第36話「ゼベルトとプラグマ」
ゼベルトが大浴場で湯浴みを済ませて自室に戻る道中、ピアノの音色を聞いた。ゼベルトは音のする方へ歩いていく。ピアノはバルコニーにあるらしかった。
「おや、ゼベルト殿ではありませんか! 小生と同じく酔い覚ましですかな?」
ピアノを弾いていたのはバルトルト。厳格な表情と堅牢な肉体を持つ大男とは気づかないほどの優しいピアノの音だった。
「いや、部屋に戻ろうとしたらピアノが聴こえてきたから、寄ってみたんだ。」
「そうでしたか、そうでしたか。小生のピアノは如何でしたかな? 魔王城に来てからこっそり練習していたのですが。ゼベルト殿にはピアノの心得があると魔王様から聞いておりますゆえ。」
「とても優しい音色で素晴らしかったよ。」
「ありがたき御言葉。」
バルトルトが豪快に笑う。ゼベルトも久しぶりにピアノに触ってみようかと思った。
「あ! バルトルトさ~ん! ゼベルトさ~ん!」
バルコニーにもう一人やってきた。黒髪と白肌、眼鏡をかけた女性。ハンネローレだった。
「お~いっ!」
小走りでこちらにかけてくるハンネローレ、今にも転びそうだった。
「ハンネローレ殿、足元にお気をつけください。」
そんなハンネローレにバルトルトが歩み寄り支えた。
「ありがとうございまっす!」
彼女らしくない高揚した表情と声色。どうやら酒に飲まれたらしい。ゼベルトとバルトルトは察した。
「聞いてくらさいよ! 皆さんが飲め飲めって言うから飲んでぇ! 気持ち良くなってきたので、魔術の話をたっくさんしたんです! そしたら皆さんどこかに行ってしまてぇ! ひどいですよね!」
「それは災難でしたね。」
「そ、そうですね。」
バルトルトはハンネローレをキッパリ肯定したが、ゼベルトは少しおののいた。
「あ! そういえば魔素を持たないゼベルトさんと魔法を持つバルトルろさんが触れるとどうなるか、ここで見せくれませんかっ?」
「もちろん、構いませんぞ。」
「あ、ああ。」
ハンネローレが無理やりに二人の腕を重ねた。銀色の魔素を光らせるバルトルトの腕はゼベルトに触れられても全く変化しなかった。
「おお! やはりこうなるんれすね! 魔法という法の上では魔素を持っていなかったとしても、それに乗っ取らなければならないと! そうれすよね、そうじゃなければ、ゼベルトしゃんはこの世界から弾かれてもおかしくありませんし!」
早口で興奮するハンネローレにゼベルトはついていけなかった。
「今日は明るくて良いですね、ハンネローレ殿!」
バルトルトはなぜか喜んでいた。
「うっ…。」
急にハンネローレがその場に蹲った。
「おや、ハンネローレ殿。手を貸しましょうか?」
「えぇ…。はい、お願いしみゃす。」
バルトルトがハンネローレの手を取り、立ち上がらせる。
「うえぇ…、何だか気持ち悪くなってきました…。」
「小生が部屋までお送りいたしましょう。では、ゼベルト殿。良い夜を。今度、ピアノをお教えくださいね。」
「良い夜お…。」
ハンネローレに肩をかし、バルトルトが彼女を連れながらバルコニーから出て行った。
「何だったんだ一体…。」
ゼベルトはその場に立ち尽くすのみだった。
久しぶりに鍵盤を指で弾く。あの日からピアノを弾くことはなかった。適当に音階をなぞっていくうちに感覚が戻る。夜、空に月が朧に浮かんでいる。ゆっくりと静かに曲を奏でていく。ゼベルトが子供の頃、寝るときによく父親が弾いてくれた曲。あの村では『みんな友達になる曲』を作ろうと毎日ピアノと向かい合っていた。今は剣を握り、人族いや敵に振るう日々だった。心に溜まった穢れを落とすように、ゼベルトは一心不乱に清らかなピアノの音を奏で続けた。
