転移聖女は魔王討伐を効率化した
「やったー! 今夜はお祝いだー!」
最後の振り込みを確認し、私は喜びに浸った。
天涯孤独の身、大学は奨学金で乗り切り、その返済が終わったばかり。
ちょっとお金のかかる資格を取った分、学費が余計にかかった。
だが、卒業後は思い通りの職種に就けたので、給料も同年代に比べれば多い。
そして、節約しつつ必死に働き、なんとか無事、返済できたのだ。
私は今、三十歳。
借金が無くなった、ということは、今後はその分、貯金できるということ。
これからは老後資金を貯め込むぞ!
希望に溢れた心地でコンビニに入り、美味しいビールとデリ風のおつまみを三種買った。うーん、贅沢!
アパートに帰って、さっそく一人乾杯。
気持ちよく酔って転寝してしまい、せめて毛布を掛けないと風邪ひくな~と思ったところまでは覚えている。
『もしも~し』
すぐ近くで声がして、驚いて飛び起きた。
「はぇ!?」
目の前の人物を見て、変な声が出た。
いや、そこにいたのを人物と言っていいのかどうか。
「め、女神!?」
シンプルな布を纏っているだけのように見えて、優雅なドレープが揺れるドレス。
イメージ的にギリシャ神話の女神様っぽい。
『ハイ正解。女神様ですよ~』
「なるほど、これは夢ですね。
深く眠りたいので失礼します。おやすみな……」
『悪いけど夢じゃないの。
疲れが溜まってるとこに、いきなりアルコールを摂取した貴女は、残念ながら一つの人生を終えました』
つーことは、急性アルコール中毒ですかい!?
そういえば、節約節約でビール飲んだの超久しぶりでした。
「なんと間抜けな最期……」
『まあまあ、反省しても生き返らないから止めときましょ。
それより、よかったら私の統べる世界へ転移しない?』
「転生じゃなくて転移ですか?」
『話が早いタイプで助かるわ』
「わざわざ訊かれるってことは、何か使命がある感じですかね?」
『ほんと、話早いわね! そうよ。聖女として転移してもらいたいの』
「聖女……三十歳の聖女って、向こうさん、がっかりしません?」
『何のがっかりかは分からないけど、とりあえず年齢は十六歳に戻すわ』
「十六歳」
『知識や経験はそのままよ。
肉体年齢を戻すのは、魔法をすぐに使える身体に作り直すからなの。
そして、十六歳くらいの肉体が一番、魔力の行使に堪えられるからね』
ちょっと無理をしても、自然治癒的なものでなんとかリカバリー可能ということらしい。
「転移後に、現地の人に魔法を教わるのではないんですね」
『そんな暇はないわね。
貴女がイエスと言えば、私が今ここで直接教えるわ』
「わかりました。イエスです」
女神様が微笑むと、わたしの身体はみるみる若返り、それに見合う可愛らしい衣装をまとった。
まるで、アニメの魔女っ子モノのように、ヘンシ~ンしたわけである。
幸いにも露出は多くない。
でもって、魔法の使い方は、直接脳に送られた。
「なるほどなるほど、あーしてこーしてそーなるわけだ」
『そうそう。一番気を遣って欲しいのは照準かしら』
「了解です」
で、肝心の任務は魔王討伐だった。
『魔王が攻め込む予定の国の神殿へ、貴女を聖女として送り込むから。
討伐隊が結成されるはずなので、一緒に討伐の旅に……』
「時間が無いと仰ったわりに、のんびりした計画ですね」
『それでも、転移してから修行したら一年以上かかるわ。
すぐに使える聖女がいれば、ひと月以内には出発できるはず』
「そもそも、教えていただいた魔法だけで、魔王は倒せないんですか?」
『倒せるわ。でも、魔王は魔獣やら魔族やら従えているから、そのへんを片付けるお供がいたほうが』
「魔王がいる場所に直接送っていただいて、不意を衝いてやってしまうというのは? 卑怯ですかね」
『……卑怯ではないけど、話が早すぎるわ』
「早すぎる?」
『恩を売るには、王城やら神殿やらに先に名乗らないと。
後々、無かったことにされるかもしれないし』
「いっそ、無かったことにするのもありでは?」
『どういうこと?』
「魔王を倒すには聖女の力が必要なんですよね?
