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伯爵の叫びを聞いてくれ

 時の流れは残酷だ。どんなに嘆こうが、どんなに悩もうが現実は容赦なくやってくる。


 伯爵は『怨霊の叫びを聞いてくれ』問題をどうやって乗り切るべきか、必死に考えてみたものの解決策は一向に思いつかなかった。今まで領地経営や貴族としての立ち居振る舞い、果てはプライベートの女性関係でもあまり苦悩せず大胆に行動して決めてきたのに今どうしてこんなことになっているのか。なんで聞きたくもない怨霊の叫びで考えをめぐらせなければならないのか。全く、叫びたいのはこっちの方だというのに……そんな風に思い悩むのも疲れ、屋敷に戻ると相変わらずいけしゃあしゃあとした態度のデイジーに迎えられる。


「お帰りなさいませ、旦那様」

「お帰りなさいませ、旦那様」


 伯爵を迎える声が、二つ聞こえた。

 聞き間違いや入力ミスではない。伯爵を、この家の主人を迎える人間がデイジーの他にもう一人いたのである。それはあの、『あなたも私も井戸へGO!』を勧め伯爵にいらぬ恐怖を植え付けた恐ろしき凶器侍女のサラだった。その時のことを思い出した伯爵は、端正な顔立ちを思い切り顰めてみせる。


 元はと言えばコイツのせいだ、コイツが余計なことを言ったせいで今の僕はこんなに悩んでいるんだ……言いがかりも甚だしい伯爵の不満は、しかし口にする前にぐっと飲み込まれる。やはり伯爵はプレイボーイ、例え契約妻の前であろうとそれなりにいい格好をしていたいという気持ちが強いようだ。どこまでも淡々としたデイジーに適当な言葉を投げ、伯爵がさっさと自室に戻ろうとした時。いつも同じフレーズばかり話すデイジーが珍しく、「あの、旦那様」と口火を切った。


「実は、旦那様にご報告しておきたいことがあるのです。というのも実は私、今度ここにいるサラと一緒に舞台を観に行く予定がありまして……それで旦那様に、外出の許可を得たいのです。決してやましいところはない、もし不安でしたら信用できる者を監視につけても結構ですのでどうかお許しいただけないでしょうか?」


「……舞台、だと?」


 伯爵はこの時、ものすごく嫌な予感がした。それはデイジーの次の言葉で、ものの見事に的中してしまう。


「タイトルは『怨霊の叫びを聞いてくれ』です。巷で大評判の舞台で、私もずっと観てみたいと思っていたところにちょうど『伯爵夫妻もぜひ』と招待状が届きまして。ですが旦那様は伯爵としての仕事がお忙しいですし、どうしようと考えていたらサラが『だったら自分が行きたい』と言い出したのです」

「えぇ、その通りでございます」


 デイジーの言葉を引き継ぐ形でサラは伯爵に向かって恭しく、しかし有無を言わさぬ調子で堂々と口を開く。


「実は舞台のスタッフに古い知人がおりまして、その知人からも『伯爵である旦那様も連れてきてほしい』と言われているのですが、デイジー様と伯爵様はあくまで契約結婚。お互い、相手の自由を縛る権利など存在しませんので僭越ながら私が代わりにデイジー様のお供をさせていただきたいと考えております。ですのでどうか、伯爵様は安心して私とデイジー様を見送っていただきたいのです」


「私たちが留守の間、伯爵様はどうか自由を堪能してくださいませ。どなたか好きな女性を屋敷に引っ張り込むも良し、独身時代に戻ったつもりで一夜のアバンチュールを楽しむも良し。私たちは一向に構いませんので伯爵様は思い切り、私たちの不在を楽しんでください」


 にっこり微笑んでみせるデイジーとサラに、伯爵は絶句する。


 契約妻なのだから自分の行動に口を出すな。自分の自由を縛ろうとするな。そう言いはしたが、それがそのままデイジーから返ってくるとは思わなかった。別に不思議でもなんでもない、第三者から見たら「そりゃそうだろう」としか言い様のない事態なのだが伯爵にとってそれは衝撃的な事実だった。だが、だからといって、当の伯爵に反論することなどできはしない。これが他の男と、だったらまだ不貞を訴えることもできるがデイジーが連れていくのはあくまで一介の侍女。その上、ただ娯楽目的というだけでなく建前上は「伯爵夫人」として招かれている立場なのだ。契約妻として、伯爵夫人としての業務をこなすのみのこと。加えて、「自分がいない間は浮気してもОKですよ」とまで宣言されては伯爵がデイジーを咎めることなどできはしない。


「す、好きにすればいいなじゃないか」


 口ではぶっきらぼうにそう言ってみせたものの、伯爵は心の中でのたうち回っていた。


 どういうことだ、どういう偶然だ。なんでよりにもよってダリアもデイジーも『怨霊の叫びを聞いてくれ』を見たいだなんて言い出すんだ。そんなおぞましいものをなんだって、わざわざ聞きに行くんだ。いや、デイジーは怪奇文学が好きだから単純に「怨霊」という単語に心惹かれているだけなのか? だったらダリアはどうなんだ。まさかダリアも幽霊だのオバケだのを好んで見たいと思うような女なのか?


「左様ですか、寛大な言葉ありがとうございます。では三日後のお昼の部を観に行きますのでその間、伯爵はどうぞお好きに。それでは」

「当日は目いっぱい楽しませていただきますので、旦那様もどうか羽を伸ばして伸ばして伸ばしまくってください」


 カーテシーをするデイジーと、深々と頭を下げるサラ。二人はそのまま、もうこの話はおしまいとばかりに伯爵の方を振り向きもせず去っていくが残された伯爵はくらり、と眩暈を感じる。『怨霊の叫びを聞いてくれ』が怖いからではない、断じてそれはない。むしろ今、伯爵はとんでもない事実に気づき戦慄していた。




(ダブルブッキングしてるじゃないか……!)




 問題の舞台は大人気公演とあって一定期間、昼の部と夕方の部に分けて行われている。だが今回、デイジーのそれとダリアのそれがぴったりと一致した。もう、見事に一致した。それなりに数のある公演で、偶然にしても程があるんじゃないか? と言いたいくなるぐらい一致した。


(僕に……僕にどうしろって言うんだ……!)


 チクショウがああああああっ!

 

 そう叫び出さなかったのは曲がりも何も、彼が伯爵として立派に務めを果たしてきていたからかもしれない。だが伯爵は心の中で叫びたかった。それを、誰かに聞いてほしかった。しかしそれが叶うことはなく――代わりにその鬼気迫る表情が使用人数名に目撃され、屋敷内では密かにこの話題で持ちきりとなった。


「あの伯爵の表情ヤバかったな。あれ、もう十分『怨霊の叫び』だよな」


 そんな言葉と共に面白おかしく、その日の伯爵とデイジーのやり取りは使用人たちの間で共有されていくのだった。

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