「綺麗な音色だと思ったら、君だったのか…。」
ピアノに魅かれた男が一人。プラグマだった。綺麗な肌を今日は少し赤く染めている。
「俺じゃ興醒めだったかな。」
弾くのは止めず、ゼベルトはプラグマに言葉を返す。
「僕はそんなことは言っていないぞ。」
対してプラグマはグラスに入ったワインを一口飲み、余裕を表した。
「初対面の時、僕の態度が良くなかったことは認めるよ。ぜひ僕とも仲良く接してもらいたいんだが…。そうはいかないものかい?」
「悪いが、酔ってる奴の言葉は信用しないって決めてるんだ。」
「そうか、じゃあ君も酔ったらどうだい?」
「…。」
ゼベルトが黙ってピアノを弾いていると、プラグマが魔杖を振るい、魔術を発現させた。ピアノの側に床から魔王城と同じ材質の机と椅子が現れた。プラグマはそこに座り、懐からワイン瓶を取り出した。そして魔術で発現させた氷のグラスに、ワインを注いだ。
「どうだい? 結構上物だよ?」
「悪いが酒は好きじゃない。」
「そうか。」
「…。」
初対面の印象と『龍の尾道』での印象が違いすぎて、ゼベルトはプラグマに対する面持ちを安定させられなかった。放っておけば、そのうち帰るかもしれない。そう思ってピアノを弾き続けていても、プラグマは帰らなかった。
「…プラグマは、酒好きなのか?」
「ああ。好きだよ。というか毎日書類仕事が忙しくてね、これが癒しなのさ。」
「そうか。それは何というか、すまなかったな。」
「…君が謝ることではないと思うが?」
きっとフィリアルに振り回されて、仕事が増えているのだろうと、ゼベルトは推測した。何となくプラグマに謝ってしまった。
「なるほど。君は確かフィリアル様の友人だと言っていたね。今のはフィリアル様の友人として謝ってくれたということかな?」
どこか小馬鹿にした様子でプラグマはゼベルトに言った。こういうところがゼベルトの鼻につくのであった。
「言っておくけど、俺はフィリアルの最初の友人だ。本人に聞けば絶対にそう答える。」
「…。」
プラグマが一瞬黙る。ゼベルトの表情はとても嘘を言っているように見えなかっただろう。
「じゃあ、僕はフィリアル様の最初の忠臣だ。僕の勝ちだな。」
「いや勝ちにはならないだろ。いきなりなんだ、酔いが回ってきたか?」
「ふん、話してあげよう。僕とフィリアル様の運命的な出会いを…。」
「頼んでないぞー。」
ゼベルトの声は無視され、プラグマの語りが始まった。
「先代魔王が討たれた日から魔王城内、魔王軍、そして魔王領貴族たちは腐っていった。人族に媚を売る者。戦火に紛れて悪事を働く者。自分の保身のみ考え、八方美人になる者。僕は幼いながらに絶望したよ。一人の貴族としても、魔族としてもね。」
「そういえば、プラグマって一番位の高い貴族なんだったな…。」
「その通り。実力、性格、容姿。右に出るものはいないと自負しているよ。一人を除いてね。」
嫌味でもなく、自己陶酔でもなく。事実を語るようにプラグマは言い放った。
「…それで、続きは?」
ゼベルトは話の続きを催促した。自分の見ることのできなかったフィリアルを、プラグマの語りから知れるかもしれなかった。
「そんな腐った魔族領に現れたのが、フィリアル様さ。その力で全て覆していった。人族に与する者は殺し、悪事を働く者には罰を与え、保身のみを考える者と友になった。きっと魔族にも天使がいるとしたら、フィリアル様がそうだろうな。」
「翼も生えるしな。」
茶化したゼベルトをプラグマが睨む。
「すまん。」
「…続けよう。」
プラグマはまたワインを一口飲む。ゼベルトはピアノを弾き続けた。
