第38話「零と負数字」
ハンネローレからフィリアルの強さを聞いて、ゼベルトは彼女の隣に立つために、自身の強さにもっと磨きをかけなければならないと確信した。アニアと共に研究室から退出し、魔王城内を歩きながら、ゼベルトはアニアに話しかける。
「アニア。この後時間あるか?」
「はい、特に用事はありません。あったとしてもゼベルト様のためなら捻出するアニアです!」
少し暗い表情をしていたゼベルトに気を遣って、アニアは明るく返した。
「じゃあ、この後少し訓練を手伝ってくれないか。ちょっと試したいことがあって。」
「はい、もちろん。アニアにお任せあれ!! 」
アニアは自分より歩幅の広いゼベルトの隣にいくために、早足で歩く。
(魔素を持たずしてさらに研鑽を積む姿勢。流石ですゼベルト様。ここからの道のりは今まで以上に厳しいものだと、ここまで来たゼベルト様が一番分かっているでしょうに。)
魔素の無い体で鍛錬をして、成長してきたゼベルト。彼自身も自分の現在の力量が限界だと感じていた。しかしその限界を越えようとまだ足掻く。
「ゼベルト様。先ほどまで魔王様の魔術・魔法について数字でその強さを学びましたが、一ついいでしょうか?」
「ああ、言ってくれ。」
アニアの言葉のため、ゼベルトが足を止める。
「貴女は魔素・魔術・魔法において『零』の存在です。そして私の呪術は『負数字』の存在です。例え、目指すところが幾千幾万幾億だとしても、二人で無に返してしまいましょう。」
「そうだな。やってやろう。」
二人で微笑み合う。またしてもゼベルトはアニアに救われた。心を強く持って、ゼベルトとアニアは訓練場へと歩みを進めるのだった。
訓練場には一人の男しかいなかった。勝戦の宴からまだ三日ほどしか経っていない。不思議なことではなかった。ゼベルトとアニアはその男に近づき、声をかける。
「ご機嫌よう、イステルさん。私たちもここを使ってもよろしいでしょうか?」
「こ、こんにちは。メルクルさん、もちろん構いませんよ。」
いきなり現れたアニアにイサマクが驚く。二人はあまり自覚していないが、ゼベルトとアニアは四天王に並ぶ高序列だ。
「もう訓練してるのか、イサマク。」
「まあな。後で組み手を頼めるか? 俺も戦場を越えて、少しは強くなったから。」
頷くゼベルト。イサマクはアニアの視線を感じ、空気を読んで二人から離れた。
「決闘で最初の相手だった方ですよね。仲良くなられたのですか?」
「あの後少し組み手をしてさ。友達になったんだ。」
「そうですか。」
朗らかな表情を見せるゼベルト。それを見たアニアはイサマクへの警戒心を解いた。
「それで、試したいこととはなんでしょうか?」
「ちょっと待ってくれ。」
アニアの問いかけに答える前に、ゼベルトは訓練用の木片を十数本持ってきた。
「これ、アニアにもらった呪術付きのナイフあるだろ?」
「はい、私が愛を込めて作らせていただきました。」
「うん。なんで俺はこれを使えるんだろうな。」
「どういうことでしょうか?」
ナイフを片手で遊びながら、ゼベルトは答えの前に疑問を打ち明けた。
「魔素を持ってない俺が呪術を壊さず、なんでこのナイフを使えるんだろうなって…。」
「…。」
「アニアにも分からないか…。」
「…愛の力でしょう。」
半分本気半分冗談で、アニアは言った。
「あながち間違ってないかもな。」
ゼベルトの意外な返答にアニアは喜びと驚きを覚える。
「ゼベルト様もついに私の愛を受け止めてくださるのですね!?」
自身の身を抱きながら、アニアは冗談めかした。
「えーっと、愛かどうかは置いといて…。もしかしたら、俺は意識的に魔術と呪術の壊すか壊さないかを選べるんじゃ無いかってこと。」
「なるほど…。」
愛が重要ではなく、ゼベルトの認識が重要だということ。
「このナイフで試すのはもったいないから、そっちの木片に簡単な呪術を付けてほしい。」
「はい、アニアに任せあれ。侵蝕の呪術。」
