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短編

呪いが解けたその先で

作者: 猫宮蒼



 魔女は語る。


「いやまさかさ、そうなるとは思わないじゃん……?」


 それはもう、とても困惑した様子で。


 向かいに座って砂糖をこれでもかとぶち込んだ紅茶を飲んでいたもう一人の魔女はといえば、


「……あんたの紅茶、砂糖じゃなくて胡椒でもぶち込まれてんの……?」


 とやはり困惑した様子で全くわけのわからない事を言い出した。


 いやだって、ちょっと意味が分からなかったのだ。


 アタシ今何の話聞かされてたっけ……? と思わず記憶が正常かどうかも疑った。


 事の発端、という程でもないが、まぁきっかけは何だと言われれば、魔女の友人でもある人間が酷い目に遭ったという話からである。


 とある貴族のご令嬢。

 魔女と知り合ったのはたまたまというやつで、そのたまたまで思った以上に気が合って魔女はご令嬢とそれなりに良い関係を築いたのである。

 魔女は依頼であればまぁそれなりに力を使う事もあるけれど、無償で何かをしてやろうとは友人相手でも思っていなかった。ご令嬢も、友人だからで魔女をいいように扱おうなんて考えていなかった。


 どちらかがどちらかを利用しようと思っていたなら、この関係は早々に破綻していた事だろう。


 そんなご令嬢には婚約者がいた。

 幼い頃に決められた、所謂政略結婚というやつだ。

 それでも、まぁ、それなりに。

 ご令嬢と婚約者の令息は少しずつ距離を縮めていって、仲睦まじく育っていったのである。


 そのまま成長して、そのまま結婚していれば幸せな夫婦となれただろう。


 だがしかし。


 貴族たちが通う学院で、婚約者は運命の出会いを果たしてしまった。

 一目で恋に落ちて、そうしてご令嬢の事など最早目に映らなくなってしまったのである。

 寝ても覚めても運命の相手に夢中で、ご令嬢は蔑ろにされてしまう。


 家同士で結ばれた婚約ではある。

 今までうまくやっていたのに、令息は令嬢を疎ましく思い、この婚約を無かったことにしたいとまで言い出した。


 けれども。


 困ったことに令息の家は跡取りになるのがその令息しかおらず、運命の恋人と称した女では結婚しても何の旨味もない。

 令嬢よりも身分が低い女性だったため、愛人ではダメなのか、と家人に問われたものの令息はその言葉に激しく拒否反応を示したのである。


 まぁ、令息目線で言えば最愛の女性を蔑ろにしたような発言なので、そこに反発する気持ちもわからないでもないのだが……とはいえ、現時点で令息がやらかしているのは普通に不貞である。周囲でちょっとイチャイチャしていただけで、別にまだ人前で熱烈なキスをかましたりだとか、既に身体の関係があるだとかではない。

 けれども、婚約者である令嬢をほったらかしにして運命の恋人とやらとべったりしていれば、まぁ浮気と言われても仕方がない。


 婚約を無かったことにしたとして、お互いの家同士で結ぼうとしていた契約のあれこれはではどうするか、となるととても困った話になってしまった。

 お互いの家で経営していた商会の業務提携や、別の事業での契約、そういったものが家同士の結びつきがない状態だと、死ぬほど面倒な事になるのである。

 他の国ではどうだか知らないが、この国では基本的に身内経営であれば契約はそこまで複雑なものではない。けれども、他の家との契約となると後になって揉めないようにそれはもう死ぬほど細かな項目がずらずらと並ぶ。不測の事態があった場合の事も考えて、そんなとこまで必要か!? と言いたくなるくらいに契約要項がびっしりなのである。


 しかもその契約、ちょっとでも不備があるとやり直しとなるので正直死ぬほど面倒くさい。

 提携するにあたって、二つの家で結婚する相手がいますよ、これからは身内になりますよ、というのであれば契約はもっと簡単なものになるのだが、そうじゃなければもう二度とこんな契約書見たくない……と言いたくなるくらいの事態に陥るのである。


 昔はもっとざっくりしていたのだが、その手の法律の抜け穴を突く形でやらかした連中のせいでどちゃくそ面倒になったのだ。

 王国の歴史を紐解けば、王国の昔の法律はとてもシンプルだったのに今の王国の法律はそういった法の目をごまかすような事を仕出かした連中のせいでとんでもなく複雑化してしまった次第であった。

 とはいえ、それでも法が完璧か、と問われればそんな事はない。

 相変わらず法の目をごまかそうとするやつはそれなりに現れるのだ。



 ともあれ、両家の人間が結婚し身内となりましたよ、とならなければこれから先に提携しようとしていた事業に関するあれこれは、正直家の誰もが顔を顰めてやりたくないと思えるくらいに面倒な事になってしまう。

 事業提携するものが一つくらいであったなら、まぁ面倒だけどやりますかぁ……と諦めもつくのだが、両家は結婚する事になるのならあれもこれもと色々提携した方が便利だし……とそれはもう色々な計画を打ち立ててしまったのである。


 それらを、一つ一つ法律に当てはめて契約書を用意してそれらに一切の不備なく……となると考えるだけでうんざりする。

 結婚すれば話はとても簡単なのに。

 かといってでは事業提携そのものを見直しましょうか、となるとそれもそれで困る。これらが行われるのであれば、雇用関係が潤い事業の提携内容的にも失敗する事はほぼないに等しいので両家の懐も潤うのが確定している。

 まぁ失敗しても赤字になる一歩手前でどうにかできる、という算段で、しかし逆に上手くいけば両家の領地はほっくほくなのだ。

 それがわかった状態でやらない方が勿体ない。


 幼い頃に婚約させていたために、現時点でそれを見越した上で行っていた事業に関しては契約もある程度簡素だったのだが、ここでその婚約やっぱやーめた、となると新たな書類を提出しなければならない。

 過去のデータを遡ってあれこれ調べたりしないといけない事もあるので、そうなるとひたすらに面倒くさいという言葉しか出てこないのだ。


 え、この契約書含めたその他書類、誰が処理すんの……?


 と両家の人間はお互い顔を青ざめさせてしまう程だ。


 過去に法律の抜け道をすり抜けて好き勝手した連中のせいで、とんでもなく面倒な事になってしまっている。

 過去の犯罪者どもに恨みつらみを膨らませたところで、目の前の現実がどうにかなるわけでもない。


 となると、面倒な事を言い出した令息に非難の目は集中するわけである。

 人間いくら精神面がマトモであろうとも、やはり怒りの矛先があるとどうしてもそちらを向きがちになるので。


 ここでその面倒ごとを令息が全て請け負って、更に余計な事を言い出した詫びとして自分の私財から令嬢に慰謝料でも支払うのであれば、まだマシであった。

 だがしかし令息はそこまでの面倒を背負う気はこれっぽっちもなかったのだ。事の発端としてはお前が原因だろうが、と周囲が思っていたとしても。


 何が何でも運命の恋人と結ばれたい令息は、これまたやらかしたのである。

 契約関連とはまた別の法の抜け穴から、令嬢の不祥事とやらを突きつけて婚約破棄を申し立てたのである。


 そうでなくとも運命の恋人と出会った令息と、その恋人、そして婚約者である令嬢というのは学院に通う貴族たちからすればこれからどうなっちゃうんだろうなぁ、というある意味で注目されるニュースであった。ゴシップみが強いが、だからこそその分注目を集めたとも言える。


 そんな中、令嬢に突きつけられた婚約破棄。


 しかも落ち度は令嬢にあると言う。


 ここで婚約破棄の原因が令嬢にあり、令嬢側が有責であるとなれば今までの契約のあれこれは令息の家側に有利に結び直す事ができるし、そうなれば契約書も今までのものとは異なるものに変わるので婚約をやめて改めて契約し直すよりは難しくないものになる。