「魔王軍序列においても彼女の快進撃は続いた。そして僕にも挑戦が来た。正直に言おう、僕はその決闘が終わるまで、フィリアル様に嫉妬していた。僕が絶望するのみだった魔族領の現状を覆したフィリアル様に嫉妬していたんだ。醜い話だろう?」
「いや、気持ちは何となくわかる。」
ゼベルトの頭にはあの日が浮かんでいた。自身の無力と彼女の強さ、その二つを痛感していた。
「初めて気があったね。」
「いいから話せよ。」
嬉しそうな顔をするプラグマをあしらうゼベルト。
「その決闘。僕はあと一歩のところまでフィリアル様を追い詰めた。けれどあの時、あの瞬間、フィリアル様は『魔王』になられた。そこから僕は一方的に倒されたよ。死なないよう、傷つかないよう、配慮されながらね。僕にとって人生初めての出来事だったよ。」
「腐り切ってた世界。調子づいて、絶望して、嫉妬していた自分。その二つをぶっ飛ばしたフィリアルに惚れたってことでいいか?」
少しゼベルトは皮肉めいた口調で聞いた。
「ああ、それでいい。僕はあの時からフィリアル様に『永遠』を捧げるつもりだよ。」
「………。」
ゼベルトの皮肉っぽい言い方など気にせず、プラグマははっきりと答えた。『永遠』とは何か、それも気になったが、それ以上にプラグマが骨の髄からフィリアルに惚れ込んでいたことに驚いた。確かにフィリアルは魅力的だが、魔王という立場上、自身と同じような者がいるとは思っていなかった。
「プラグマ。お前はフィリアルの『夢』、何か知ってるか?」
ピアノを弾く手を止めて、ゼベルトはプラグマを試した。
「『世にある我を持つ全てと友になる。』だ。僕が知らないと思ったかい?」
ワインを一口飲んで、プラグマはゼベルトに微笑んだ。
プラグマはゼベルトの問いに正解した。さらには彼女の夢を一文で表した。ゼベルトはプラグマにフィリアルのことで負けたような気分になった。頭を巡らせ、彼に勝とうとする。
「…そうか、じゃあフィリアルの好物は―」
ゼベルトが子供じみた問いを出す。
「果物だ。」
即答。
「果物ですがッ! その中で最も好きな果物は一体何でしょうか!!」
さらに続けるゼベルト。
「檸檬。フィリアル様は檸檬のタルトが大好物だ。」
即答。
「残念ッ! それは料理であって果物ではありません!! 正解は葡萄でしたぁ~。」
「なっ!? 罠じゃないかそれはっ!!」
「引っかかる奴が悪い!」
「くっ…。」
このとき、プラグマも酒が回り始め、対抗心を燃やしてしまった。
「ならば、フィリアル様が四天王入りをした決闘の決まり手を答えよ!!」
「なっ、分かるわけねえだろ!」
「残念。正解は上段斬りだよ。」
「てめっ…。」
ゼベルトもなぜか対抗心を燃やしてしまった。この後、夜が吹け切るまで、二人はフィリアルに関する問題を出しあったのだった。
ゼベルトとプラグマによる問題合戦は長引いた。ゼベルトがプラグマの知らないフィリアルの幼少期の思い出を、プラグマがゼベルトの知らない魔王城での活躍を、お互いに問題として投げ合っていた。
「…わかった、わかったよ。君はどうやらフィリアル様の友人で間違いないようだ。ゼベルト。」
「…やっとわかったか。」
二人は頭を少し冷やした。プラグマは残ったワインを飲み干し、ゼベルトはまたピアノを弾き始めた。ピアノに装飾されたゆるやかな静寂が訪れる。
「最後に、これは序列一位の僕から、真剣な忠告をさせてもらおう。」
「…なんだよ。」
「君は『魔王』であるフィリアル様の強さを、理解しているかい? 友人と名乗るのは勝手だが、友人とは隣に居られる者のことだろう。君にその強さはあるのか、いつか示してくれ。」
「…。」
ゼベルトに刺さる問いを残して、プラグマは去っていった。その夜、ゼベルトはその問いを解くため、行動しようと決意するのだった。