アニアが指先で木片に触れると、呪術が施され、木片の色が濃くなった。
「ありがとう。じゃ、やってみる。」
「お気に召すままにどうぞ。」
木片を手に取るゼベルト。
「よし。大丈夫そうだな…。」
「流石です!」
瞬間、木片の色が元に戻ってしまった。
「うーん、今のところ数秒が限界か…。」
「そのようですね。」
ゼベルトは一度自分の課題を整理する。
「ずっと壊さないっていう認識なら、ナイフみたいに持ち続けられるんだろうけどな。いつかは壊すっていう認識だと、今のところ難しいな。」
「鍛錬あるのみ、ということでしょうか。」
「そんなところかな。アニア、もう一回頼む。」
「はい、何度でも。」
アニアが次の木片に呪術をかけ直す。一度使った木片に対する認識が残ったままでは、上手くいかない。ゼベルトがコツをつかむまで、しばらくの時間がかかった。
「ゼベルト。随分苦労してるみたいだな。」
ゼベルトが木片の山を積み上げていると、イサマクが声をかけてきた。ちなみにアニアは木片に呪術を施しつつ、自分の鍛錬もしていた。
「ああ、ちょっと今日中に組み手はできなそうだ。申し訳ない。」
「いや、気にしないでくれ。」
イサマクが不思議そうに木片の山を見つめる。
「自分の意識で呪術を壊すか、壊さないかを決める練習をしててさ。」
「その技術ってどう使うんだ?」
「今のところは完全に壊すか、壊さないかの二択だけど、そのうち術の不利部分だけを無効化できたらなと考えてる。」
「なるほど。強力な呪具でも不利が大きすぎて使えない呪具もあるらしいからな。」
イサマクがゼベルトの狙いを理解する。もし狙い通りにゼベルトが呪具を扱えるようになったら、さらに強くなるだろう。
「イステルさん、そのような呪具に心当たりがあるのですか?」
自身の鍛錬を止めて、アニアがイサマクに聞いた。
「アニアさんの方が詳しいと思いますが…。」
「その通りです。メルクル家は呪術使いの家系ですから。もちろん、実際に家にはそういった呪具が残っています。しかし呪具の全てを私が知っているわけではありませんので…。」
アニアの纏う雰囲気に少し怯えながら、イサマクが答える。
「えっと…。噂程度ですけど、この魔王城にも不利の大きすぎる呪具があるそうですよ。具体的な場所はわからないですが。四天王の方なら知っているんじゃないでしょうか?」
「ハンネローレさんに聞いとけばよかったな。」
「そうですね。順序が逆になってしまいました。」
四天王の名前が出てきて、イサマクは黙って驚く。眼の前にいる二人はつい最近現れて、高速で序列を駆け上がったのだと思い出した。
「あー、俺はここらへんで上がることにします。それではメルクルさん。ゼベルトさん。」
元々自身が訓練から出るついでに、イサマクは二人に声をかけたのだった。
「そうか。じゃあまた今度手合わせをしよう。」
「呪具のこと、教えてくださりありがとうございました。」
二人の言葉を背中に、イサマクは訓練場から出ていく。
「あ、あとイサマクさん。次はもう少し気を抜いて私にも接してください。ゼベルト様の友人とあらば、私も仲良くさせていただきたいものです。」
ピタッとイサマクは歩みを止める。
「わ、分かりました。それでは。」
返事だけして、イサマクは足を早めた。
(いや、メルクルさんの噂が怖くて下手に馴れ馴れしくできないんだよ! ゼベルトに近づこうとした女貴族が倒れたとか、ゼベルトを見てたら赤い眼がこっちを睨んでたとか! 気、抜けるわけないだろうがっ!!!)
声にならない思いを心の中で並べながら、イサマクは訓練場を後にした。
イサマクが去ってからも、ゼベルトとアニアは夕時まで鍛錬を積んだ。意識的に術を扱うのは至難の業だったが、ゼベルトは力量をまだ伸ばせることに安堵していた。イグレブ平原での戦いを終え、この先魔王軍が人族領に攻め入ることも遠くない。ゼベルトは『そのとき』に備えて、アニアと共にさらに鍛錬を積み、新たな武器を手にしていくのだった。