 だがしかし、令嬢側からすれば婚約破棄を突きつけられても有責はそちらではないですか、となるのは言うまでもない。


 両家は今まで友好的であったのに、それはもう泥沼を極めた。

 信頼は築き上げるのに大変な苦労をするけれど、それを壊すのは一瞬とはよく言ったものだなと思える程泥沼を極めた。



 結局王国裁判にまで話は持ち込まれ、最終的に令嬢側の勝訴で決着はついた。



 令息は両親から半殺し程度にボコボコにされ、縁を切られ追い出された。

 運命の恋人と言われていた女は、周囲の非難の目に逃げ出そうにも逃げ切れず、挙句王家から王命での結婚を言い渡されてしまった。


 縁を切られ追い出されたものの、令息は実のところ爵位を与えられていたので平民にはならなかった。

 ただ、生家とはもう関係がないものとされているだけで、そこから自力で這い上がれるなら勝手にしろといった具合であった。

 まぁこれだけの醜聞だ。社交界で華々しく存在を主張するなどできそうにもないだろう。


 両家が本来結ぶはずだった契約に関しては、お互いの家で立ち上げた商会の事業提携が上手くいけば国にとっても有益であるために王家が間に入る事で契約関連はもう少し簡単なものになった事で決着を迎えた。


 この時点で両家の仲は最悪も最悪になってしまったので、間に緩衝材でもないと上手く事が運ばないというのもあったからではある。



 令嬢側が一時は有責と言われていても最終的に令嬢に非はないと判断されたが、しかし広まりに広まったゴシップニュースで連日面白おかしく噂されてしまった事で、新たな婚約者などそう簡単に決まるはずもなく。

 それどころか周囲の好奇に満ちた目にうんざりした令嬢は引きこもるようになってしまった。

 噂が落ち着くまで当面外に出られないだろう。



 令息は実家との縁を切られていたものの、かろうじて自らに与えられていた爵位でもって貴族のまま。運命の恋人とされていた女性も周囲で色々言われていたけれど、令息と結婚できたことに関しては不満はないようだった。

 周囲から向けられていた非難の目から逃げたかっただけで、令息から逃げたいわけではなかったのだ。


 運命とされていた女性からすれば、彼と出会った順番が遅かっただけ。

 それだけで、周囲は酷く冷たい目を向けてくる。

 彼は最初穏便に事を済ませようとして婚約解消を言い出したのに、両家が契約のアレコレを面倒がって無理矢理彼とあの令嬢を結婚させようとしたから、彼も最終手段に出ただけなのに……

 彼女の目線からだとそう見えていた。



 さて、そんな泥沼の修羅場が終わった後である。

 令嬢の友人である魔女が令嬢の元を訪れたのは。


 一通りの話を聞いて、ついでに使い魔で周囲の情報を探らせてみればちょっと自分が他の国の魔女のところに遊びに行っていた間、とんでもねぇ修羅場が繰り広げられていた次第であった。

 えぇ~っ、こんな事になってるって知ってたらこの国に大人しくいるんだったぁ……と思ったもののまぁ今更である。


 令嬢はそれはもう泣いた。

 泣きすぎて瞼は腫れぼったくなっていたし、泣きすぎて目は真っ赤だった。

 鼻水もすごくて鼻の下がカピカピである。とても令嬢とは思えない顔になっていた。


 昔からそれなりに仲睦まじかった相手の心変わり。

 それも悲しかったけれど、もっと悲しくなったのは運命の恋人とやらと出会った後に令息から言われた言葉だ。


 仕方ないよ、彼女は美しすぎて私は彼女しかもう目に映らないんだ。


 君はその……美しい、と思った事は正直な話、一度もなかったかな……


 他にも色々言われたようなのだが、特に心に残って今でもふとした瞬間脳裏でリピート再生される言葉がこの二つであった。


 運命の相手は確かに綺麗だった。美人だった。

 すれ違う時に彼女がいたなら、間違いなくそちらを見てしまう程。

 存在感が圧倒的だった。


 令嬢は、ブサイクとまではいかないが、見た目はどちらかといえば控えめで。

 彼女が月や一等星、大輪の薔薇や麗しの白百合に例えられるような美貌の持ち主ならば、令嬢は……野に咲く一輪の可憐な花だとかだろうか。月や太陽といった存在感はなく、一等星とも言い難い。かろうじて、夜空に目を凝らしてあのあたりに何となく星が見える気がするな……? といった人によっては全く認識できないくらいに朧げな星がやっとであった。


 結局男って見た目で女を選ぶのかしら! と令嬢は思いたかったが、令息が見初めた運命の人は自分以外にはマトモな人だったと聞く。

 自分にはあの人の婚約者なのはわかっている、けれどもどうしても好きになってしまったの……ごめんなさい、といったしおらしい態度であったし、令息は人目を憚らずイチャイチャしていたが最初のうちは彼女は一応遠慮だってしていた。

 けれど、やはり抑えきれない心が燃え上がって最終的には人目も憚らないくらいべったりだった。


 彼女の方は令嬢の見た目を悪しざまに言うような事もなかった。

 ただ、好きになってしまった相手を譲る気はないとばかりにべったりしていただけで。


 王国裁判が終わった後、彼女の家もそれなりに痛手を負ったものの令嬢に向けて嫌がらせをしただとか、されたといった言いがかりだとかをしたわけではないので慰謝料の支払いだけで済んでいる。

 それに、王命で令息と結婚する事になったのもあってか、彼女の家が持っていた領地の端っこも端っこといった部分を与えられたらしい。


 令嬢からすればその程度の罰しか与えられないのか、という気持ちもあったけれど、しかしやらかしたのはあくまでも令息だ。生家から縁を切られたのはあくまでも令息だけで、彼女はそうではなかった。

 ただ好きになってしまった人と一緒にいただけ。

 その相手に婚約者がいただけ。

 嫌がらせをしたわけでもないし、できるなら穏便に婚約を解消してくれないか、と頼まれた事もあるけれどそれを拒否したのは令嬢だった。

 拒否した結果、別の法を持ち出されてこちら有責での婚約破棄となりかけていたのだが。


 あんなことになるのなら、素直に婚約解消を受け入れるべきだったのかもしれない。

 終わった今となってはそんな風に思う事も度々あった。

 意固地になっていた、と今なら思える。

 けれどあの時は、まだ好きだったのだ。彼の事が。そして彼と婚約して結婚するのは自分だと思っていたから、いきなり現れた女に奪われると思って、余計にムキになっていたのかもしれない。

