第19話「騎士ゼベルトと魔王フィリアル」
大陸北方に根ざす魔王領、その中心地に魔王城は位置している。さらにその城の中枢、魔王座の間にて、ゼベルトとアニアは膝をつき頭をたれ、かの魔王が姿を現すのを待っていた。
歴代魔王が座っていた王座が前に在り、そして魔王軍四天王が左右に立っている。一人は直立不動で真っ直ぐと前を見つめている。一人は背を曲げ、下を向きうつむいている。一人はだらけた姿勢を取り、眠そうに眼を擦っている。一人はごく自然体でそこに立ち、片目を閉じている。魔王座の間に冷たい緊張感が漂う。
「裏切り者を炙り出したというのは貴様らか、名を名乗れ。」
不意に、艶のある男性とも女性とも取れる美しい声が響く。それはおそらく魔王の声。ゼベルトとアニアは魔王の現れた瞬間を把握できなかった。
「魔王領南東部メルクル領、当主の『アニア・メルクル』と申します。こちらはメルクル家に仕える騎士です。当主として、彼に名乗ることを許します。」
アニアの斜め後ろに膝をつき頭をたれていたゼベルトも口を開く。
「メルクル家に仕える騎士、『ゼベルト』と申します。」
「え!?」
可愛らしい驚き声が魔王座の間に響いた。ゼベルトとアニアは何が起こったか分からず、そのまま頭を下げているのみだった。
「ぶっ、ニャハハ!」
誰かが堪えきれず特徴的な声で笑った。
「…ヴェルニャ。」
そして誰かがそれを諫める。
「…面を上げよ、貴様らは何を望む。裏切り者を突き出した褒美に一つ望みを聞いてやろう。」
魔王の声がまた響いた。今さっきの驚き声は無かったことにするようだった。
ゼベルトとアニアが顔をあげる。そこには王座に座った魔王の堂々たる姿があった。シャンデリアに照らされた、魔王の褐色肌、黒い髪、髪飾りに似た黒い魔石が妖艶に輝いている。腰には黒い剣、背中には黒い翼を携えている。金の装飾が細々とあしらわれた黒の王服。その上からでも、メリハリのついた体が艶かしい。魔王が女性であることは分かるが、性別など意識させないほどに彼女からは威厳が漂っていた。あの頃の彼女がすっかり変わったような、真っ当に成長したような印象をゼベルトは感じた。
「私たちメルクル家を魔王軍に入軍させていただきたいのです。先の魔族狩り殲滅から、適う実力も保証します。」
唾を飲み込み、アニアが端的に率直に望みを述べた。
「いいだろう。」
簡単に魔王はその望みを許した。
「魔王『フィリアル』の名において、貴様らメルクル家の魔王軍入軍を良しとする。ヴェルニャ、彼女らに魔王城内を案内してやれ。」
「はーい。」
先程の特徴的な笑い声の持ち主が返事をした。
「じゃ二人とも、このヴェルニャちゃんについてきニャ~。」
ヴェルニャと名乗る彼女は、魔族と獣族の間の子だった。猫を彷彿とさせる顔・体つきと、魔族の象徴である魔石角が二本、頭から生えていた。
「失礼します。魔王様。」
「失礼します。」
ゼベルトとアニアは最後に挨拶をして、魔王座の間を後にした。
「訓練所に食堂、倉庫、浴場、まあこんな感じかニャ~。あとは寮が残ってたっけ。」
間の抜けた口調でヴェルニャが喋る。しばらくの間、ゼベルトとアニアはヴェルニャに黒の壁と柱の続く厳格な魔王城内を案内されていた。
「男子寮はあっちで、女子寮はこっち。ちなみに男が女子寮に入ったら、死ぬと思っといた方がいいよ~。ニャハハ!」
「ゼベルト様、これからは規則に従って、私がお部屋に行きますね。」
アニアが冗談半分、かつヴェルニャに対する牽制半分でゼベルトに声をかけた。
「…ああ、うん。」
ゼベルトは魔王座の間を出てから、何処か上の空だった。
「ニャッ!? 二人はそういう関係ニャの!?」
猫耳をピンと張って、ヴェルニャは驚きを全面に表す。
「え、いや、ただの領主と騎士だけど。」
我に返って、ゼベルトは訂正する。
「ニャんだ~、分かりにくい冗談はやめてよ~。いや~別に二人がどんな関係でもいいんだけどさ~。」
猫耳をぺたんとさせて、ヴェルニャは肩を下ろした。
(ヴェルニャさんは『気にしなくて』大丈夫そうですね。それよりゼベルト様の様子が気になりますが...。十中八九『彼女』に逢えたことが理由でしょう。)
ヴェルニャへの警戒を取り払って、ゼベルトを心配するアニアだった。
「じゃあ、アニアちゃんを部屋まで案内するから、ゼベっちはテキトーに空いてる部屋を自分のにしていいよ~。」
「ゼベっ…、はい、分かりました。」
ゼベルトはあだ名とヴェルニャの適当さに少し混乱しながらも返事をする。
「あ~、あとに私には敬語使わなくていいからね~。じゃまたね~。」
「では、ゼベルト様、また。」