その他の軍勢はいつもの戦力をかき集めるだけなら、次の魔王討伐のための啓蒙は要らないってことでは?」
『そう言われてみれば……』
「国を救った聖女は王族の伴侶に、とかなるとややこしいし。
それまで真面目に努力してきた人の人生を無駄にしたり、信頼関係を引き裂いたりは嫌だし、欲に目がくらんだ偉い人に利用されたり、とか面倒ですし」
『まあ、確かにそういうこともあるかもね』
「わたしの役目は魔王を討伐すること、だけですよね?」
『ええ』
「じゃあ、それを遂げれば終わりでもいいわけですよね?」
『終わり、って、死ぬの!?』
「いや、死ぬつもりはないですけど、普通に目立たず、小さな幸福に満足して生きていきたいと思います」
『……それも素敵だけど、欲が無さすぎ』
「そうですか?」
『聖女って、とにかく偉いのよ。
魔王討伐すれば、表向き誰も逆らえない』
「いやいや、魔王が国を壊すのを阻止すべく女神様が聖女を派遣しようとするくらい、まともな国なんでしょう?
そんなところへ、異世界の、常識の違うわたしが乗り込んで、好き放題したらいけませんって」
『……なんかもう、女神の席が空いたらスカウトされそうね、貴女』
「女神様なんて、ますますガラじゃないですよ」
とりあえず、それで話がまとまったので、わたしは魔王城へ送られた。
で、予定通り魔王を討伐した。
魔王の側近たちも気付かぬうちに、わたしは城を離脱する。
『お疲れ様、仕事も早い。ありがとう』
「いえいえ、どういたしまして」
『それで、これから……』
そう言う女神様が、わたしが小脇に抱えた子羊を見つめる。
「あ、完全に浄化して無力化した元魔王です」
『ああ、そう。……って消滅させなかったのね』
「殺さねばなりませんでしたか?」
『いいえ、この状態なら問題ないけど、どうして?』
「角の形が気に入ったので」
子羊は真っ白で、黒いお目目がキラキラで可愛い。
魔王の面影など無く、無垢そのもの。
『ふむ』
女神様は腕を組んでしばし考えていた。
豊かなお胸が腕に乗りきらないぐらいだ。
『貴女、しばらくここに居なさい』
「え?」
『いくら子羊になったとしても、この子は元魔王。
少し様子を見たいわ』
地面に下ろしてやった子羊は、女神様の草原の草を食み、ご機嫌な様子。
「危険性は感じませんし、わたしが常に側に居れば……」
どこか人の来ない山奥で、のんびり暮らそうかなと思っていた。
子羊がお供なら、寂しくもなかろう。
『駄目よ。私がいいと言うまで、ここで過ごしてちょうだい』
「はあ」
いくら聖女の力を賜ったとはいえ、さすがに女神様に逆らう気力はない。
……それから十年。
わたしはまだ、女神の庭に居た。
子羊は今日もご機嫌で草を食む。
もう、子羊ではなく、大人になっているけど。
『そろそろ、気が変わった?』
「いえ、変わりません」
女神様は、あれから熱心に、神への昇格を打診してきた。
わたしのショートカット優先のやり口が面白いので、是非、女神になって世界を一つ作り上げてみたら、というのだ。
わたしが承諾したら、主神に話を上げるのだとか。
神様として働くのも悪くはないが、当初の願いはとりあえず叶ってしまっていた。
お気に入りの真っ白羊と、のんびり草原暮らし。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
「メ?」
「女神様と違う視点の人がいないと、相談もできないし」
「メメ?」
「あなたが話し相手になってくれたらなあ」
「メメメ!」
わかった、と言わんばかりに白羊がすっくと後ろ足で立ち上がった。
そして、みるみる人型に変身していったのである。
「メメメメ……じゃなかった、これでいいかな?」