 勿論、当然の権利だとは思う。だって婚約者だった。あの人と出会うまでは、彼は自分の事を確かに好きでいてくれた。


 最初から冷え切った仲であったなら、もっと簡単に諦めもついたかもしれない。


 でも、好きだったのだ。

 そう簡単に諦められなかった。受け入れたくなかった。


 とはいえ、自分を有責にしてまで婚約破棄をするという彼の決意と行動に、その後言われた言葉に。

 傷ついてしまって、心の中はぐちゃぐちゃだった。

 前程彼の事を好きだ、とはもう言えない。

 婚約は破棄された。彼の有責で。

 好きな気持ちはまだ奥底に残っている……とは思う。

 けれども、彼との事を思い出すと心の傷がじくじくと痛みだすのだ。


 まだ、完全に思い出になんてできなくて、前を向くにはまだ自分の気持ちが追い付かなくて。

 周囲の目も怖くなってきて。


 だから、部屋にこもってめそめそし続けていたのだ。

 もっと毅然と前を向いていられるようになっていたなら、堂々と外に出て振舞う事ができていたなら。

 そう思っても、どうしても勇気が出なかった。


 周囲の噂の中には、そりゃああんな美人とさえない婚約者なら美人を選ぶよ、なんてものも聞こえた事もあって。

 そりゃあ確かに人目を引くような美貌はないかもしれないけれど、周囲の「アレ」じゃぁねぇ……みたいな声がどうしようもなく自分を惨めにさせてくれる。

 それに泣きすぎて顔が酷いことになってしまっているのもあって、この状態じゃ余計外に出るに出られない。


 気が済むまで泣いて泣いて泣いて、吹っ切れたら外に出られるだろうか。


 そんな風に思っているところに、友人である魔女が訪ねてきたのである。



 友人のご令嬢の、じめじめとした愚痴と泣き言を一通り聞いた魔女は、どうしたものかな、と考えた。

 友人がいつまでも泣いて過ごしているのを良しとする程魔女は薄情ではなかった。

 一応裁判で決着もついているし、令嬢に非はないと周知されている。

 けれど、それでも周囲では好き勝手な噂が飛び交っているのだ。


 友人は確かに見た目は地味だし性格も控えめすぎてパッとしない事は魔女も認めている。

 けれども、周囲の人の事を考えて一歩引いて物事を見ている部分もあるし、優しい娘であるのは確かだ。


 魔女からすればその婚約者クソじゃない? と思っているのだ。

 そりゃあ運命の恋人とやらと出会って、その人と結ばれたいと思ったとしてもだよ?

 婚約を解消させようとしたのもまぁいいよ。

 でもさ、順序的に、まずは恋人といちゃこらして婚約者蔑ろにするっていう部分は余計じゃない?


 運命の恋人と結ばれたいなと思ったなら、その時点で即婚約の解消を申し出ればよかったのではないか。何故周囲に見せつけるようにして、友を蔑ろにしたのか。

 お前の入る隙はないから諦めてくれとでもいうパフォーマンスのつもりだったのだろうか。そのせいで不貞だ浮気だと周囲から言われるようになっていたのだから、そこ余計な部分でしょとしか思えない。


 しかも婚約の解消が難しいと思われたからってその後即座に友が有責みたいな言いがかりつけて……や、法律見てると確かに、って感じはするんだけど、ただやっぱ冷静に考えて言いがかりなのよね。

 法律って大抵言葉を無駄に難しくしてるから、受け取り方解釈の仕方次第で意図しない意味合いだとかが生じる事ってあるしな……と魔女は眉間にしわを寄せた。


 まぁ最終的に友の無罪が確定したのでそこはもういい。


 けれども、魔女としては釈然としないのである。

 ちょっと出かけて戻ってきたら、友がこんなことになってるとか誰が思うだろうか。

 裁判までやってもう終わった事になってるけれど、しかし魔女の中では今知ったばかりで終わっていない。


 あのくそ野郎、よくも友を泣かせたな、という気持ちでいっぱいである。


 それにだ。

 王国裁判が終わって既にそこそこ経過しているので、噂の広まりというかゴシップネタとしてのピークはそこそこ過ぎ去っているのだけれど、それでも完全に消えたわけでもない。

 社交界に出てこない友の事を心配している心優しい者もいれば、あれだけの醜聞になったらもう一生外に出られないんじゃない? と無責任に言うクソ女。

 あぁなったらもう行く先なんて修道院か、どこかの家の後妻だとかよね、とさも心配してますという態度でありながら悪意たっぷりに噂を振りまく腐れ貴婦人ども。

 まぁあの容姿じゃ次の婚約者はすぐ見つからないだろうな、なんて軽口を叩く野郎ども。

 そもそも令嬢は嫁入りするつもりだったので、商会だとかの後継ぎというわけではなかった。

 それもあって、あれを嫁にするにしてもな……という空気が漂っているのである。


 顔か金か。


 人間ってそればっかり。

 魔女はうんざりした。

 友の良さをわかってるやつなんて、一握りくらいしかいないではないか。揃いも揃って人を見る目がない。節穴通り越して風穴開いてんのかってレベル。いっそマジで開けてやろうか。

 使い魔を通して聞こえてきた噂の数々に眉間のしわが深くなる。


 魔女が慰めたところで友人の気持ちがすぐに立ち直るわけじゃないのはよくわかっていた。

 今は何を言ったって気休めにしか思われないだろう。

 そう思ったから。


「知り合いの魔女に頼んでアンタに良縁が来るようにお祝いしてもらう。効果が出るまでちょっと時間がかかるかもだけど、それまでには立ち直ってね!」


 なんて言って魔女は自分にできる事をしようとしたのだ。


 本当だったら自分が友の良縁の手助けをしたいけれど、生憎自分はそういうのが得意ではなかったので。得意な魔女に頼んで、せめて少しでも早く友が幸せになればいい、そう思った。



 ――まぁ、それはそれとして。


 魔女本人が何もしないとは言っていない。

 友に言えばきっと止められると思ったから言わなかったけれど、でもあのくそ野郎には何かしてやらないと自分の気が済まない。

 既に寂れた領地の隅っこで細々と暮らしているらしいので、ある意味罰は受けていると言えなくもないけれど、でも魔女の気は済まなかった。

 ありとあらゆる呪いでもかけてやろうかとも思ったけれど、あからさまに呪いだとなれば解呪のために他の魔女まで巻き込むかもしれない。流石にそうなると後で怒られるのは自分なのでそれは避けたい。


 うーむむむ、と考えて、そういや遊びに行った魔女のところで何かこれに近い話聞いたな? と思いだした。


 お友達の魔女のところでも、なんだか似たような事があったらしいのだ。

 真実の愛だかなんだかを見つけてしまって婚約者を蔑ろにした挙句、婚約者有責での婚約破棄をするために冤罪吹っ掛けた奴の話を。

 後手に回った令嬢はまんまとその噂によって評判が地の底レベルに落ちてしまったけれど、お友達の魔女が真実の愛だとか抜かしてるやつに呪いをかけたとか。


 真実っていうくらいなんだから、貫き通せよその愛、とばかりに真実の愛のお相手の姿が化け物に見える呪いをかけて、その化け物と子を産んでその子が両親に対する愛を示せば呪いは解けるとかどうとか。

 男は最愛の女の姿が突如化け物にしか見えなくなって、けれど呪いの解き方も示されているので女を捨てるわけにもいかず。

 女は愛する男から化け物を見る目を向けられ続け、それでも子を産み育て、その子も男の目には化け物にしか見えなくても。

 それでも、愛によって家族の絆があるのなら。

 子が親に向ける愛を受けた時にこそ、呪いは解ける。


 とまぁ、そんな感じの長期的な呪いをかけた話を聞いたわけだ。

 ちなみに一応呪いは解いたけれど家庭仲は崩壊したし、冤罪吹っ掛けた事も明るみに出てなーにが真実の愛だよ、みたいな感じになってしまったのだとか。


 真実の愛とか言ってるやつ大体相手の見た目しか見てねぇからこの呪い割と有効な気がする、とはお友達の魔女の話である。

 まぁ人間って視覚情報で大抵の事判断してる部分あるし……と思ったので否定はしなかった。


 ともあれ、そのお友達の魔女の話は使えるかもしれないな、と魔女は思った。

 運命の恋人とか真実の愛と大差ない言い方だし。


 それに、寂れた土地で過ごしている事で周囲からこう、見下されるような形になっていれば多少溜飲は下がったかもしれないけれど、どうにも使い魔をその土地に飛ばしてその二人の評判を調べてみれば、確かに最初はひそひそされていたけれど、お互い協力して暮らしているらしいし、そこまで悪い評判が立っていなかったのだ。


 まぁね!? 既に罰は受けたみたいなものだから、そら一生涯苦しめよとかならんだろうけどもね!?

