第1話「無音」
眼を開き、耳を澄ませ、息を吸って吐く。あの日を思い出して、ゼベルトは集中する。
「おい、ゼベルト。本当に大丈夫なんだろうな。」
隣で自分と同じく茂みに身を隠す魔族の男が聞いてきた。
「ああ、問題ない。手はず通り、お前らは死なない程度に門前で騒いでくれ。その間に俺が片付ける。残りは適度にやってくれ。」
目線の先にあるのは、魔族狩りの人族の野営地。魔族狩り。魔族領に入り、魔族たちの村を襲う人族の集団。彼らは魔族を殺し、食糧や女子供を奪うことに躊躇いがない。その前提を心から信じる人族。青年ゼベルトは逆に彼らを殺し物資を奪い、金を稼ぐことで日々を暮らしていた。
「お前がシクったら、俺たちは構わず逃げるからな。」
「それでいい。」
茂みに隠れていた同業者の男、ガルドは防具を最終確認し、木の棒を投げて合図を出す。
『ウオオオォ!』
ガルドをはじめ、茂み隠れていた十数人の同僚魔族が武器を手に取り、雄叫びを上げ、門に突っ込んでいった。
(やっぱザルだな。)
ゼベルトは野営地の門側が騒がしくなっている間に、裏側から敵の拠点に侵入した。ゼベルト一人だから可能でシンプルかつ効果的な作戦。
「おい、監視役からの連絡はどうした!?」
回廊前方で敵兵の混乱する声が響いた。
(今頃あの世でよろしくやってるよ。)
心の中で呟き、ゼベルトはその敵兵を音もなく直剣で切り裂いた。声も上げられず、その敵兵は仲間の後を追うこととなった。
(今ので、最後か?)
ゼベルトの背後には敵兵の死体がいくつも転がっていた。門側で騒ぎが起きている間に、ゼベルトが敵を背後から着実に殺していく。野営地と言っても敵の人数はたかが知れている。もう門側で騒ぎを起こしている敵兵しか残っていないだろう。ゼベルトは忍足で拠点から出る。
『ガスッ』
扉から出た瞬間、ゼベルトの真横に投げ斧が刺さった。反応が一瞬遅れていたら、ゼベルトも敵兵の後を追うところだった。
「よォ、お前が噂の『無音』か?」
投げ斧が飛んできた方向に武装した人族が一人立っていた。
「黒色の髪、額に小せえ魔石角。お前が『無音』なんだろォ!」
再度、斧がゼベルトに飛んでくる。
「だったらどうした?」
斧を避けながら、ゼベルトは敵に接近する。戦闘の始まり。
「おお!喋れはするんだな!」
敵は嬉しそうに顔を歪ませ、斧を構えた。もう投げ斧は持っていないとゼベルトは把握する。
「俺は魔族狩りの『飛び斧』、ここらじゃ結構有名なんだぜ?」
「だったらどうした?」
同じ返答をして、ゼベルトは『飛び斧』と名乗った敵に剣を振り下ろした。
「ハッハ!息がいいなァ!」
『飛び斧』は剣を回避し、鼻を鳴らした。その鼻息を最期の息にするべく、ゼベルトは剣を振るう。金属音が響き、飛び斧がゼベルトの剣を斧で防いだ。
「魔力が感じらんねェ。テメエ、技術だけであの数殺したのか?」
普通、魔素による身体強化で戦うのが当たり前だが、ゼベルトはそれを行っていなかった。さらに、ゼベルトの振るう剣の刀身は、直剣と短剣の中間ほどで、その刀身に似合わない剣戟が『飛び斧』を襲う。
「だったら、どうした?」
三度、ゼベルトは同じ返答をする。
「ハッ、じゃあ全力で行くぜェ!」
『飛び斧』の体が怪しく光る、魔力で自身を強化した証拠。勢いそのまま、最初に投げられた斧よりも鋭く、斧がゼベルトを襲う。
「汚ねえ音鳴らしてんじゃねえよ。」
幾重に重なる斧の猛攻をゼベルトが捌く。剣と斧のぶつかる金属音が音楽のように鳴り響く。次第に『飛び斧』の猛攻が緩やかになっていく。
「テメエ...クソ...強えなァ!」