ヴェルニャとアニアが女子寮へ歩いて行った。ゼベルトも男子寮へと向かい、言われた通り適当に、空いている部屋で体を休めることにした。
寮部屋のベッドで仰向けになり、ゼベルトは天井を眺めていた。彼女が『魔王になる』と宣言したあの日、夕日に照らされ輝く彼女と、影に沈む自分の姿を思い出す。ゼベルトは約3年半の時を経て、やっと彼女に逢えるところまで辿り着いた。
さっきまでの呆けた自分の態度は、これからの先のことを全く考えていなかったからだと、ゼベルトは自覚した。ベッドに寝そべり、一息吐く。
(どうしたもんかな…。)
考え込むゼベルトの耳に、誰かの足音が扉の向こうから届いた。幼い頃から足音の特徴が変わっていなければ、その足音の主は彼女だ。ゼベルトはベッドから体を起こす。足音だけではなくて、彼女の心音も聴こえてきた。ゼベルトは扉の前に立つ。
『コンコン』と扉の向こうから彼女がノックをする。ゼベルトは一つ大きな呼吸をして、扉を開けた。予想した通り、ゼベルトの最初の友達、魔王フィリアルがそこに立っていた。彼女の服装は動きやすい軽やかなものになっていて、お忍びで来たことがわかる姿だった。
「久しぶり、ゼベルト。」
あの頃と変わらない、可愛らしく、そして芯のある声でフィリアルはゼベルトに文字通り久しぶりの挨拶をした。
「久しぶり、フィリアル…。」
ゼベルトも色んな感情を噛み締めながら、久しぶりの挨拶を返す。
「えっと…果物食べる?」
微妙な雰囲気に耐えられなくなり、フィリアルが果物の入った籠をゼベルトに押し付けた。
「う、うん…食べる。」
そうしてゼベルトとフィリアルは部屋で二人きりになった。
椅子に座り、むしゃむしゃと果物を食べるフィリアルを、ベッドに腰掛けたゼベルトが見つめる。幼い頃と変わっていない、フィリアルの食べ方を見て、ゼベルトはまたあの頃を思い出す。父と母、そして兄がここにいたら、どれほど幸せだったろうか。
「あ、ごめん最後の食べちゃった、食べたかった?」
フィリアルがゼベルトの視線に気づいた。少し抜けているところも変わっていなかった。
「魔王様の好きなだけ、お食べくださいませ。」
「ちょっと、茶化さないでよ、ゼベルト。」
二人で笑う。重い空気が明るくなった。
「魔王って大変なのよ。みんなの前ではしっかりしなきゃいけないし、さっき魔王座の間で驚いたこと、プラグマに注意されたんだから。」
肩の力を抜いて、フィリアルが項垂れる。
「あ、プラグマっていうのは魔王軍で一番真面目で優秀な貴族で、事務仕事はよく助けてもらってるのよ。」
「助けてもらってるんじゃなくて、押し付けてそうだけど?」
ゼベルトがまたフィリアルを茶化す。
「いやー、そんなことはない、はず。うん、多分。」
怪しげな反応をするフィリアルを見て、ゼベルトはまた笑う。
「ゼベルトは…、すごく強くなったのね。」
フィリアルが急にゼベルトを見つめて、そんなことを言った。
「うん、フィリアルに追いつけるように、俺は結構頑張ったよ。」
「あーあ、『俺』なんて言っちゃって、昔は『僕』だったのに。昔の弱っちくて私の後ろに隠れてたゼベルトはいないのねー。」
今度はフィリアルがゼベルトを茶化す番だった。
「いやいや、フィリアルの後ろに隠れてたのは、本当に俺が小さい時だけだよ。」
「えー、そうだっけ? それが今や、貴族のお嬢様の騎士になっちゃってさ。」
腕を組んで、フィリアルが不機嫌そうな表情をする。貴族のお嬢様というのはおそらくアニアのことだろう。
「可愛い弟が取られちゃった感じよ。」
フィリアルの言葉を聞いて、彼女は今も自分に友愛と親愛のみを持っているのだと、ゼベルトは理解した。でも同時に、それで良いと思えた。
「ねえ、ゼベルト。私、あなたに謝るわ。あの日あなたを村に置いて行ってしまったこと、本当は私たち二人で乗り越えるべきだったのに…。」
フィリアルが儚い笑顔をしてゼベルトに後悔を伝えた。
「いや、俺もあの日、フィリアルに言っちゃいけないことを言ったから、お互い様だよ。」
ゼベルトもあの日の後悔を伝えた。
「ねえ、約束覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。フィリアルが悪者全員ぶっ飛ばして、俺が友達になる曲を聴かせる。まだその曲はできてないけどさ、まずフィリアルが悪者全員ぶっ飛ばせるように手伝うよ。」
「そっか…、ありがとう。」
感謝の言葉を口にするフィリアルだったが、儚い表情は晴れなかった。
「そうだ、ゼベルト。多分明日、序列決めの決闘があると思うんだけど、無理しちゃダメよ。別に高い序列じゃなくたって、私とは会えるし、まず自分の身を守ってね。」