 でもまだ友が立ち直ってもいないのに、何こいつら二人手に手を取って~みたいな感じで貧しくなっても幸せな二人、みたいになってんの!? という気持ちがとても強く魔女の中で芽生えてしまった。


 いや、最終的に幸せになるのはまだいいよ?

 でもさ、早くない?

 あと数年はちょっと不幸に陥ってろよと凄く思うわけで。


 王国裁判終わってまだ二か月くらいだぞ。

 その二か月の間めそめそし続けてる友もそろそろ立ち直れよという気持ちは確かにあるんだけどもさぁ。

 でも自分に自信のなかった女が打ちのめされてしかもまだ外では面白半分で噂が流れてともなれば、まぁ中々立ち直れないのもあるのかもしれない。


 対するお前らは図太すぎだろと。

 確かに王都と比べてド田舎すぎてさっさと立ち直らないと生活もままならんってのもわかるよ?

 わかるけどもね?

 でもそれでも何かこう、早すぎるんだわぁ……


 まぁ友は一人で立ち直らないといけない感じだけど、こっちは二人だもんな。しかも愛する者同士。

 そう考えると更に数か月後にはもう子供ができたとかそういう話になってもおかしくはない気がしてきた。

 は? はやすぎでは?


 個人的に男の方は友が世話になったなぁクソが、とか言って一発くらいはぶん殴りたいのだけれど、一発殴った時点で歯止めがきかなくなりそうなのでそうもいかない。

 お前がッ! 死ぬまでッ! 殴るのをッ!! やめないッッッ!!

 ってしちゃうと、この魔女野放しにしておいたらヤバいから討伐しちゃおうね~ってなりかねないので。

 暴力ってとてもシンプルでわかりやすい手段だから、危機度合とか誰にでも判断できちゃうのが困りもの。


「よし呪おう」


 その点呪いなら相手が死ぬとかでもない限り、危険度とか途端にガバなのですぐに討伐しーちゃおってならないのだ。周囲に感染してしまうような呪いだとまずいが、個人にだけ効果のある呪いなら周囲はそこまで気にしないのである。何故って過去に呪われてないのに呪われてるって自己申告してきた馬鹿もいたから。

 周囲に被害が及ぶようなものなら深刻に対処されるけれど、そうじゃなければ人間ちゃん案外放置しがち。

 自分に害がなければオッケー精神なのは身分関係なく大体そうだった。特に死ぬような呪いじゃなければ余計に。


 どういう呪いをかけようかと考えるも、友人の魔女の話を参考にそれでいけるんじゃないかと思い始める。

 下手に凝った呪いをかけようとすると大体効果が微妙になるか本人も思ってなかった効果になるかなので、そういう意味では友人の魔女がやった呪いはとてもわかりやすい。


 そう、真実の愛っていうのなら、その相手と添い遂げるつもりがあるわけで。

 やる事やってりゃ子もそのうち産まれる。恋人から夫婦に、そして子が産まれて親子、家族となっていくわけで。本当に運命の相手とくっついたのであれば、最終的にはそうなるはずだ。

 どちらかの体質的に子ができない、とかではない限り。



 そういうわけで思い立ったが吉日精神でもって、魔女はお友達の令嬢の元婚約者がいる所へ赴いたのである。


 そうして堂々とお邪魔しますと相手の家に乗り込んで、かくかくしかじかとばかりに説明をし、そうして呪いをかけたのだ。

 元婚約者からすればいきなりやってきた魔女に呪われたも同然ではあるが、元婚約者のお友達で、既に終わった件とはいえそれはそれとしてお友達を傷つけられたのムカつくから、と言われてしまえばどうしようもない。


 ここで盛大に拒絶して魔女の怒りを買ってじゃあ死ねよ、とか言われる方が余程危険なので。


 聞けば呪いは最終的に子が産まれて、その子がある程度成長すれば、そして家庭内の仲がよろしいままであれば解けると言われたので。

 愛する者の姿がちょっと異形の姿に見える事になると言われ少しだけ不安になったけれど、しかし男は妻となった女の事を見た目だけで惹かれたのではないと言い切れる。

 外見がどうなったところで、愛していけると思っていた。

 見た目だけで、例えばそれ以外の――匂いが悪臭に変化する、とか言われたらそれはちょっと……となっただろうけれど、あくまでも見た目が異形に見えるだけと言われたので。


 男としては今更ではあるが、魔女の言い分も理解できなくもなかったのだ。


 友を傷つけられた。その仕返し。

 友は未だに傷ついたままで立ち直れていないのに、あんたら二人はとっくに二人、手に手をとって前を向いてる。そこに理不尽を感じると言われてしまえば、いや言いがかり、と思う部分もあるけれどその気持ちは理解できなくもなかったのだ。


 もうちょっと苦労しろよという魔女の言葉に、それで気が済むならまぁ……と。



 家との縁を切られた男は、自分が親の立場で我が子がやらかしたなら、そりゃまぁそうなるだろうなぁ、と全てが終わった後、こうしてやって来たオンボロ新居で客観的に考えてようやく自分のしでかしを理解するしかなかったのだ。あの頃の自分は恋に狂っていた。自分たちが絶対的に正しいと思い込んで、正論だとか諭す言葉だとか全て敵に思えていた。それくらい、視野が狭くなっていた。


 婚約者に誠実であろうとして婚約の解消を持ち掛けたけれど、けれどもその前に既に恋人となった彼女と常にべったりな時点で全然誠実でもなかった。家同士の事業提携の話も今になって思えば、まぁ婚約を解消するとなると大変なのもわかる。お前がそれら全てを処理してからなら婚約の解消も構わんと言われた時に、あの時の自分はどうして自分がそこまでしなければならないのか、とあまりの面倒さにうんざりして、面倒を減らそうとして悪手をかました。

 その結果が泥沼裁判だ。


 全てが終わってこうして落ち着いて物事を見る事ができるようになって、どうしてあの時あれが最善だと思ってしまったのか……とも思う。



 これで例えばもっと……数年ここでの暮らしに苦労を重ねて五年後か十年後くらいにようやく幸せになれそうな兆しが見えてきた、とかであれば魔女も現れなかったのかもしれない。

 けれども、早々に立ち直ってこうなった以上は仕方がない、ここで精いっぱい二人で生きて、幸せになろうな、なんて協力しあえば案外簡単に周囲と馴染んでしまったのだ。ご近所の平民の皆さんも最初は遠巻きにしていたけれど、せっせと毎日働く二人の姿を見ているうちに少しずつ関わるようになってきた。

