復魔術を使える人だよ。」
村民に話を振られるフランツ。村民の男は額に角状の魔石を持っていた。初めて見る魔族らしい魔族に、フランツは怯える。
「は、はい、本当にその通りですね。」
声を震わしながら、返事をする。
「そうだ、エリザベトさん。今度うちの娘にピアノを教えてやってくれないか。」
「はい、もちろんいいですよ。」
エリザベトとフランツは、早くこの男が帰らないかと祈る。冷や汗が二人の体を走る。
「それじゃ、アンタも元気にな。」
祈りは叶い、男が帰りの挨拶をする。しかし願いが叶った代償か、強い風が唐突に吹いた。フランツの被っていた帽子が飛び、魔石のない頭部が顕になった。
「…おい、アンタ人族か?」
男がそれを見逃すはずもなく、フランツが人族であることがバレた。
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「これくらい持って帰ればいいかしらね。」
「うん、大丈夫じゃないかな。」
その頃、ゼベルトとフィリアルは森で薪を拾っており、十分な量を集め、家に帰るところだった。
「フランツさん、大丈夫かな。お母さんも抜けてるときがあるから心配だよ。」
「そうね、でも安心して。何かあっても私がなんとかするから。」
二人は急ぎ足で家に帰る。
「フィリアル、村の方が騒がしい、多分何かあったんだと思う。」
非情なことにゼベルトの心配は的中した。
「薪貸して、私が全部持つから。ゼベルト、全力で走るよ。」
フィリアルが薪を全て背負い、走り出す。ゼベルトも走ることだけに集中する。いつもよりも家と森の距離を感じながら、二人は駆けていく。
ゼベルトが息切れする頃に、二人は村に着いた。村人たちが集まり、騒ぎになっている。
「エリザベトさん、フランツさんは!?」
先に着いたフィリアルが、村人の輪の外側にいるエリザベトを見つけた。
「フィリアル! ゼベルト! ごめんなさい、私がもっと注意していれば...。」
「大丈夫だよ、お母さん。とりあえず何があったか教えて。」
二人はエリザベトの手を握り、何が起こっているか聞く。
「フランツさんが人族だって村のみんなにバレてしまって。ここに連れてこられたんだけど、フランツさんが私を騙して治療を受けたって私を庇って。フランツさんは悪い人ではないって、私も言ったんだけど誰も聞いてくれなくて。」
泣きそうになりながら話す母親を見て、フィリアルとゼベルトは拳を握りしめた。村人の輪の中央では、フランツが縛られ、村人たちに暴行を加えられていた。
「ゼベルト、エリザベトさん、耳を塞いで。私がなんとかする。」
自分の無力を感じながら、ゼベルトは耳を塞いだ。
『どきなさい!!』
フィリアルが途轍もない大声を出し、村人たちを黙らせ、自身の前に道を作った。
「この人は私の友達よ!これ以上殴るつもりなら、私が相手するわ。」
フランツの前に立ち、いつものように腰に手を当て、フィリアルは声を張り上げる。
「フィリアル、そいつは人族だぞ。わかってるのか!?」
「人族なんて悪魔と一緒よ!」
「そうだ、人族は魔族を殺すんだぞ!」
村人たちは錯乱しており、フィリアルに抗議の声をあげた。
「だったら何? この人が何かしたって言うの? それにこの人は魔族を殺してなんかいないわ。」
フィリアルは事実を並べる。村人の中で最も冷静なのはフィリアルだった。
「でも人族だぞ、いつ何をするかわからない。」
「もし何かするなら私がぶっ飛ばすわ。」
虚勢でもなんでもなく、本気でフィリアルはそう思っている。それでも村人たちの、人族に対する憎悪はフランツに向けられていた。
「ねえ、人族を恨んでどうなるの? この人を殴って、蹴って、殺して、何が返ってくるの? いつもいつも人族を恨んで、呪って、そんな毎日なんて楽しくないでしょ? 人族とだって友達になれる、そう思っていた方が楽しいわ。それに、最初に言ったわよね、私が相手をするって。」
フィリアルが臨戦体制をとる。
「皆も、フィリアルも、落ち着きなさい。」
緊迫した状況の中、一人の老魔族が現れた。杖を持った白髭の老魔族、村長のトビラムだった。
「皆の気持ちも、フィリアルの気持ちもよく分かる。ここは一つ、この人族にも話を聞いてみようではないか。のう、人族の青年よ。」
倒れたフランツに手を差し伸べ、トビラムはフランツに話すように促す。
「…僕は、皆さんに危害を加えるつもりはありません。森で狼に襲われているところを、フィリアルさんたちに助けてもらったのです。」
「ほうほう、それで、お主はどうしたい?」
非難の声を上げようとする村人を手で制し、なおトビラムはフランツに話を聞く。
「僕が人族であり、皆さんの憎しみが向けられることは理解しています。そのため、私を人質として確保するのはどうでしょうか。」
「ふむふむ。それで、もし人族が攻めてきた時に対処しろというわけか。」
頷くトビラム。フランツはさらに続けた。
「確保している間、私の持てる全ての知識をあなた方に捧げます。私はこう見えて学者ですので、役に立てると思います。」
フランツの提案を聞き、村人たちは黙った。
「ふむ、異論のある者はいないようじゃな。もし進んでこの人族を殺したいと言うのであれば、手を上げるがよい。」
手を上げる者はいなかった。
「ふん、もし殺そうとしたら、私がまず相手だから。」
「そうじゃったな。」
フィリアルの付け加えに、トビラムがほっほと笑う。
「それにこの人は、フランツは、私の人族最初の友達なの。みんなも恨むだけじゃなくて、ちゃんと向き合った方がいいと思うわ。実際に話したこともないのに、人族だからと悪いヤツと決めつけて、殺すなんて、それこそ悪魔のすることだわ。」
フィリアルの声には不思議な力がある。聞いていると心に熱い何かが灯る。前を向き、歩いて行きたくなるような気持ちになる。ゼベルトはいつもそう感じるのだった。
フィリアルの熱い弁明とフランツ自身の交渉により、彼が殺されることはなかった。ただし厳重警戒の元、監視されることが条件についた。しかし村人たちのフランツへの偏見は数週間後に消え去ることになる。彼の知識が村の発展・安全に大きく繋がったからだ。彼の教えた効率的な作物の育て方、優れた建築物・道の作り方が、村の大きな助けとなった。
「フランツ兄さん、怪我が治っても村に残ったらどうかな?」
ある日、ゼベルトがフランツと庭仕事をしているときに聞いた。
「うーん、そうだねえ。帰ろうにも帰れないからね、実際。それにこの村なら森に置いてかれることもないだろうし。」
自虐的に笑うフランツ。彼のいじらしい性格と丁寧な態度は、村人たちに深く受け入れられていた。加えて、村の子供たちが、ゼベルトとフィリアルを筆頭に、フランツによく懐いていた。
「そっか、そっか。」
えへへ、とゼベルトは心底嬉しそうに笑った。