ゼベルトの肩に手を置いて、フィリアルが真剣な顔をする。
「序列決めっていうのは?」
「え、ヴェルニャから聞いてない?」
「聞いてない。」
フィリアルが大きなため息を吐いた。
「ああー、ヴェルニャに任せるんじゃなかった。」
頭をかくフィリアル。
「えっと、魔王軍には序列があって、上四人が四天王と呼ばれて事実上の最大戦力とされるの。報酬や立場が他の者とは別格だから、魔王軍入りしている貴族や一般兵は基本その序列を上げようと軍事に専念してるわ。」
「さっきのヴェルニャとプラグマがその四天王のうちの二人ってことか。」
「そういうこと。」
ゼベルトがコップに注いだ水をフィリアルに手渡す。
「そして成果以外でその序列を上げる方法は決闘になるの、だからきっとゼベルトとあのお嬢様に決闘を仕掛ける者が出てくるわ。」
「新入りだからその序列決めの決闘が明日起こるわけか。でも序列のない者に勝って何の意味があるんだ?」
水を飲んで、フィリアルは説明を続ける。
「自分より下の者に三回勝つと一つ序列が上がるのよ。だから自分より弱い者に勝負を挑んで序列を上げる手もあるの。」
「なるほどな、だから俺らに勝てると思った奴が決闘を申し込んでくると。」
ゼベルトも自分で注いだ水を飲んで一息つく。
「決闘はお互いが承認しないと成立しないわ。だから極力避けること、わかった?」
フィリアルが弟を心配するようにゼベルトに言い聞かせる。
「まあ、明らかに無理だったら断るけど。一応俺も強くなったからさ、そんな心配しなくても大丈夫だよ。アニアもいることだし。」
「そう、ならいいけど…。」
複雑そうな表情をするフィリアル。ゼベルトが魔王軍に入ることができるほど強くなったと分かっていても、彼女にとってのゼベルトは守るべき存在だった。
「そうだ、やっぱり一般軍員じゃ魔王様には簡単には会えないのか?」
「そうね、立場上こうやって隠れながらになるかしら。それも何回もできることじゃないかも、私こう見えても忙しいのよ。」
ムッとしながら、フィリアルが答えた。魔王様は国の防衛に経済に開拓にと忙しいのだろうとゼベルトは慮る。
「じゃあ、俺四天王になるよ。それでできるだけフィリアルを支えやすくする。」
幼い頃のフィリアルを真似て、ゼベルトは両手を自分の腰につけ、宣言した。
「ホントに? ゼベルトにできるかしら。」
にこりとフィリアルが笑う。
「ああ、絶対に。そうだ、俺がどうやってここまでやってきたか話すよ。」
しばらくの間、ゼベルトはあの村から魔王城までどんな日々を送ってきたか話した。
「やっぱり、大変だったわよね。」
ゼベルトの話を聞いて、フィリアルが少ししおらしくなる。村にゼベルトを置いていったことを後悔し、責任を感じている。
「大丈夫だよ。俺も強くなれたし、アニアもいたし。」
「アニアさんにちゃんと挨拶しないと。」
フィリアルが腕を組んで、目を細めしみじみと頷く。ゼベルトに対する思考回路はやはり姉のようだった。
「まあ、そのうちでいいと思うよ。」
フィリアルとアニアが打ち解けている様子が若干想像できず、渋い反応をするゼベルト。
「そう?」
首を傾げるフィリアル。沈黙が訪れて、二人の視線がしっかりと交わる。
「エカル領主の件は本当に助かったわ。問題だらけの魔族領でも、あそこは本当に厄介だったの。他の領地にも行かないといけないし、経済と物流の中心地でもあるから、確実に黒じゃなきゃエカル領主には動きづらかったの。」
「そうだったのか…。」
魔王フィリアル。ゼベルトの知らない生き方を彼女は送っている。
「そうだ、フィリ…。」
突然、魔王城の鐘が鳴った。ゼベルトからフィリアルへの言葉は遮られた。
「ごめん、ゼベルト。そろそろ戻んなきゃ。」
フィリアルは鐘の音を合図に仕事を思い出した。
「そっか。」
ゼベルトは急ぐフィリアルを止める理由を持ち合わせていなかった。
(いつか別の時に、ちゃんとフィリアルの隣に立てたときに伝えよう。)
そんな言い訳を心の中で呟いて、ゼベルトは扉の方へ行った。しかしフィリアルはベランダの方へ向かった。そして窓の鍵を開け、彼女はベランダに出た。
「あ、私ここから帰るね。」
ベランダの手すりに立って、フィリアルは背中に魔素で構成された黒い翼を発現させた。そんな綺麗な彼女の姿にゼベルトは眼を奪われる。
「じゃあ、またね、ゼベルト。何か困ったらすぐにお姉さんに言うのよ。」
「…分かったよ、魔王様。じゃあまた。」
最後にまた茶化しあって二人で笑った。フィリアルはそのままベランダから飛び立って、城の方へ戻っていった。彼女の黒い翼の羽毛が、ゼベルトの肩に落ちて消えた。