 てっきりこんな所に追いやられるようなお貴族様だ、さぞ気位ばかりが高くて何もできない奴なのだろうと思われていたが、いざ少しだけ関わってみれば案外気さくでよく働く。

 一応貴族とはいえ、限りなく平民に近い扱いだったので打ち解けるのも早かった。


 あの泥沼裁判からたった二か月。

 それでこうなったのだ。


 例えば、自分の大切な家族が殺されたと仮定して。

 その犯人は捕まって、死刑にこそならなかったがそれなりの期間牢に入っていたとしよう。

 そうしてその後釈放されて、社会復帰を果たしたとして。


 例えばその後も十年くらい苦労をして、それでも真面目に暮らしてようやく幸せになれそう、というのであればまぁ、相手も更生したのだろうなと思える。

 殺された家族は帰ってこないが、それでも罪を償ってその後も反省して生きていっているのであれば、許されてもいいのではないか……? と思えるかもしれない。

 反省した様子がなければ一生苦しめと思うかもしれないけれど。


 ところが反省したかどうかもまだよくわからないとしか思えないうちに、釈放されて三か月後くらいに既に幸せになっていたなら。

 そんな姿をうっかり目撃でもしようものなら、それはもうもやっとするのではないだろうか。

 こっちはまだ心の整理もつけられていないのに、どうしてお前が幸せそうにしているんだ――と。


 そんな想像をすれば魔女の言い分もわからないでもなかったから。

 男は呪いを受け入れたのである。

 絶対に解けない呪いではない。今更元婚約者の前で謝罪できるはずもない。

 きっと今足を運んだとしても、そもそも会ってもくれないだろう。


 であれば、この呪いを受け入れる事が戒めになるのであれば。


 そう思って。


 男は呪われたのである。



 呪われた男の目に映るのは、最愛の妻となった女――のはずだった。

 しかし魔女の言うとおり呪いの効果でその姿は異形へと変貌している。


 一応人の形をしてはいるけれど、しかしどことなく鋭角なフォルム。

 柔らかな、それこそ月の光を集めて作ったと言われれば素直に信じたであろうくらいに温かみのある色合いの肌はしかし今男の目には冷え冷えとした色にしか見えない。氷像のようだ、とも思った。

 大きくてまぁるい瞳があったそこには、細く鋭い目が複数存在していた。それらが意思を持つようにあちこちへ向けられている。すっと通った鼻先は別段呪われる前と変化がないようにも見えたけれど、少し開いた唇から見えた歯は牙と称した方が適切なくらい鋭くなっていた。


 綺麗に整えられていた爪は驚く程長く伸び、すっと手を引いただけで相手の皮膚を切り裂けるのではないか? とも思えた。くびれた腰のすぐ下からは、本来あるはずのない尻尾が伸びている。その尻尾は長くしなやかではあるが、しかしその表面にはびっしりと棘が生えていた。

 触れればきっとただでは済まない。


 とはいえ、本来尻尾などあるはずがないのはわかっている。だからこそ、触れたとしてもきっとそこには何もないのだろうと男は思っていた。


 あくまでも見た目が変わるだけで、最愛の妻の姿は自分以外には正常に見えているはずなのだから。


 男は最初こそ戸惑ったが、しかしすぐに慣れたように妻と接していた。

 魔女はその様子を自宅の水晶玉で覗き見ていた。


 見た目が人外っぽくなっただけで、中身までそうなったわけではない。

 しかし、妻が食事をした時に何故だか口周りが赤く染まるのだけはまだ慣れていないようだった。

 鋭い牙が見えるせいで、普通の食事をしていてもまるで獲物を丸かじりしたかのように見えてしまう。

 赤い食材なんてその場になかったはずなのにどうしてか口周りが生肉でも齧りました? と聞きたくなるくらい真っ赤に染まって見える。食事を終えればその赤も消えて見えなくなるので、これも呪いの一つなのだろう。


 納得はしたけれど、男が慣れるまでそこそこの時間を要した。



 今見ている姿は今までの姿とは異なる、と妻もまた理解していた。

 とはいえ声は同じなので、会話で困る事はない。

 なんだったら姿が見えない位置から声をかけて話をすれば、案外スムーズである。


 けれども、ずっと顔を見ないままというわけにもいかない。


 未だに戸惑い触れる時に躊躇う様子を見せる夫と、それでも夜は共に過ごした。

 無理はしない方が、と妻は言ったが男はしかし無理はしていないと言う。

 見た目が異なる事もあってか、少しばかり以前よりもたどたどしくなる事はあったけれど、けれども夫は妻への愛を囁いた。

 この人は私がどんな姿であっても愛してくれている。

 そう思うと、今まで以上に胸の中が幸せであふれた。



 人の形でありながら、けれど完全に人とは言い難い見た目。

 無機質、硬質的、そう表現されそうな妻の姿に、しかし男は怯えた様子も見せなかった。

 触れただけで皮膚が裂かれてしまいそうな攻撃的なフォルムも備えてあるのだが、実際にそうというわけでもない。だからこそ、彼は妻の姿を魔女が思っていたより案外早くに受け入れて過ごしていた。



 まぁ、お友達の魔女から聞いた話の男とはこいつちょっと違うもんなぁ……自分から受け入れたわけだし、そりゃあ覚悟も決まってますわ。

 普通の人間なら間違いなく妻の姿は化け物としか言いようがないのだが、しかし男の振る舞いを見る限りそう思っているようにも見えない。

 うーん、ちょっとつまんないな。


 そう思って魔女は一つの悪戯を仕掛ける事にした。

 直接危害を加えるとかではない。

 ただちょっと、夢の中で妻の姿をした人外生物に無茶苦茶にされるという悪夢でも見せてやろうと思っただけだ。


 夢そのものに意味などなくても、起きて覚えている内容から人というのは意味を見出そうとすることもある。

 そう思った事はないけれど、もしかして潜在意識で無意識にそう思っていたのが夢となって表れたのではないか……? なんて思ってちょっとだけでも妻とギクシャクしねぇかなと思ったのだ。


 この呪いは別に友の事を思ってだとかではなく、あくまでも魔女がすっきりさせるためのもの。

 自分の留飲を下げるだけのものでしかない。


 相手を殺すつもりはない。

 けれども、こんな簡単にあっさり乗り越えられてもつまらない。


 もっと悩んで苦しんで右往左往して藻掻いて足掻いたのであれば。

 その先に幸せを見出すのであればまだしも、そうでなければ魔女としても納得がいかなかった。


 だからまぁ、そんな悪夢を見せたのだ。

 夢の中で異形の妻にそれはもう滅茶苦茶に蹂躙される悪夢を。


 魔女の思惑通りになったか、と言われれば微妙であった。


 悪夢を見た数日の間は確かにちょっとよそよそしくはあったけれど、その後はそれ以前よりももっと妻との距離が縮まっていたのだ。

 甲斐甲斐しく尽くすような夫の行動に、妻も応えるように夫に対して自分ができる事はしたし、周囲から見ればそれはもう熱烈な愛情で満たされた夫婦でしかなかった。



 そうしてやがて、妻に子ができた。



 そりゃ毎晩熱烈に愛しあってりゃできるわな、と魔女は特に驚いた様子もない。

 これから産まれる子も間違いなく男の目には異形として映るのだが、果たしてその子を男が愛する事はできるだろうか……とは思った。


 女は自分の胎で育てるので、それなりに愛着だってできる。

 悪阻が苦しいだとか、胎内で子が育っているのもあって今までみたいに動けない事だってあるけれど、それでもすくすくと育っていっているのが実感できるのであれば、愛着は出てくるものだ。

 自分の胎内にいるのだから、そりゃもう自分の子という認識がある。


 けれど男は違う。

 いくら女の胎の中で育って生まれた経験があるとはいえ、自分でそうして育てる事はないのが男だ。

 もし妻に他の男の影でもあろうものならば、その子は本当に自分の子だろうか? なんて疑いだって簡単に芽生えさせるもの。

 生まれた直後は猿にしか見えないし、自分に似た要素がなければ中々自分の子として認識もできない、なんて男も一定数存在する。


 ある程度成長して、幼い頃の自分に似ている、だとか周囲に言われたり自分でそう思うようになって、ようやくそこで我が子であると実感する、なんて話もちらほらとあるくらいだ。