『飛び斧』が無理矢理ゼベルトから距離を取る。そして切らした息を誤魔化すように、何かを地面に叩きつけた
『ピカッ』
瞬間、閃光が走り、ゼベルトは視界を奪われた。それは目眩しの魔術。
「悪く思うなよォ...。」
その隙を逃さず、『飛び斧』が斧を飛ばす。視覚が飛び、不可視の一撃がゼベルトを襲う。
「だから、汚ねえ音鳴らしてんじゃねえよ。」
見えていないはずの斧をゼベルトは剣で弾き飛ばした。そのまま『飛び斧』へ急接近し、斧を投げて無防備になった人体に剣を走らせた。
「なんで...見えてやがる…。」
「見えてねえよ。聴こえただけだ。」
消えていく『飛び斧』の心臓音を聴きながら、ゼベルトは剣から血を払った。
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「おう、ゼベルト。上手くやったみたいだな。さすが『無音』様だぜ。」
ゼベルトが門へ向かうと、すでに人族は皆殺しになっており、ガルドの仲間たちが物資を漁っていた。
「やめろてくれ、その呼び方。」
「へへ、カッコよくていいじゃねえか。」
ガルドはニヤニヤしながらゼベルトの肩を叩いた。
「オレたちはこのまま、戦利品持って帰るがお前はどうする?」
「俺もかえ…いや、先に帰っててくれ。いい余り物がないか探してから帰る。」
拠点の方を指差すゼベルト。
「そうか、じゃ死ぬなよ。」
「お前もな。」
『無音』と呼ばれているゼベルト。今回の戦いのように、音も無く敵を減らすことでその異名がついた。しかし、ゼベルトの異能は音を発さないことではなく、異常なほど鋭い聴覚だった。単純な聞き取りから複雑な聞き分け、目の前の人間なら臓器、筋肉の音すら聞き取れる。それがゼベルトの異能だった。
「確かこっちの方から聞こえたんだが…。」
そんなゼベルトの聴覚に何かが引っかかった。敵拠点の方に戻り、引っかかった音の在りかを探っていく。
「お。」
自分の聴覚を頼りに進んでいくと、ゼベルトは拠点近くの崖に横穴を発見した。その奥から人の呻き声が聞こえていた。
「…やる。…してやる。」
警戒しながらゼベルトは進んでいく。
「これは…、酷いな…。」
横穴の奥にたどり着く。ゼベルトの眼前には拘束され、ボロボロになった魔族の少女がいた。白髪と白い肌、赤い眼、耳飾りのような赤い魔石が特徴的。ひどく汚れた少女はかろうじて生きていた。
「ころしてやる…ころしてやる…ころしてやる…」
そして少女は虚な眼をしながら、呪うように『殺してやる』と繰り返していた。
「俺のことは殺さないでくれよ、助けてやるから。」
軽口を挟みながら、ゼベルトは少女の拘束を外した。外した瞬間に少女は倒れ込み、意識を失う。地面に伏す前にゼベルトが手を伸ばし、少女の体を支えた。触れた瞬間、妙な違和感を覚えたが、すぐにそれは消えた。
「軽いな。」
痩せ細った体に、ボロ切れ同然になった服。少女がここに拘束されてから、それなりの時間経過が推測できた。
「とりあえず街に連れていくから、そのまま寝ててくれよ。」
うなされながら眠る少女を両手に抱え、ゼベルトは横穴を出た。
「ああ...、お母様...お父様…。」
「大丈夫だ、もう大丈夫だからな。」
あまりにも苦しそうな表情を少女がするので、ゼベルトは彼女の頭を撫でた。
「寒い…冷たい…怖い…。」
「ほら、これで寒くないだろ。」
さらには、少女が体を震わせ涙を流すので、自分の上着を着せた。その後、野営地に残っていた適当な馬に乗り、ゼベルトは自身の活動拠点である街に、少女を背負って帰るのだった。