「なんで変身できるの?」
「女神の庭の草を食べてたせいだと思う」
「……魔王の記憶はある?」
「あ、僕、魔王だったんだ。それは、きれいさっぱりないや。
気がついたら君に抱えられていて、撫でられて、優しく声をかけられて、ここの草が美味しくて、それで十年経ったってことしか分からない」
「そっか」
彼は間違いなく魔王と同じ造形だ。
黒髪は淡い金髪に、赤い目は緑色になっていた。
ついでに、真っ白い角もある。……どことなく神々しい。
女神様には角の形が気に入った、と言った。
でも角だけじゃなく、顔がもろ好みだったので殺したくなかったのだ。
やっぱり、好きな顔だな~と見惚れていたら後ろから声が。
『なるほどね。魔王の顔に一目惚れしたから殺さなかった、と』
「め、女神様」
『いいのいいの。それより、元魔王&子羊の彼を伴侶に女神業やってみない?』
「え?」
『これから恋を育む二人に、他人の庭は狭いでしょ?』
「恋!?」
『いいわね?』
「ちょ、彼にも選ぶ権利が」
「あ、大丈夫。僕は君がいい」
あっという間に、外堀埋まったではないですか。
『そうと決まれば、主神様とお話してくるわ』
返事はしていないのに、女神様は行っちゃった。
「じゃあ、僕らは恋を育もうか」
そう言うと、元羊は抱き着いてくる。
「ちょ、羊の知識で大丈夫なの?」
「恋は本能で行けると思う」
確かにそうかもしれないが……。
「これから、いろいろ勉強するから、教えてね」
「わたしだって、女神になるなら一から勉強だよ」
「そっか、じゃあ、一緒に学ぼう。その前に……」
「こらこらこら!」
女神様の目が無いのをいいことに、服を脱がしにかかる元羊。
あまりにしつこいので、ちょっぴり魔法を使ったら、次第に向こうも魔法を覚え始めよった。
ちなみに、この十年、わたしは女神様が暇なときに、いろんな魔法を教えてもらって来た。
「さすが、元魔王」
「身体が覚えてるのかな?」
なんか楽しくなって、魔法バトルを繰り広げたわたしたち。
やがて帰って来た女神様に、正座させられ説教をくらった。
穏やかだった草原を、元の様子が思い出せないほど破壊しまくったのだから当然である。
そして、その流れで、反論する間もないまま女神教育が始まった。
流石に、聖女の浄化魔法を教える時とは違い、時間をかけて座学と実践を重ねる。
元羊は、一緒に神業を習いながらも合間に口説くのをやめない。
そして、元魔王の器は伊達じゃなく、元人間のわたしよりずっと覚えが良い。
悔しい。
「君、僕のこと好きなのに、なんで許してくれないの?」
「あなたに何か一つでも勝てたら、許してあげる」
「ん? なんかそれって、本末転倒なような?」
「ズルは無しだから!」
本末転倒でも何でもよい。わたしの踏ん切りの問題なのだから。
一つ勝てたら先に進む。そう決めた。
「まあ、一緒に世界を創るんだから、慌てることもないか」
その余裕、いつかは崩してやるからな!
『仲が良くて結構だけど、そろそろ教育を仕上げて追い出したくなってきたわ』
「女神様は、いい人いないの?」
悪気なく訊いた元羊が、女神様の魔法で追い回されている。
黒焦げになってしまえ、と思ったがヒョイヒョイと避ける避ける。
二人が遊んでいる間に、少し昼寝をしよう。
「隙あり!」
逃げながら、こっちに向かって来た元羊が飛びついてこようとして結界に跳ね返された。
「な、僕が感知できない結界、だと!?
これって、僕の負けでいいんじゃない?」
嬉しそうに負けを宣言するのがうるさいので、寝たふりをする。
『あら、本当。腕を上げたわねえ』
女神様がコンコンと結界を叩く。
その足元には、元羊が黒焦げで蹲りながらピクピクしていた。