 妻が浮気をする余裕などないのはわかっているし、ましてや王都と違い寂れた土地だ。

 きらびやかな社交場などほぼ無いし、そんな所で妻が容姿だけでも惹かれるような相手などそういるはずもない。浮気をするような相手がいないと男は理解していたし、ましてや妻との仲は周囲が熱々だと思うもの。そこに割って入ろうとするような者などまずいない。

 わかっている。

 だからこそ、浮気については心配などしていない。


 とはいえ、異形にしか見えないまま産まれてくるのだ。

 自分の子として果たして認識できるだろうか。


 魔女が思ったように、男もまたその部分を気がかりに感じていた。



 だがしかし、産まれた我が子は確かに異形にしか見えなかったが男は大層可愛がった。

 妻同様、無機質・硬質的といった冷たい雰囲気で、目に関しては何の感情も浮かんでいないようにしか見えないくらいに色のないものだったというのに男はそれを気にした様子も何もなかった。


 出産という大仕事を終えた妻を労り、男は甲斐甲斐しく妻と子の世話をした。

 傍から見れば完全に愛妻家の姿である。


 王都から追放されるようにやって来た、なんて言われていて周囲は最初こそひそひそと心無い言葉も言っていたようだが、そもそも早々に夫婦二人手に手を取って協力して暮らしていた時点で噂は噂だと思い始めていたくらいで、更にはこうして子が産まれた後より一層愛が強まっているとしか思えなければ、周囲もあの夫婦はいつ見てもお熱いねぇ、なんて微笑ましく見守るまである。


 夫が呪われて妻と子の姿が異形に見えるという事実を知っているのはあくまでも当事者だけだ。

 妻は自分の見た目が今までと異なっているにも関わらずそれでも変わらぬ愛をくれた夫の事を今まで以上に愛したし、生まれた子も化け物にしか見えていないだろうにそんな素振りを一切見せず世話を手伝ってくれるのだ。むしろ愛さない理由がない。

 婚約者がいて、そんな相手から奪う形になってしまったけれど。

 けれども自分の選択は間違っていなかった。

 この人となら、どれだけどん底な生活でもきっとうまくやっていける。

 異形にしか見えないはずなのに、それでもたっぷりの愛情を注がれて、この子はなんて幸せなのだろう。


 早く呪いが解ければいい。


 呪いが解ける条件は妻もまたその場にいたので聞いている。

 呪いが解けないままだなんて事あるはずがない。そう確信していた。



 子の成長は大人が思っている以上にはやかった。


 寝返りが打てるようになっただとか、ハイハイできるようになっただとか、掴まり立ちができるようになった、なんて言っていたのが懐かしいくらいである。

 今では自分の足で立って歩いているし、言葉だって大分流暢になってきた。


 夫は惜しみなく子に自分が幼い頃に与えられた知識を教え、文字の読み書きや簡単な計算なら子もできるようになっていた。

 この寂れた土地で役に立つかはわからないが、それでも礼儀作法は覚えておいて損はない。

 いつか、この子が大きくなって王都に行く事がないとも言えないので。


 自分たちは追放されたようなものだけど、けれど子については言われていなかった。

 生まれても王都に来させるな、だとかは言われていない。

 かつてのやらかしはあくまでも自分たちの責任で、子に罪はない――という事なのだろう。

 とはいえ、孫が産まれました、と生家に連絡などできるはずもなかったのだが。


 下手に連絡して妻の実家側の後継者狙いだと思われても困る。

 ただ生まれたという連絡だけしたかったと言っても、言葉通りに受け取る者ばかりではない事なんてもうとっくにわかっている。

 余計な争いを生んでしまわないに越したことはない。



 裕福な暮らしとは言えないが、貧乏生活と言う程でもない。

 かつて、王都で過ごしていた頃と比べれば確かに貧しい生活であるのだが、それでも王都で生活していた昔と比べ今は圧倒的に幸せがそこにあった。

 家族仲が悪かったわけではない。

 けれども、こんな風に温かな家庭だったか、と言われると首を傾げる。


 家柄的に難しい事があったのもわかっている。


 貴族の令嬢、令息として振舞うとなると、どうしたって平民の家庭のような近しい距離でい続けるのも難しい事はとっくにわかっているのだ。


 もし。

 もしあの時、穏便かつ円満に婚約が解消、もしくは白紙になっていたとして。

 今よりも上の爵位の貴族として二人結ばれていたとして。

 果たしてこんな温かな家庭になっていたかはわからなかった。


 子が、もう少し大きくなってもし王都の学校へ通いたいと言い出したなら、通わせるつもりではいる。

 その時には、かつての自分たちのやらかしについても話しておかなければならないだろう。

 失望されるかもしれない。軽蔑されるかもしれない。

 けれども、何の説明も無しに送り出して、そうして向こうで真実を知るよりはマシだろう。


 すっかり親となった二人はそう思っていた。



 さて、そんな誰が見ても幸せな家庭である彼らに、ある日訪れたのは一つの終わりであった。



 魔女のかけた呪いが解けたのだ。


 子の誕生を祝って妻が腕によりをかけて作ったご馳走を食べ、夫のプレゼントを受け取った子は大層はしゃいでいた。

 この家の子に生まれてきて良かった! なんて笑顔で言うものだから、不覚にもじんときてしまったくらいだ。


 そしてその瞬間。


 男の目に映ったものは、異形ではない本来の姿をした妻と子の姿である。


 子が産まれて成長して数年経過しているために、妻の姿は最後に自分が見た時よりは年を重ねていたけれど、しかし変わらぬ美しさがそこにあった。目尻や口元にしわができかけていたが、それでもなお、当時とそこまで違いがない妻。

 そして、産まれた時から異形の姿しか知らなかったせいで、初めて見た子の本来の姿に最初誰だ? なんて思ってしまったけれど。


 この日、確かに呪いは解けたのである。


 それを知った妻は泣いて喜んだ。

 事情を知らない子もまた、何かあったのだと理解して良かったね、なんて笑って言った。


 ――と、まぁ、ここで終わればハッピーエンドである。



「うん、そうね、確かにここまで聞けばハッピーエンドなのよ」

 だがしかし、魔女は語る。


 その語りを聞いていた魔女は、ティーカップの中に最初に砂糖を山盛り入れて、そこに紅茶を注いでいた。

 紅茶を淹れてから砂糖をぶち込むよりこっちのが手っ取り早いと判断したようである。

 もうそれ紅茶っていうか紅茶味の砂糖なんだわ……と言いそうになったが、そんな事よりも。



 魔女だってその光景を水晶玉で見ていたので、まぁわかっちゃいたけど……と心に一つの決着をつける事にしたのである。

 傷つけられた友は、他のお友達に頼んだ縁結びによってどうやら仲の良いお友達ができたらしく、そのお友達に誘われて他国へ旅行に行った際、売れない絵描きを見初めて自分がパトロンになりますわ! と支援した結果その絵描きは有名になり、何か知らないうちに美術館経営してた。

 久々に顔を見せに行ったらぺっかぺかの笑みで出迎えてくれて、今とっても充実してますの♪ なんて言ってたのでもう件の元婚約者の事なんて完全に過去の出来事になっていたようだ。

 友が幸せそうで何よりである。


 ともあれ、友はとっくに過去と決別して幸せに生きてるし、自分も一応留飲を下げねばなるまい。

 呪いが解けたのだ。

 これ以上難癖付けるのもよろしくない。


 そう思って、後はオマエラで勝手に幸せになれよ、なんて聞こえるはずもない感じで呟いて、これでぜぇんぶ終わったはずだったのに。



 ある日、魔女の所に男がやって来た。


 お、なんだ? 呪いが解けたぞざまぁみろ、みたいな喧嘩売りにでもきたか? お? とか思っていたけれど、男の用件はそうではなかった。


 また呪いをかけてほしいと頼まれたのだ。


 なんで? と思うのは当然だった。

 だって折角呪いが解けたのに。

 なんでまたかけろなんて言い出すのだ。


 そもそも折角これで男の事は友を傷つけたクズ野郎という認識ではなく、まぁけじめもつけたし許してやるか……みたいに思っていたのに、まだ呪えというのは魔女からしても意味がわからない。


 いや、気に食わないあの野郎を呪いたいんだ、とかそういう話ならよく聞くから魔女もわかる。

 けれど、改めてもう一度あの呪いを自分にかけてくれ、は意味がわからない。なんで?


 事情を聞けば、なんとこの男、新たな扉を開いていた。



 最初は異形の姿の妻に怯えもあったようなのだ。表に出さないよう平然と振舞っていたけれど、しかし内心では人の形をしていながら人からかけ離れたその姿に間違いなく怖れを抱いていた。

 けれども声は愛する妻のもの。見た目こそ違えど性格ががらりと変わったわけでもない。

 あぁ、見た目は違うけれど、それでも中身は大切な人だと認識していたのだけれど、ある日悪夢を見た。


 男は夢の中で異形の妻にまさしく蹂躙されるという言葉が正しいくらい滅茶苦茶にされたのだ。

 まさしく悪夢だった。

 目が覚めて、起きて目にした妻の姿に悲鳴を上げそうになる程の。


 少しの間、あの夢のようになるのではないか……? と怯えもした。

 もしあの夢が実現したら、自分なんて一溜りもない。

 いっそ起きた時点で忘れていれば良かったのかもしれないけれど、忘れようと思えば思う程あの悪夢は鮮明に男の脳裏に刻まれてしまって、そうこうしているうちに。


 到底勝ち目のない異形の人外に蹂躙される無力な人間である自分、というものに謎の恍惚を見出した――らしい。自分が生きているのは相手の気まぐれによるもの。その気になれば自分の命など一瞬で終わらせる事ができる。

 そんな異形が、自分に愛を囁いているのだ。


 果たしてその愛は本当に愛なのだろうか。


 自分を油断させるための嘘ではあるまいか。


 けれど、相手の不興を買えば自分はきっと一瞬で肉塊になり果てるのだろう。


 そんな想像をして、今までは恐怖しか抱かなかったはずなのにこの時は違ったらしい。

 絶対的な存在に気まぐれで生かされているだけの自分。

 そう思うと、胸が震えた。

 強大な存在の掌の上で、ちっぽけな自分は生かされている。

 生殺与奪を握られている。

 そう思うと、恐怖と歓喜と恍惚とで震えが止まらなかった。


 本来あるはずのない妻の棘のついた尻尾、あれだっていつか自分が妻の不興を買えば実体化して自分を無慈悲に貫くのではないか。

 複数ある目が自分を見据えた時、ともすれば自分の内側まで覗き見られる事も可能なのではないか。

 他にも、他にも――


 そんな風に考えて、いっそ心酔する勢いで妻に尽くした。


 そうして産まれた子に関しても、産まれた時点で異形であった事で男の胸には歓喜が溢れていた。


 あぁこの子は一体どのような成長を遂げるのだろう。

 人でありながら人ではない。

 無機質な瞳で見つめられると、男は身体の芯から震えたのだ。

 自分の事など親とすら思っていないような温度のない目。

 ある日突然ナイフを身体に突き刺してくるかもしれないくらい、自分を見る無関心なその眼。

 赤子の時点でそうなのだ、きっともっと成長したらより凄い事になるのかもしれない。


 露骨な崇拝はしなかった。

 ただ、男は妻と同じように子も愛した。

 異形の化け物にいつ命を握りつぶされるかわからない恐怖。相手に露骨に媚びて興ざめされないように、細心の注意を払っていっそ滑稽なまでに愛を注ぐ。


 けれど、その道化のような行いは男の中で正当性を持ち始めていた。



 ところがだ。


 ある日呪いは解けてしまった。


 そこにいたのは、いくらか年を重ねた見覚えのある妻と、見知らぬ子ども。

 それが我が子だとすぐに気づいたものの、男の視界は途端精彩を欠いたのだ。


 確かに妻は美しい。

 年を重ねてもそれは変わらず。

 けれども、それはあくまでも人としての範疇での美しさで、見る者全てを凍てつかせるような心臓からギュッと凍り付いてしまうような美貌ではなかった。思わずひれ伏したくなるような、圧倒的強者としての美。

 それが今の妻にはない。


 子に関してもそうだった。

 一瞥しただけで全ての生きとし生ける者をひれ伏せさせるような迫力はない。

 どこにでもいるような人間の子である。


 自分と妻の子なので、顔立ちは確かにそこはかとなく見覚えがある。

 髪と目の色は自分と同じだし、目元や口元といった顔立ちはどちらかといえば妻に似ている。

 今でこそ愛らしい容姿をしているが、成長すれば周囲が放ってはおかない美しさを持つだろう。そう思えるのだが。


 けれど、男の目から見てそれはあくまでも人として、という言葉がつく。

 異形だった時と比べるといくら自分や妻に似ていようとも、どこまでも凡庸な普通の子にしか見えない。


 心酔・妄信・狂信。

 言葉にすればそれに近しい思いを持っていたけれど、しかし今の平凡な見た目のこの二人にそういった思いを抱くのは無理だった。

 あぁ、あのその気になれば一瞬で自分の命など屠れるだろうと察せられる冷え冷えとした、絶対零度の我が妻と、一時の気まぐれで命を手折るかもしれないと思わせられる狂気的な我が子はどこへ……


 こんな、目の前でにこにこと人のよさそうな笑みを浮かべている二人ではない。

 自分を睥睨するかのようなあの二人。あの二人の姿を見る事はもう叶わないのだろうか。


 そんな事、とてもじゃないが耐えられない……!!



 そう思って、男はどうにか魔女の居場所を調べ上げ訪れたのだ。

 そして再びあの呪いを自分にかけてほしいと懇願した。


 とはいうものの。


 魔女にとってそれは難しい話だった。


 そもそも呪いというのは文字通り、呪うのだ。

 呪おう! と思うだけの気持ちがないと難しい。

 代理で誰かのかわりに呪うにしても、そういう場合は依頼人がいかに相手を呪いたいかという気持ちを理解しなければならない。


 どこの誰だか知らないけれどとりあえず不幸になーれ、みたいな軽いノリで呪ったところで、効果は知れている。そんな気持ちで呪ったところで精々足の小指を家具の角だとかにぶつけるだとか、トイレに入る時にドアを閉めるタイミングがずれて指を挟んだりだとか、まぁその程度だ。

 それでも充分ダメージがあるけれど、その程度の呪いで依頼人が満足するはずもない。


 死に至らしめるような呪いは流石にこちらもお断りしているが、相手の恨みつらみ事情を考慮してどういった呪いをかけるかを決める。相手の言い分に魔女が理解、または共感できればそれ相応の呪いに、単なる逆恨みじゃねーか、などと思えば若干軽めに。


 今回の呪いは魔女が友を傷つけられた事に対する仕返しのようなもので、最初から呪いが解ける条件だって提示した。見た目が異なった程度で関係が破局するのなら、呪いはそのままであったかもしれないけれど、結局この男は呪われて異形の姿にしか見えなくなった妻をそれでも愛し続けた。だからこそ解けたのだ。


 そしてその時点で魔女はこれ以上はスパッと手を引こうと決めたのだ。

 呪いが解けたのに往生際悪くまだ何かしようなんて、流石にそこまでは思わない。

 呪いが解けたなら、そこで留飲を下げて金輪際彼らとは関わらないようにしておこう。そんな気持ちだった。それ以上はやりすぎだというのもわかっていた。


 自分の気持ちに整理がついたので、魔女としては改めてこの男を呪ってやろうだなんて思うはずもない。

 だというのに男は呪いの延長を申し出た。

 何だったら一生涯解けなくても構わないとか言い出す男に、魔女はドン引きしたのだ。


 いくら依頼人から依頼されても、無理なものは無理。

 だってもう魔女の中でこの男に対する呪ってやろうという気持ちは綺麗さっぱり片付いてしまったのだから。

 今からまたあの呪いをかけようとしたところで、この男を呪った時の気持ちそのままに呪えるはずもない。頼まれて呪ったとしても呪いの威力は大分抑えられ、間違いなく男の目に映る妻と子は以前のような異形とは別の、もうちょっと人に寄った姿になるだろう。精々頭にツノが生えてるだとか、耳がやたら尖っているだとか、ちょっと人相変わった? とか思うくらいの。


 でもきっと、その程度の呪いでは男は満足しないのだろう。

 それは、わかってしまった。


 そもそも魔女は呪いをかける時に、妻と子の姿はこういう風に見えますよ、というのを決めて呪ったわけではない。あくまでも男が恐怖を覚え、畏怖するような感じで……といったふわっとしたものだ。

 いっぱい怖がれ! と思ったそれが呪いの効果となって男の目には人の形をかろうじてしてはいるけれど、しかし人とは違う圧倒的な存在感を放つ異形の姿となったのだ。


 今はもう魔女は男を呪うつもりなんてこれっぽっちもない。

 だからこそ、頼まれても無理なのだ。


 金ならいくらでも出す、とか言われても何故依頼人を呪わなければならないのか。あと、流石にいくら頼まれたからって依頼者本人を呪うというのは、よほどの事情でもない限りやっぱり難しい。

 だって噂はどんなふうに巡るかわかったものじゃないのだ。


 あの魔女は依頼人ですら平気で呪う酷い魔女だ、なんて言われてみろ。

 それが正式な依頼だったと言ったところで一度流れた悪い噂は簡単に消えないし、万一そうなったらとても面倒ではないか。自分が。



 だからこそ魔女は断った。


 金の問題じゃないんだよと言い捨てて。

 魔女に断られた男は絶望したような顔をしてそれでもなお食い下がってきたが、しかし魔女が首を縦に振る事はなかったのである。

 そのままずっと居座られても迷惑なので、魔女は魔法で男を家に送り届けて、そうしてその足で自分はお友達の魔女のところへとやって来たのだ。


 そして愚痴って冒頭に至る。


 話をふんふんと聞いていた魔女は、どうしてそうなった……? とやはり首を傾げていた。

 そうだよね、自分もそう思う。


 これで破局するようなら運命だ真実だなんて、結局戯言じゃないかと笑い飛ばせもしたけれどしかしあの男はそれでも愛を貫いて自力で呪いを解いたのに。

 口先だけのものじゃなかったんだな、と魔女だって心の整理をつけたのに。

 なんだったらこの先彼らが幸せになってもそれは当然のものだと祝福さえするつもりだったのに。


 呪いのおかわりとか求められて色々と台無しである。



「えーっとさぁ、もしその男が自分を呪うんじゃなくて」

「うん」

「依頼として以前の呪われてた時の妻と子の姿に見えるように、って頼んだならどうした?」

「その場合は呪わないで幻影魔法かけたよ。特定の相手を自分の理想の姿として映しだす、とかならまぁそう難しいもんじゃないし」

「それ、教えてやればよかったんじゃない?」


 そうすれば、縋りつかれて頼み込まれるなんて事もなかったでしょうに。


 そう言われて、魔女はそれはそうかも、と思った。

 とはいえ、それはそれでなんだか釈然としなかったのだ。

 だって折角解けた呪いをまたかけろなんて、どうかしている。


 やる気もない呪いは効果が薄いのできっと男が望んだものにはならない。

 確かに幻影魔法で呪われていた時と同じように妻子の姿が見えるようにすることはできるけれど。


 ただこの魔法、かつて他の人間に頼まれて使った時は、伴侶の姿が見るに堪えないものだから、せめて自分の理想の相手に見えるようにしてほしい、なんて案件だったのだ。

 実際はブスでも自分にとって美人に見えれば無問題。そんな感じで。


 そんな魔法をあの男にかけるのも、それはそれでどうなんだろうと思ったわけだ。


 だって、確かにあの男は妻の事を見た目だけで決めたわけではなかったようだけど。

 けれど、友を振った時、友の容姿を下げるような言い方をして自分が選んだ相手は美人だと、そんな言い方をしていたではないか。

 そんな理想の相手を、しかし今別の理想の姿にしたい、なんて……


 ちょっと勝手が過ぎないか? と魔女は自分を棚にあげて思うわけで。

 呪いが解けたんだからそこはもうハッピーエンドだろうがよ、となってしまう。


 確かに呪った。

 けどそれは自分の留飲を下げるためで、自分の気持ちに整理をつけるためだった。

 そして呪いは解けた。

 ならばもう、これ以上あの男に関わる理由はどこにもない。


 もっと言うならば。

 呪いが解けた時点で関係はすっぱり絶たれたも同然なので、その後更に関わりたいとまでは思っていなかった。何せ幻影魔法、一度かけたら効果は一生とかそこまで長期的なものではない。ある程度定期的にかけ直さないといけないのだ。

 別に自分じゃなくて他の魔女に幻影魔法の効果継続を頼んでも問題はないが……けれども、これ以上の関係を続けたいとは思わない。


 他の魔女に自分を呪ってほしい、と今回の話をした上で依頼したとして、恐らく呪われたとしてもきっと男の望むとおりにはならないだろう。

 思っていた姿と違うものとして映る妻子をそれでも変わらず愛せるならいいが、そうでなければ誰も幸せにならない話である。



「……ま、アタシから言わせてもらえばさ」


 魔女の話を聞いていた魔女が、カップからそれもう紅茶で湿らせただけの砂糖ですよね!? としか言いようのない代物をスプーンで掬って口に運ぶ。じゃりじゃりという咀嚼音がした。



「呪いは解けた。でもそれと同時に真実の愛なんて魔法も解けたって事だろうね」

「真実の愛は魔法じゃないだろう?」

「アタシら魔女が使う魔法と違って人間なんて思い込みで魔法みたいな効果を自分にかけるなんて事もあるんだ。じゃあ、一種の洗脳みたいなものでしょ。身も蓋も無く言っちゃえば、ただの心変わり。相手が同一人物だからそう思われないだけで、でも、理想の相手より更に理想の相手がいたからそっちに心が移ってしまった。

 つまりは、それだけの話でしょ」


 じゃりじゃりという音が再び響く。


 魔女はそんな友人を見ながら、そうなのかなぁ……? と曖昧に頷いた。

 実際がどうであれ、頷くくらいしかできなかったのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久々に読み返してふと思いついたことを ・前作?も今作も呪いをかけられたのは男性だけでしたが、女性も同罪ということで両方にかけるパターンがあってもいいんじゃないかな、と 男性はなんとか堪えて…
[良い点] 癖(ヘキ)だねー 癖に染まる? 染める? ラリったのが落ち着いてからの染めか なるほどな [一言] 性癖だよね 日本の最近のフェミとか 米国のLGなんたらとか他人の性癖叩いてどうするんだ…
[一言] 特殊性癖はこっちの見えない場所でしてくれって事だねw 自分が呪った結果とは言え、魔女を探してまた来るんじゃないかこの男。
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